第48話 敵の手の内
査問の日が、刻一刻と、近づいていた。サルディアだけでなく、ヴェルガ側の動きも、慌ただしくなっていた。
ジェラルドは、サルディアが査問の場を設けると聞いて、当初、青ざめた。公の場で、記録を突き合わせられれば、捏造が露見しかねない。あの女は、言葉の裏を読む。何か、見抜かれるのではないか。一瞬、そんな不安が、よぎった。
けれど、彼は、すぐに、余裕を取り戻した。自分の計画の、完璧さを、信じていたから。
「案ずるな」と、彼はハーヴェイに言った。
「査問の場には、我々が用意した偽の証拠を、堂々と提出する。本物の記録は、すでに記録庫の奥深くに封じた。サルディア側が、それを引っ張り出すのは、不可能だ。あの女が、ヴェルガの記録庫に入れるとでも? 入れるはずがない。彼女は、もう我が国の人間ではないのだからな」
ジェラルドは、嘲笑った。自分の計画の完璧さに、酔いしれるように。
彼は、一つ、致命的な見落としをしていた。
記録庫に、まだ立ち入れる人物が、ヴェルガに一人、残っていることを。そして、その人物――バルト・オルセンが、すでにオーレリアのために動いていることを。さらには、その協力者が、思わぬところから、現れつつあることを。
ジェラルドは、自分の用意した偽の証拠に、絶対の自信を持っていた。記録の魔法で、新しく記録した、誤訳の文書。日付も、巧妙に偽装した。これさえあれば、オーレリアを元凶に仕立て上げられる、と。彼の頭の中では、すべてが、計算通りに、進んでいた。
一方、ヴェルガに残るバルトは、ハーヴェイの心の揺れを、感じ取っていた。あの夜、記録庫で言葉を交わして以来、ハーヴェイは、明らかに、苦しんでいた。保身と良心の間で。バルトは、その揺れに、最後の望みを、託していた。もし、ハーヴェイが、真実の側に立ってくれたなら。それは、何よりも、強力な証言になる。捏造を企んだ当事者自身が、それを認めるのだから。
けれど、ジェラルドは、そんなハーヴェイの動揺にも、気づいていなかった。彼は、自分の計画を、過信していた。すべては、思い通りに進んでいると。足元で、崩壊が始まっていることにも、気づかぬまま。
彼が軽視していたのは、記録の魔法の、もう一つの性質だった。
――一度に、複数の記録は施せない。記録には、順番がある。
偽の証拠は、後から作られたがゆえに、記録庫の正しい並びに、割り込めない。本物の記録の連なりの中に、無理やり、ねじ込むしかない。その不自然さが、捏造の動かぬ証拠になることを、ジェラルドは、考えもしなかった。
彼は、言葉を「運ぶ」仕事の機微を、ずっと軽んじてきた。「口寄せ役」と。だから、記録の機微にも、思い至らなかった。言葉とは、記録とは、これほど厳格な秩序を持つものだと、知らなかった。その無知が、彼自身の罠を、内側から、崩そうとしていた。
皮肉なことだった。彼が、言葉を軽んじたからこそ、言葉に、足元をすくわれる。彼が、記録を侮ったからこそ、記録に、裁かれる。オーレリアが、生涯をかけて大切にしてきたものが、今、彼女を陥れようとした男を、追い詰めようとしていた。
言葉とは、ただの音や、文字の羅列ではない。それは、人と人を繋ぐ、橋であり、約束であり、そして――真実を、永遠に刻む、器でもある。その重みを知る者だけが、言葉を、正しく扱える。ジェラルドは、それを、知らなかった。だから、彼は、敗れる。まだ、そうとは、気づかぬまま。
その敵の手の内を、私は、バルトからの続報で、ほぼ掴んでいた。
「殿下。ジェラルドは、偽の証拠に、絶対の自信を持っているようです。本物を封じたから、安全だと。けれど――彼は、記録の『順番』という弱点に、気づいていません」
「では、勝てるか」
「はい。偽の証拠は、正しい並びに、割り込めない。それが、捏造の、何よりの証明になります。敵は、言葉を軽んじた。記録を軽んじた。――その慢心が、彼らの、最大の隙です」
私は、静かに、勝機を見据えた。
査問の日が、明日に迫っていた。すべての準備は、整いつつあった。あとは、本物の証拠が、査問の場に、間に合うかどうか。最後の鍵は、バルトと、そして、ヴェルガに残る、もう一人の協力者の手に、委ねられていた。
国境を越えて、証拠が運ばれてくる。その道中に、もし、ジェラルドの手の者が、待ち構えていたら。そう思うと、不安が、よぎる。けれど、私は、信じることにした。バルト様を。そして、まだ見ぬ、協力者を。彼らが、必ず、証拠を、届けてくれると。
私は、窓の外を見た。北の空の向こう、ヴェルガで、今も、私のために動いてくれている人がいる。その思いに、応えなければ。明日、私は、必ず、勝つ。私の言葉と、記録の真実をもって。
ジェラルドは、私を、言葉も後ろ盾もない、無力な存在だと、思っているだろう。かつて、「口寄せ役」と侮ったように。けれど、彼は、知らない。私が、どれほど多くの人に、支えられているかを。バルト様、ニナ、レナ、文官たち、そして――殿下。私は、もう、孤独に戦った、あの頃の私では、ない。
明日、その違いを、思い知らせてやる。言葉を軽んじた者が、言葉によって裁かれる。その瞬間を、私は、この目で、見届けるのだ。
長い夜が、更けていく。私は、燭台の灯を見つめながら、静かに、明日への覚悟を、固めていた。すべての糸が、明日、一点に、集まる。その瞬間を、私は、待っていた。




