第42話 消えない記録
バルトからの密書には、こう記されていた。
《オーレリア。君に着せられた濡れ衣の話は、こちらにも届いている。ジェラルドとハーヴェイが、君の本物の記録を隠し、偽の証拠を作ったのだろう。だが、案ずるな。記録の魔法は、消せはしない。隠された本物は、必ず、どこかにある。私が、それを探す》
私は、その文面を、何度も読み返した。
胸が、熱くなった。涙が、頬を伝う。
私が国を去ってもなお、私の正しさを信じ、危険を冒して動いてくれる人がいる。私を切り捨てた、あの国の中に、たった一人、まだ、私の味方が、残っていた。その事実が、どうしようもなく、胸を、震わせた。
孤独に、言葉と向き合い続けた、ヴェルガでの日々。あの頃、私を見ていてくれたのは、バルト様、ただ一人だった。そして今もなお、あの方は、私を見ていてくれる。その変わらぬ信頼が、何よりの、支えだった。
「殿下。バルト様が、本物の記録の捜索を、引き受けてくださるそうです」
私は、密書を殿下に見せた。
「記録の魔法で残された、私の正しい訳。それが見つかれば、偽の証拠が捏造だと、証明できます」
「だが、それだけでは足りないかもしれん」
殿下が、慎重に言った。
「ヴェルガは、『その本物の記録こそ、後から作られた偽物だ』と言い張るだろう。記録の新旧を、どう証明する。向こうも、必死だ。簡単には、認めまい」
その通りだった。記録の魔法は、いつ記録されたかまでは、刻まない。本物と偽物、どちらが先に作られたか。それを、客観的に示す必要がある。ただ本物を見つけるだけでは、足りない。
ヴェルガは、こう言うだろう。「サルディアが、後から偽の記録を作った」と。本物の私の訳を見せても、それを「捏造だ」と切り返してくる。証拠と証拠が、ぶつかり合えば、最後は、水掛け論になる。それでは、勝てない。
ならば、どちらの記録が、本当に先に作られたものなのか。それを、誰の目にも明らかな形で、示さねばならない。記録そのものの中に、その答えが、刻まれていなければ。私は、記録の魔法の性質を、もう一度、一つずつ、頭の中で、検証していった。書き換えられない。改竄すれば、紙が焼け落ちる。そして――。
私は、考え込んだ。記録の魔法について、これまで学んだことを、すべて、頭の中で、反芻する。文書庫で、殿下に教わったこと。書き換えられないという、その性質。そして――。
そして、私は、気づいた。一筋の、光に。
「殿下。記録の魔法には、書き換えられないという性質があります。ですが、もう一つ――『一度に、複数の記録は施せない』という制約も、あったはずです」
「ああ。記録の儀式には、相応の魔力と時間がかかる。一日に、せいぜい数件が限度だ。それが、どうした」
「では、当時の記録の『順番』が、残っているはずです」
私の声に、熱がこもった。掴みかけた光を、手繰り寄せるように。
「条約や書簡は、施された順に、記録庫に並べられます。その『並び』は、後から変えることが、できません。なぜなら、並びを変えれば、記録の魔法そのものに、触れることになるからです。つまり――私の在職中の本物の訳は、当時の他の記録と、正しい順番で並んでいる」
「なるほど……」
殿下の目が、見開かれた。私の言わんとすることを、理解し始めたのだ。
「けれど、後から捏造された偽の証拠は――その順番に、割り込めない。本物の記録の間に、無理やり押し込むしか、ない。だから、記録庫の並びを調べれば、どちらが本物か、一目瞭然です。整然と並ぶ本物と、不自然に割り込んだ偽物。その違いは、誰の目にも、明らかになります」
殿下が、深く、頷いた。その顔に、確信の色が、広がっていく。
「……記録の『並び』そのものが、証拠になる、ということか。記録の魔法の、その厳格さゆえに、ジェラルドは、自らの偽装を、隠しきれない」
「はい。ジェラルドは、本物を『隠す』ことはできても、記録庫全体の並びまでは、改竄できません。彼は、記録の魔法の、その性質を、見落としています。言葉を軽んじてきた者が、記録の機微にも、思い至らなかった。それが、彼の、最大の隙です」
私は、すぐにバルトへ返書を書いた。本物の記録の在処だけでなく、その前後の並びごと、保全してほしいと。立会人を立て、記録庫の状態を、正式に証言できるようにしてほしい、と。一字一句、慎重に。この返書が、敵の手に渡れば、すべてが、水泡に帰す。だから、信頼できる者だけに、託した。
永遠に消えぬ記録。そして、改竄できない、記録の順番。
あの文書庫で、殿下と交わした言葉が、今、私を救う鍵になろうとしていた。
――言葉を記録に残すというのは、責任であると同時に、誇りでもある。
あの時、私が口にした言葉。その誇りが、今、私自身の潔白を、証明しようとしていた。私が、誰にも見られず、ただ正確であろうと心を砕いて残した、あの膨大な訳文の数々。それが、今、声なき証人となって、私のために、立ち上がろうとしている。
記録は、嘘をつかない。私が何をしたか、どれほど正確であったかを、あの光る羊皮紙たちが、永遠に、証言してくれる。私は、その確信を胸に、来るべき戦いへの、備えを始めた。
恐怖は、もう、薄れていた。代わりに、静かな闘志が、胸に満ちていく。私には、記録という、揺るがぬ味方がいる。そして、それを見つけてくれる、バルト様がいる。一人ではない。私は、必ず、この濡れ衣を、晴らしてみせる。




