第46話 逃げない
翌朝、私は、殿下とロドリク侯、そして主立った貴族たちの前に、自ら進み出た。
全員の視線が、私に集まる。不信、警戒、好奇。様々な感情の入り混じった視線。けれど、私は、もう、怯まなかった。背筋を、まっすぐに伸ばし、一同を、見渡した。
「皆様に、申し上げたいことがございます」
私の声は、静かで、けれど、広間の隅々まで、はっきりと、届いた。
「ヴェルガは、私を元凶と告発し、引き渡しを要求しています。そのために、殿下は孤立し、サルディアは戦争の危機に晒されています。――これを、終わらせる方法が、一つだけあります」
ロドリク侯が、眉を上げた。
「ほう。聞かせていただこう」
その声には、まだ、半信半疑の響きがあった。他国の女が、いったい、何を言い出すのか。そんな、値踏みするような視線。けれど、私は、ひるまなかった。むしろ、その視線を、まっすぐに、受け止めた。かつてのように、俯くことなく。
「私が、逃げも隠れもせず、公の場で、潔白を証明することです」
私は、はっきりと言った。一同の前で、宣言するように。
その声に、広間が、静まり返った。逃げるのではなく、進んで、公の場に立つ。引き渡しを拒まれて、ただ守られるのを待つのではなく、自ら、戦いの場を、求める。それは、誰も、予想していなかった申し出だった。
「国家間の、正式な査問の場を設けてください。そこで、私は、ヴェルガの告発が捏造であることを、証拠をもって証明します。私の言葉が、決して誤っていなかったことを。――そして、両国関係を崩壊させた、本当の原因を、明らかにします」
ざわめきが起きた。予想外の申し出だったのだろう。
「証拠だと? そんなものが、あるのか」
貴族の一人が、訝しげに問うた。
「あります」
私は、揺るがぬ声で答えた。
「ヴェルガの記録庫に、私が在職中に残した、正確な訳が、すべて残っています。記録の魔法で、書き換えられぬまま。それと、ヴェルガが提出した偽の証拠を、突き合わせれば――どちらが捏造か、一目瞭然です。記録は、嘘をつきません」
私は、殿下を見た。まっすぐに。これまで、目を逸らしてきた、その瞳を。
「殿下。私は、守られるだけでは、終わりたくありません。私自身の言葉で、私自身の潔白を、証明させてください。それが――言葉に誠実に生きてきた、私の、最後の戦いです。そして、あなたの信頼に、報いる道です」
殿下は、私を見つめ、深く頷いた。その目に、誇らしさと、信頼が、宿っていた。
「分かった。国家間の査問の場を、設けよう。ヴェルガにも、正式に通告する。逃げも隠れもせず、すべてを、白日の下に晒すと」
ロドリク侯が、しばし沈黙し、それから、口を開いた。
「……いいだろう。ヴェント殿が、自ら証明すると言うのなら、その機会を与えるべきだ。それで潔白が証明されれば、引き渡しの口実も消える。戦争の危機も、遠のく。そして――もし、証明できなければ、その時は、潔く、責任を取っていただく」
「承知しています」
私は、即座に答えた。退路は、ない。けれど、それでいい。
查問への道が、開かれた。殿下は、すぐに、ヴェルガと、中立国への通告の手配を始めた。中立都市アルレーンで、両国の代表と、立会人を交えて。すべてを、白日の下に晒す、その舞台が、整えられていく。
ヴェルガにとっても、これは、賭けだった。査問を拒めば、「やましいことがある」と見なされる。受ければ、捏造が露見する危険がある。けれど、彼らは、受けざるを得なかった。引き渡しを要求した手前、その正当性を、証明する義務があったからだ。ジェラルドは、自分の偽の証拠に、自信を持っていた。だからこそ、応じた。その慢心が、彼を、査問の場へと、引きずり出すことになる。
査問の場が、開かれることになった。
それは、私のすべてを賭けた、最後の戦いの舞台だった。私の潔白。殿下の立場。両国の、戦争か、和平か。そのすべてが、その一日に、懸かっている。
証拠は、バルトが確保しつつある。記録の魔法は、嘘をつかない。私は、自分の言葉で、自分を救う。
怯えて俯くだけだった、あの頃の私は、もう、いない。ヴェルガで「口寄せ役」と侮られ、ただ受け流すだけだった、あの私は。私は、自分の足で立ち、自分の言葉で、運命を切り開く者に、なった。
その日から、私は、査問に向けた準備に、没頭した。
ヴェルガが提出した偽の証拠を、徹底的に分析する。どこに、矛盾があるか。どこを突けば、捏造が、暴けるか。後任の通訳の癖、日付の偽装の痕跡、記録の並びの不自然さ。一つずつ、論点を、整理していく。レナや文官たちも、資料集めを手伝ってくれた。一人ではない。その実感が、私を、支えた。
夜、ふと、手を止めて、窓の外を見ると、北の空に、星が瞬いていた。あの空の下、バルト様が、危険を冒して、本物の記録を探してくれている。その思いに、応えなければ。私は、何度も、自分に言い聞かせた。負けられない。私一人の戦いではない。私を信じてくれる、すべての人のための、戦いなのだ。
査問の日に向けて、私は、静かに、けれど確かに、闘志を燃やした。すべての準備を、整えるために。一つの綻びも、許されない戦いに向けて。
これは、私が、私であるための、戦いだった。言葉に誠実に生きてきた、その誇りを、守るための。負ければ、すべてを失う。けれど、勝てば――私は、本当の意味で、自由になれる。そんな予感が、胸に、確かに、あった。




