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王宮筆頭通訳官を辞めた翌朝、二国間の会話はすべて噛み合わなくなった  作者: ヲワ・おわり


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36/70

第36話 挽回

全70話で完結予定です。毎日5話ずつ、7:10 / 12:10 / 17:10 / 20:10 / 22:10 に投稿します。

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 挽回の交渉の日が来た。

 今度は、私一人の読みに頼らない。レナや文官たちと築いた情報網。幾重もの言葉を突き合わせて見極めた、ヴェルガの本当の姿。それらが、私の武器だった。一度の失敗で得た教訓を、すべて、注ぎ込む。

 交渉の前夜、私は、何度も、ヴェルガの本音を、検証した。商人の声、国境の動き、国内の貴族たちの分裂。それらが指し示す結論は、一つだった。ヴェルガは、戦争を望んでいない。ただ、引くきっかけを、探している。その確信は、もはや、揺らがなかった。願望ではなく、事実に裏打ちされた、確かな読み。

 そして、私は、ジェラルドが仕掛けた言葉の罠の癖も、すでに、掴んでいた。彼が、どんなふうに言葉を歪め、どこに偽りを仕込むか。それが分かれば、もう、惑わされることはない。敵の手の内を読み切った上で、私は、交渉の席に、臨むのだ。

 交渉の席で、ヴェルガの使者は、また強硬な姿勢を崩さなかった。

 《サルディアが非を認め、賠償を払わぬ限り、我が国は一歩も引かぬ》

 付き従う通訳が、それを訳す。強硬な、決裂も辞さぬという言葉。けれど私は、その言葉の裏を、はっきりと見抜いていた。今度は、焦りに惑わされず、冷静に。集めた無数の情報と、照らし合わせながら。

「恐れながら、使者殿」

 私は、静かに割って入った。

「今のお言葉、強硬に聞こえます。けれど、私はこう受け取りました。――『面子さえ立てば、引く余地はある。だが、一方的に屈したと見られることだけは、避けたい』。違いますか」

 使者の表情が、わずかに揺れた。図星を突かれた者の、動揺。

「貴国は、戦争を望んでおられない。国境の商人たちも、国内の慎重派も、皆、それを恐れている。ただ、ここまで強硬に出てしまった手前、何の成果もなく引けば、強硬派の面子が潰れる。――それが、本当のところでは?」

 使者は、答えに詰まった。沈黙が、何よりの肯定だった。

 私は、すかさず、解決の筋道を示した。願望ではなく、確信を持って。

「ならば、双方が面子を保てる道があります。サルディアは『非を認める』のではなく、『遺憾の意』を表明する。ヴェルガは『賠償』ではなく、『今後の通商上の優遇』という実利を得る。どちらも、屈したのではなく、対等な合意に至ったと、自国に説明できます。誰も、負けない。けれど、争いは、避けられる」

 使者の目が、見開かれた。彼の表情に、安堵の色が、よぎる。戦争を望んでいなかったのは、彼自身も、同じだったのだろう。ただ、退く道が、見つからなかっただけ。私は、その道を、彼の前に、そっと、差し出したのだ。

 それは、ヴェルガの強硬派も、サルディアの貴族も、双方が受け入れられる、絶妙な落とし所だった。誰も「負けた」と感じない。けれど、戦争は回避される。両国の、隠された本音を、同時に満たす一手。これこそが、言葉を運ぶ者にしか、架けられない橋だった。剣でも、力でもなく、言葉で、争いを、収める。

 交渉は、潮目が変わった。

 私は、敵が仕掛けた言葉の罠にも、惑わされなかった。ジェラルドの癖を見抜いていたから、どこに偽りが仕込まれているか、すぐに分かった。歪められた言葉を、一つずつ、正しく読み解いていく。今度は、焦りも、慢心も、なかった。ただ、冷静に、確かに。

 ヴェルガの使者は、その案を持ち帰り、検討すると約束した。完全な妥結ではないが、戦争へ傾きかけた針が、確かに、和平の方へ戻り始めた。決裂寸前だった空気が、和らいでいく。

 交渉のあと、ロドリク侯が、私のもとへ歩み寄ってきた。

 彼は、苦々しい、けれど、どこか観念したような表情をしていた。

「……見事な読みだった。認めよう。先の失敗を取り返したばかりか、戦争回避の糸口まで掴むとは」

 それは、ロドリク侯が、初めて私に向けた、賞賛の言葉だった。

「ヴェント殿。私は、あなたの忠誠を疑った。実力さえ、認めようとしなかった。だが、間違っていたのかもしれぬ。あなたが守ろうとしているのは、国でも、誰かでもない。――ただ、言葉に誠実であること。それを、見誤っていた」

「……侯」

「実力なら、認める。それが、私の流儀だ。あなたは、失敗からも、立ち直ってみせた。それは、生半可な者には、できぬことだ」

 ロドリク侯は、そう言い残して、去っていった。その背中には、もう、私への敵意は、感じられなかった。

 最も手強い敵対者が、私を、実力で認めた。失敗を、自分の力で、取り返したことで。

 私は、深い達成感に包まれた。守られてではなく、自分の足で、立ち直った。崖の縁から、自分の力で、這い上がった。その手応えが、これまでのどんな成功より、確かなものに感じられた。

 ヴェルガで「口寄せ役」と侮られ、サルディアで失敗を犯し、それでも、私は、ここまで来た。倒れても、立ち上がり、また歩き出す。その繰り返しの果てに、今の私が、いる。誰かに与えられた価値ではない。自分で、勝ち取った価値だ。

 その実感が、胸を、満たしていく。バルトが言っていた、「自分の価値を、自分で認めなさい」という言葉。その意味を、私は今、心の底から、理解していた。私は、価値のある人間だ。失敗しても、揺らがない。なぜなら、私は、失敗から立ち直る強さも、持っているのだから。

 そして、その私を、ずっと見ていた人がいた。広間の奥から、静かに、けれど、誰よりも温かい眼差しで。その視線に気づいたとき、私の胸は、また、優しく高鳴った。この人の前で、立ち直れたことが、何より、嬉しかった。

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