第38話 責任転嫁
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ヴェルガ王宮。
サルディアが示した和平の落とし所は、ヴェルガの強硬派を、追い詰めていた。それを受け入れれば、戦争は避けられる。だが、ここまで強硬に出た手前、和平に転じれば、その失策の責任が、改めて問われることになる。誰が、この混乱を招いたのか。誰が、国を、戦争の淵まで追い込んだのか。その追及から、逃れる術は、なかった。
そして、責任の矛先は、ジェラルドとハーヴェイに向かおうとしていた。
「モルテーン殿。ハーヴェイ殿。此度の不始末、お二人の責任は、免れますまい」
貴族たちの冷たい視線が、二人に、注がれる。
ジェラルドは、焦りに駆られていた。背中に、冷たい汗が流れる。このままでは、すべての責任を、自分が負わされる。地位も、名誉も、すべてを失う。それだけは、何としても、避けねばならなかった。
彼は、ついに、かねてからの卑劣な計画を、実行に移すことにした。追い詰められた獣が、最後に牙を剥くように。
「予定通り、進める」
彼は、ハーヴェイに、低く囁いた。
「すべての元凶は、オーレリア・ヴェントが残した『誤訳』にあった――そういうことにする。あの女が、在職中に、致命的な誤訳を残した。それが、後の混乱の、すべての始まりだった、とな」
「だが、ジェラルド殿」
ハーヴェイが、青ざめた顔で言った。
「本当に、やるのか。あの娘の本物の記録を封じ、偽りを仕立てる……一度、踏み出せば、もう、後戻りはできんぞ」
「今さら、何を言う」
ジェラルドの目が、暗く光った。先夜、二人で固めた策。その実行を、もう、ためらう気は、彼にはなかった。
「記録庫の細工は、すでに、手をつけている。本物の訳は、奥深くに封じた。あとは、偽の文書を、あの女のものとして仕上げ、告発状とともに、使者に持たせるだけだ。日付さえ偽れば、誰にも、見分けはつかん」
「しかし、それは……」
ハーヴェイは、なおも、ためらった。無実の者に、罪を着せる。それも、かつて自分たちが仕えさせ、そして切り捨てた、あの娘に。さすがに、外交官としての良心が、痛んだ。
「ほかに、道があるか!」
ジェラルドは、声を荒げた。その声には、追い詰められた者の、必死さが滲んでいた。もはや、正道で挽回する余地は、残されていなかった。和平の落とし所を受け入れれば、責任を問われる。突っぱねれば、戦争になる。どちらに転んでも、自分たちの失策が、白日の下に晒される。残された道は、ただ一つ。すべてを、追い出した女のせいに、することだけ。
「あの女は、もう国を出た。サルディアにいる。反論する術も、後ろ盾もない。すべての罪を、あの女にかぶせてしまえば――我々は、助かる。そればかりか、サルディアへの抗議にも、大義名分が立つ。『元凶であるあの女を、引き渡せ』とな。一石二鳥だ」
卑劣な計画は、二重の狙いを持っていた。自分たちの保身と、そして――サルディアからオーレリアを引きずり出すこと。彼女が、サルディアで重用されていることも、ジェラルドには、面白くなかったのだ。捨てた女が、隣国で輝いている。その事実が、彼の歪んだ自尊心を、刺激していた。
かつて、彼は、オーレリアを「口寄せ役」と侮り、婚約まで解消した。通訳など、替えがきくと。その判断が、いかに誤っていたか、今や、誰の目にも明らかだった。彼女が抜けた途端、ヴェルガの外交は、崩壊した。それは、彼の判断の誤りを、何より雄弁に、証明していた。
だからこそ、ジェラルドは、それを認められなかった。認めれば、自分の無能を、認めることになる。だから、彼は、現実から目を逸らし、すべてを、オーレリアのせいにしようとした。自分は悪くない。あの女が、誤訳を残したから、こうなった。そう信じ込むことで、かろうじて、自尊心を、保とうとしていた。哀れな、けれど、危険な、自己欺瞞だった。
ハーヴェイは、しばらく逡巡した。けれど、結局、保身に屈した。年老いた彼には、今さら、すべてを失う勇気も、罪を償う勇気も、なかった。
「……分かった。やろう」
その一言で、罠は、動き出した。
闇の中で、無実の罪を着せるための、卑劣な仕掛けが、着々と、組み上げられていく。記録を消し、偽の証拠を作り、日付を偽る。彼らの堕落は、ついに、そこまで来ていた。かつて、言葉を運ぶ仕事に携わった者が、その言葉を、偽りのために、歪める。それは、外交官としての、最後の一線を、踏み越える行為だった。
ジェラルドは、偽の証拠の作成に、取りかかった。後任の通訳が実際に犯した、リンドルとの対立を招いた、あの稚拙な誤訳。それを、記録の魔法で、新たに記録し直す。日付を、オーレリアの在職中のものに、偽装して。そして、本物の――オーレリアが残した正確な訳の記録を、記録庫の奥深くに、封じた。誰の目にも、触れぬように。
彼は、自分の計画に、絶対の自信を持っていた。本物さえ隠してしまえば、偽物だけが、表に残る。あの女が、ヴェルガの記録庫に立ち入れるはずもない。反論は、不可能だ。完璧な罠だ、と。
けれど、彼は、見落としていた。記録の魔法の、もう一つの性質を。そして、ヴェルガにまだ残る、一人の老外交官――かつて、オーレリアの実力を、唯一認めていた、あの男の存在を。その慢心が、いずれ、彼自身の足元を、崩すことになるとは、夢にも思わずに。
その不穏な動きは、まだ、私のもとには届いていなかった。
戦争回避の手応えに、サルディアの外務府が、わずかな安堵に包まれていた、まさにその時。ヴェルガから、新たな使者が、サルディアへ向けて発っていた。私を、名指しで告発する、一通の文書を携えて。毒を含んだ、その文書を。




