第27話 二人の交渉
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ヴェルガとリンドルの対立は、両国に通商路を持つサルディアをも、巻き込もうとしていた。放置すれば、サルディアの隊商も足止めを食い、損失は計り知れない。事は、もはや、対岸の火事では済まなくなっていた。
「この対立を、サルディアが仲裁する」
殿下が、決断した。武力ではなく、言葉で解決を図る。それが、殿下の選んだ道だった。
「ヴェルガとリンドル、双方の言い分を聞き、誤解を解く。その仲裁の場で、通訳を務めてほしい。――ヴェント、君に頼みたい」
「私で、よろしいのですか。ヴェルガの、出身ですが」
「君だからこそ、頼みたい。ヴェルガとリンドル、双方の言葉の機微を知るのは、君だけだ。この大陸広しといえど、両国の言葉の裏まで読める者は、ほかにいない」
その信頼に、私は深く頷いた。母国を救う仕事を、母国の言葉を、他国の場で読み解くことで果たす。皮肉だけれど、これこそ、私にしかできない役目だった。
仲裁の席は、緊張に満ちていた。
ヴェルガの使者と、リンドルの使者。互いに、相手が先に無礼を働いたと信じ込み、一歩も引かない。両者の間には、もはや、修復不可能に思えるほどの、深い溝が横たわっていた。
だが、私には見えていた。両国の対立の、本当の根が。それは、憎しみでも、利害でもない。たった一つの、言葉の取り違えだった。
「リンドルの使者殿」
私は、慎重に口を開いた。
「ヴェルガが先に送った書簡、『相応の対応を考えている』という一文。あれを、貴国は『貸し借りの清算を迫る催促』と受け取られた。違いますか」
「いかにも。あまりに無礼な物言いであった」
リンドルの使者は、苦々しげに頷いた。
「ですが、ヴェルガにその意図はありませんでした。あの一文は、ヴェルガの言葉では、ただの社交辞令――『今後ともよろしく』という程度の、軽い意味だったのです。訳した者が、リンドルの言葉の重みを、知らなかった。それだけのことなのです」
リンドルの使者が、目を見開いた。
「では……あれは、催促では、なかったと?」
「はい。すべては、言葉の取り違えから始まった、すれ違いです。どちらの国にも、敵意はなかった。ただ、互いの言葉の作法を、知らなかっただけ」
私は、ヴェルガの使者にも向き直り、リンドル側の言い分の、本当の意味を解き明かした。互いが「無礼」と感じた言葉の、本当の意図を、一つずつ、丁寧に訳し直していく。誤解の糸が、一本、また一本と、ほどけていく。
言葉とは、なんと脆く、そして、なんと力強いものだろう。たった一語の取り違えが、国と国を、戦の淵まで追い詰める。けれど、その一語を、正しく訳し直すだけで、こうして、和解の道が開ける。私は、その仕事の重みを、改めて、噛みしめていた。
殿下は、私の訳を信じ、それを土台に、両国の歩み寄りを促した。私が言葉の誤解を解き、殿下が和解の枠組みを示す。私が読み、殿下が決める。二人の呼吸は、驚くほど、合っていた。言葉にせずとも、互いの考えが、伝わる。それは、不思議なほど、心地よい感覚だった。
半日後。
張り詰めていた両国の使者の表情が、ようやく緩んだ。すべては誤解だった。そう分かれば、もう争う理由はない。仲裁は、成立した。戦の芽は、言葉によって、摘み取られた。
「見事だった、ヴェント」
仲裁のあと、殿下が言った。その声には、純粋な喜びがあった。
「君と仕事をすると、まるで、長年連れ添った相棒のようだ。言葉にせずとも、互いの考えが分かる。こんな感覚は、初めてだ」
相棒。
その言葉に、私の胸が、温かく震えた。
レナの話を聞いてから、私は殿下を、少しだけ違う目で見るようになっていた。この方の言葉の一つ一つに、本当は、どんな想いが込められているのか。考えると、頬が熱くなる。
けれど――まだ、確信は持てなかった。「相棒」という言葉も、仕事仲間への賛辞かもしれない。すれ違いの核は、まだ、解けていない。私たちは、互いの想いを、まだ、訳し合えてはいなかった。
仲裁を終えて、私たちは、並んで会議場を後にした。窓の外には、もう、夕日が傾いていた。長い一日だった。けれど、その疲れは、心地よいものだった。
「君がいなければ、この仲裁は、まとまらなかった」
殿下が、ぽつりと言った。
「私一人では、両国の言葉の溝を、埋めることはできなかった。君が、その溝に、橋を架けてくれた」
「いいえ。殿下が、私の訳を、信じてくださったからです。どれほど正確に訳しても、それを信じて決断する方がいなければ、言葉は、ただの音にすぎません」
私が言うと、殿下は、少し驚いたように、私を見た。それから、ふっと、口元を緩めた。
「……君は、本当に、言葉というものを、よく分かっているな」
その柔らかな表情に、私の胸が、また、高鳴る。仕事の話をしているはずなのに。なぜ、こんなにも、この人の前では、心が騒ぐのだろう。
それでも。並んで仕事をするこの時間が、私には、かけがえのないものに、思え始めていた。その変化だけは、もう、否定できなかった。
母国を救う仕事を、愛しい人とともに、成し遂げる。そのことの幸福を、私は、噛みしめていた。たとえ、この想いが、まだ、名前のないものだとしても。
けれど、平穏は、長くは続かないだろう。そんな予感が、胸の片隅に、確かにあった。ヴェルガの崩壊は、まだ、終わっていない。むしろ、これからが、本当の正念場なのかもしれない。その時、私は、私の言葉で、何を守れるのだろうか。夕日に染まる回廊を歩きながら、私は、静かに、来るべき日に、思いを馳せた。




