表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王宮筆頭通訳官を辞めた翌朝、二国間の会話はすべて噛み合わなくなった  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/70

第39話 濡れ衣

全70話で完結予定です。毎日5話ずつ、7:10 / 12:10 / 17:10 / 20:10 / 22:10 に投稿します。

面白いと思っていただけましたら、評価で応援してもらえると励みになります。

 その告発は、青天の霹靂だった。

 ヴェルガの使者が、サルディア王宮に、正式な文書を提出した。その内容に、外務府は騒然となった。安堵に包まれていた空気が、一瞬で、凍りついた。

「ヴェルガは、こう主張しています。――両国関係の崩壊、リンドルとの対立、そして此度の戦争危機。そのすべての元凶は、オーレリア・ヴェントが、ヴェルガ在職中に残した『誤訳』にある、と」

 その報告に、私は、自分の耳を疑った。

「誤訳……? 私の?」

「はい。ヴェルガは、ヴェント殿が意図的に、あるいは過失で、重要な条約や書簡を誤って訳した。それが、後の混乱の種を蒔いた、と。証拠の文書も、添えられています」

 差し出された写しを、私は震える手で受け取った。

 そこには、確かに「私が訳した」とされる文書があった。リンドルとの条約の、一節。けれど、その訳は――明らかに、誤っていた。私なら、決して選ばない、稚拙な字義訳。リンドルの慣用句を、そのまま、字義通りに訳した、あの誤り。

「こんなもの、私は訳していません……!」

 声が、上ずった。

「これは、偽物です。私の訳ではない。私は、こんな誤りを犯したことは、一度も――」

 けれど、言いながら、私は血の気が引いていくのを感じた。

 偽物だと、どう証明する? 私が訳したのではないと、どうやって?

 ヴェルガは、私が反論できないことを、見越している。私はもう、ヴェルガの人間ではない。あの国の記録庫に、自由に立ち入ることもできない。私の正しい訳がどこにあるのか、確かめる術がない。卑劣な、けれど、巧妙な罠だった。

 しかも、この字義訳の癖。これは――私の後任が犯した、あの誤訳の癖そのものだ。後任が実際に犯した過ちを、私のものとして、すり替えている。なんという、倒錯。実際に誤訳を防げたはずの私に、その誤訳の責任を、着せようとしている。

 すべてが、見えてきた。彼らは、自らの過ちを認められず、その責任を、追い出した私に、なすりつけようとしている。私を切り捨てた判断が、間違っていたと認めれば、自分たちの非が、明らかになる。だから、混乱の原因を、すべて、私の「過去の誤訳」に、すり替えた。私さえ悪者にすれば、彼らは、傷つかずに済む。

 なんて、卑怯な。怒りが、こみ上げる。けれど、ここで感情的になっては、相手の思う壺だ。私は、深く息を吸い、込み上げる怒りを、静かに、抑え込んだ。冷静に。冷静に、対処しなければ。感情に流された読みは、必ず、誤る。あの失敗で、私は、それを学んだはずだ。

 私は、写しを、もう一度、丹念に読み返した。誤訳の内容、文体、言葉の選び方。そのすべてが、私のものではないと、私には、分かる。私の訳には、私の癖がある。リンドルの慣用句を、決して字義通りには訳さない、私なりの流儀が。この偽文書には、それがない。むしろ、後任の、あの稚拙な癖が、色濃く残っている。

 けれど――それを、どう、他人に証明すればいいのか。「これは私の癖ではない」と言ったところで、それは、私の主張にすぎない。客観的な、動かぬ証拠が、要る。私の訳が、本当はどうだったのかを、示すものが。

 ロドリク侯が、難しい顔で言った。

「これが事実なら、由々しき事態だ。だが、もし濡れ衣なら、ヴェルガの卑劣な策謀ということになる」

 貴族たちの間に、動揺が走った。せっかく、和平の糸口が見えたところに、この告発。事態は、再び、混迷を深めていく。

「いずれにせよ、ヴェルガは、この告発を盾に、要求してきています。――『元凶であるヴェント殿の身柄を、ヴェルガに引き渡せ』と」

 引き渡し。

 その言葉に、私は凍りついた。

 ヴェルガに戻されれば、どうなるか。濡れ衣を着せられ、すべての責任を負わされ、見せしめにされるだろう。あの国に、私を公正に裁く気など、ない。私は、彼らの保身のための、生贄にされる。

 そして――サルディアの貴族の中には、戦争を避けるために、私を差し出すべきだと考える者も、出てくるだろう。一通訳の身柄で戦争が避けられるなら、安いものだと。その計算が、成り立ってしまう。

 私は、絶体絶命の窮地に、立たされた。

 言葉に、誠実であろうとしてきた。それだけが、私の誇りだった。誰にも見られなくても、正確であろうと、心を砕いてきた。なのに、その言葉を、捏造され、武器にされ、私自身を陥れる罠にされている。私が最も大切にしてきたものを、踏みにじられている。

 悔しさと、恐怖が、込み上げた。膝が、震えそうになる。

 けれど――俯いている場合では、なかった。

 私は、ぐっと顔を上げた。失敗から立ち直ったあの時のように。ここで、崩れてはいけない。

 この濡れ衣を、晴らさなければ。どんな手を使ってでも。私の言葉の、誇りにかけて。私は、罠を仕掛けた者たちの悪意を、必ず、暴いてみせる。そう、固く、決意した。

 動かぬ証拠。それを、どこで、見つければいいのか。私の本物の訳は、ヴェルガの記録庫にある。けれど、私には、もう、そこへ立ち入る術がない。ジェラルドは、それを見越して、この罠を仕掛けたのだ。

 けれど――必ず、道はあるはずだ。記録の魔法は、書き換えられない。私の正しい訳は、消されることなく、必ず、どこかに、残っている。それを、表に出す方法さえ、見つかれば。

 私は、思考を巡らせた。恐怖に、震えている場合ではない。これは、私の言葉と、誇りをかけた、戦いなのだから。冷静に、知恵を尽くして、この窮地を、切り抜けてみせる。窓の外を見つめる私の目には、もう、怯えではなく、闘志が、宿っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ