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王宮筆頭通訳官を辞めた翌朝、二国間の会話はすべて噛み合わなくなった  作者: ヲワ・おわり


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第47話 本心の核心

 査問を翌日に控えた夜。

 レナが、温かい茶を手に、私の部屋を訪れた。湯気の立つ茶器を、そっと、私の前に置く。

 窓の外では、月が、静かに、夜空を照らしていた。明日、すべてが、決まる。その重さに、胸が、わずかに、震える。

「ヴェント様。明日、いよいよですね」

「ええ。やるべきことは、すべて準備した。あとは、証拠が間に合うかどうか」

 机の上には、査問のための資料が、山と積まれていた。偽の証拠の分析、論点の整理、想定される反論への対策。考えうる限りの、準備をした。それでも、不安は、消えなかった。すべては、バルト様が確保した本物の記録が、間に合うかどうかに、懸かっているのだから。

「きっと、大丈夫です。バルト様も、殿下も、ヴェント様のために、全力を尽くしてくださってます」

「……そうね。私は、一人じゃない」

 その言葉を、噛みしめる。ヴェルガにいた頃の、あの孤独な戦いとは、違う。今の私には、信じてくれる仲間が、いる。それが、どれほど、心強いか。

 レナは、茶を一口飲んでから、少し、真剣な顔になった。

「ヴェント様。一つだけ、伝えておきたいことが、あります。明日の前に」

「何かしら」

 私は、手元の資料から、顔を上げた。レナの、いつになく真剣な表情に、何か、大切な話だと、感じ取って。

「殿下のことです」

 その名に、私の胸が、小さく跳ねた。

「殿下が、なぜ、これほどまでにヴェント様を守るのか。宮廷での孤立も、戦争の危険も、すべて引き受けて。――ヴェント様は、それを『正義のため』だと、思っていらっしゃいますよね」

 図星だった。私は、答えられなかった。

「違うんです」

 レナは、静かに、けれど、はっきりと言った。

「殿下は、これまで一度も、私情で国の判断を曲げたことのない方です。誰よりも、王太子としての責任を、重んじてこられた。血筋を侮られて育った分、人一倍、立場というものに、厳しい方なんです。その殿下が、初めて――一人の人のために、すべてを賭けようとしている。それが、何を意味するか、お分かりになりませんか」

 レナの言葉は、一つひとつ、私の胸に、深く、染み込んでいった。

「殿下は、めったに、笑わない方です。いつも、難しい顔をして、政務に向き合ってらっしゃる。でも、ヴェント様と話している時だけは、違うんです。ほんの少し、表情が、和らぐ。私たち、お側に仕える者には、すぐに、分かります。殿下が、ヴェント様を、どんな目で見ているか」

 私の鼓動が、速くなった。

「殿下は、ヴェント様を、『有能な通訳官』として守っているんじゃありません。一人の――かけがえのない人として、守ろうとしているんです。あの方が、私情を後回しにして、言葉を飲み込み続けてきたのは……すべてが片付いたら、ちゃんと、ご自分の言葉で、伝えたいからです。それまでは、王太子として、けじめをつけたいんですよ」

 私は、言葉を、失っていた。

 ずっと、目を逸らしてきた可能性が、今、レナの口から、はっきりと、形になった。

 殿下の気遣いも、長い眼差しも、飲み込まれた言葉も、孤立を恐れぬ庇護も――すべて。「正義」でも「人材への評価」でもなく、私という、一人の人間への、想いだったのだ。最初から、ずっと。

 胸の奥が、熱く、震えた。

 これまでの、殿下とのすべての記憶が、蘇る。机に置かれた、蜂蜜菓子の札。「君を、誇りに思う」という言葉。中庭で、「君は、優しいな」と言ってくれた、あの声。失敗した私を、信じてくれた、あの眼差し。引き渡しを拒み、孤立してもなお、私を守ろうとする、その背中。その一つひとつが、今、新しい意味を持って、私の胸に、降り積もっていく。

 すべては、想いだったのだ。「正義」という名の、仮面の下に隠された。いや――隠していたのは、私の方だったのかもしれない。怖くて、その想いを、見ないふりをしていた。

 他人の真意は、あれほど読めるのに。なぜ、これだけは、こんなにも長く、認められずにいたのだろう。

 答えは、簡単だった。怖かったからだ。叶わぬかもしれない想いに、傷つくのが。身分違いの恋に、終わるのが。だから、聞こえないふりをしていた。自分の心の、いちばん大切な声に。殿下の想いにも、自分の想いにも、蓋をして。

「……レナ」

 私は、震える声で言った。

「私、明日、戦わなければならないのに。今になって、こんな――胸が、いっぱいで」

「私……ずっと、怖かったんです。この想いを、認めるのが」

 私は、ぽつりと、零した。レナにだけは、本心を、言えた。

「叶わないかもしれない。身分も、違いすぎる。殿下は王太子で、私は、他国から来た、ただの通訳官。だから、想いを認めてしまえば、傷つくだけだと。そう思って、ずっと、目を逸らしてきました」

「ヴェント様……」

「でも、もう、逃げたくない。明日の戦いも、この想いも。両方、まっすぐに、向き合いたい」

「いいんです」

 レナが、優しく微笑んだ。

「その気持ちを、忘れないでください。明日、ヴェント様が守るのは、自分の名誉だけじゃない。殿下の想いも、二人の未来も、なんです。だから、絶対に、負けないでください」

 その夜。

 私は、初めて、自分の心の真意に、そっと、手を伸ばしかけていた。長いあいだ、固く閉ざしてきた、その扉に。明日の戦いを終えたら。すべてが、片付いたら。今度こそ、私は、この想いに、まっすぐ、向き合おう。そう、静かに、決意しながら。

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