第28話 崩れゆく者たち
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ヴェルガ王宮。
サルディアの仲裁で、リンドルとの対立はひとまず収まった。だが、ヴェルガの威信は、地に落ちていた。「自国の問題を、隣国に仲裁してもらった国」――諸国は、ヴェルガをそう見るようになった。かつて、交易の要衝として栄えた大国の面影は、もう、どこにもなかった。
そして、その責任を問う声が、ジェラルド・モルテーンに集中した。
「モルテーン殿。此度の不始末、外交を預かる者として、いかに釈明なさる」
貴族たちの追及に、ジェラルドは青ざめた。冷や汗が、こめかみを伝う。
「わ、私の落ち度ではない! すべては、通辞院の訳が――」
「その通辞院から、優秀な通訳官を追い出したのは、あなたでしょう」
誰かが、冷ややかに言った。その一言に、ジェラルドは、返す言葉を失った。
「『口寄せ役』と侮って、婚約まで解消して。その女が抜けた途端、この体たらく。あなたの判断こそが、すべての始まりではないのか」
ジェラルドは、言い返せなかった。
オーレリアを切り捨てたのは、紛れもなく彼自身の判断だった。あの時は、それが正しいと信じていた。通訳など、替えがきく。言葉を訳すだけの、誰にでもできる仕事だと。だが現実は、残酷なまでに、彼の慢心を打ち砕いた。彼女がいなくなって初めて、彼女が支えていたものの大きさが、誰の目にも、明らかになったのだ。
彼の隣で、ハーヴェイ院長もまた、失脚の瀬戸際に立たされていた。通辞院の長として、混乱の責任を免れない。長年、保身だけで地位を守ってきた彼にとって、これは、致命的な危機だった。
追い詰められた二人は、私室で、ひそかに額を突き合わせた。燭台の灯が、二人の青ざめた顔を、不気味に照らしている。
「このままでは、我々は終わりだ」
ハーヴェイが、声を潜めた。
「何か、責任を転嫁する先が要る。誰かのせいにせねば……」
「誰かの、せい」
ジェラルドの目に、暗い光が宿った。追い詰められた獣のような、危うい光だった。
「……いるではないか。いちばん、都合のいい相手が」
「まさか」
「オーレリアだ。あの女が、在職中に残した訳に、誤りがあった。だから、後の混乱が起きた。――そういうことにすれば」
ハーヴェイが、息を呑んだ。
「だが、オーレリアの訳は、正確だったはずだ。記録の魔法で、すべて残っている。覆せるものか」
「記録など、見る者がいなければ、ないも同然だ」とジェラルドは嘯いた。「都合の悪い記録は隠し、偽の証拠をでっち上げればいい。あの女は、もう国を出た。サルディアにいる。反論する術も、後ろ盾もない。すべての罪を、あの女にかぶせてしまえば――我々は、助かる。そればかりか、サルディアへの抗議の口実にもなる。『元凶を、引き渡せ』とな」
卑劣な計画が、闇の中で形を取り始めた。
自らの過ちを認めることなく、それを切り捨てた者になすりつける。さらには、その濡れ衣を使って、サルディアからオーレリアを引きずり出す。彼らの保身は、ついに、そこまで堕ちようとしていた。良心の呵責という言葉は、追い詰められた彼らの胸からは、とうに、消え失せていた。
ハーヴェイは、しばらく逡巡した。さすがに、無実の者に罪を着せることへの、ためらいがあったのだ。長く外交に携わってきた者として、言葉を歪め、記録を偽ることが、どれほどの罪か、彼には、分かっていた。それは、外交官としての、最後の矜持を、自ら踏みにじる行いだった。
けれど――結局、彼は、保身に屈した。自分の地位を失うことへの恐怖が、わずかに残っていた良心を、押し流してしまった。年老いて、今さら、すべてを失うことが、彼には、耐えられなかったのだ。
「……分かった。やろう」
その一言を口にした瞬間、ハーヴェイは、自分の中で、何か大切なものが、音を立てて崩れるのを感じた。けれど、もう、引き返せなかった。
その一言が、すべての始まりだった。そして、その罪は、いずれ、彼ら自身を、最も深いところで、裁くことになる。
計画は、周到に進められた。
ジェラルドは、まず、オーレリアが在職中に関わった案件の記録を、いくつか「紛失」したことにした。記録の魔法で残された原本は消せない。けれど、それを記録庫の奥深くに封じ、誰の目にも触れぬようにすることは、できる。本物さえ隠してしまえば、偽の証拠だけが、表に残る。
次に、彼は、後任の通訳が実際に犯した誤訳――リンドルとの対立を引き起こした、あの稚拙な字義訳を、「オーレリアが残したもの」として、記録し直した。記録の魔法は、新しく記録すれば、本物のように見える。日付さえ巧妙に偽装すれば、誰も、真偽を確かめられないはずだった。
彼は、自分の計画に、絶対の自信を持っていた。あの女は、もう国を出た。ヴェルガの記録庫に立ち入る術もない。反論する後ろ盾もない。すべての罪を、あの女にかぶせれば、自分は助かる。そう、信じきっていた。
けれど、彼は、一つ、見落としていた。記録の魔法の、もう一つの性質を。そして、ヴェルガにまだ残る、一人の老外交官の存在を。その慢心が、いずれ、彼自身の首を絞めることになるとは、このときの彼は、夢にも思っていなかった。
その不穏な動きは、まだ、サルディアにいる私のもとには、届いていなかった。
仲裁の成功に、外務府が、わずかな安堵に包まれていた、まさにその時。遠いヴェルガで、私を陥れる罠が、静かに、けれど確実に、編まれ始めていた。




