第20話 奪還の影
全70話で完結予定です。毎日5話ずつ、7:10 / 12:10 / 17:10 / 20:10 / 22:10 に投稿します。
面白いと思っていただけましたら、評価で応援してもらえると励みになります。
多国間交渉での働きが知れ渡り、私の評価は、サルディア宮廷で確固たるものになっていた。
もはや、私を「他国の女」とあからさまに侮る者はいない。ロドリク侯でさえ、表立っては口を出さなくなった。実力で示せと言われ、実力で応えた。その結果が、ようやく形になりつつあった。
「ヴェント様、すっかり宮廷の名物ですよ」
レナが、嬉しそうに言った。
「『あのヴェルガの通訳は、言葉の裏まで読む』って。皆、口々に噂してます」
「噂になるのは、少し気恥ずかしいけれど」
「いいじゃないですか! ヴェント様は、もっと自信を持っていいんです」
自信。その言葉を、私は静かに胸の中で転がした。
バルトに「自分の価値を、自分で認めなさい」と言われたとき、私はそれを信じきれなかった。けれど今、少しずつ、分かり始めている。私の仕事には、価値がある。それを、この国の人々が、証明してくれている。
誰かに認められて、初めて、自分を認められるようになる。それは、少し情けないことかもしれない。けれど、ヴェルガで、ずっと否定され続けてきた私には、その「認められる」という経験が、何より、必要だったのだ。乾いた土が、雨を吸い込むように。私は、この国で与えられる承認を、少しずつ、心に染み込ませていった。
「ヴェント様、自信がついてきましたね」
「……そう、かしら」
「はい。背筋が、すっと伸びて。前は、いつも、申し訳なさそうにしてらしたのに」
レナの言葉に、私は、苦笑した。確かに、ヴェルガにいた頃の私は、いつも、肩をすぼめて、俯いていた。自分が、ここにいてもいい人間なのか、いつも、自信がなかった。
けれど今は、違う。ここには、私の居場所がある。私の言葉を、待っている人がいる。その実感が、私の背筋を、まっすぐに伸ばしてくれていた。
私を、待っている人。その言葉を、心の中で繰り返すと、自然と、一人の人の顔が、浮かんでくる。寡黙で、不器用で、けれど、誰よりまっすぐな、あの方の。
いけない、と私は、小さく頭を振った。仕事中だというのに、何を考えているのだろう。けれど、一度浮かんだその面影は、なかなか、消えてくれなかった。
最近の私は、おかしい。殿下のことを考えると、胸が、ざわつく。落ち着かなくなる。この感覚に、名前をつけることを、私は、ずっと、避けてきた。けれど、避ければ避けるほど、その感覚は、確かなものになっていく気がした。
そんな折、殿下の様子に、わずかな変化が現れた。
以前にも増して、私のそばにいることが多くなった。仕事の用がなくとも、執務室に顔を出す。私の意見を求める頻度も、増えた。そして、あの長い眼差しは、ますます、深く、長くなっていった。
その変化の意味を、私はやはり測りかねていた。けれど、レナは違ったらしい。
「殿下、もう隠す気もないみたいですね」
彼女は、にやにやしながら言った。
「な、何の話?」
「いえいえ、こっちの話です」
からかうように笑うレナに、私は頬を赤くした。
まさか。そんなはずは。私は、ただの通訳官で――。
そう打ち消そうとするのに、心臓は、勝手に高鳴る。最近の私は、殿下の顔を見るたびに、こうなる。声を聞くたびに、胸が騒ぐ。その理由を、私は、まだ、認められずにいた。認めてしまえば、引き返せなくなる。その予感が、私を、臆病にさせていた。
その日の夕刻、外務府に、思いがけない来客があった。
ヴェルガの使者だった。
応対に出た殿下の表情が、見たことのないほど硬くなった。私も、執務室の隅で、息を詰めてその様子を見守った。
使者は、慇懃に告げた。
「サルディア王太子殿下に、我が国よりお願いがございます。――そちらに身を寄せておられる、オーレリア・ヴェント殿。彼女を、ヴェルガにお返しいただきたい」
返せ。
その言葉に、私は凍りついた。物のように。誰かに「返せ」と言われる。その響きの冷たさに、背筋が、ぞっとした。
「彼女は、我が国にとって、なくてはならぬ人材。先の混乱も、彼女が戻れば、すべて収まりましょう。ヴェルガは、彼女に相応の地位を――そして、かつての婚約の復活すら、お約束する用意がございます」
婚約の、復活。
私を「口寄せ役」と切り捨てたジェラルドが、今になって、私を取り戻そうとしている。崩壊の責任から逃れるために。自分たちの保身のために。
その厚かましさに、私は怒りよりも先に、寒気を覚えた。あれほど私を侮っておきながら、都合が悪くなれば、また「必要だ」と手を伸ばす。彼らの目には、最後まで、私という人間が、映っていないのだ。私の心も、誇りも、まるで、勘定に入っていない。
殿下は、使者を冷ややかに見据えたまま、しばらく何も言わなかった。
その横顔には――かすかな、けれど確かな動揺が、滲んでいた。私が、母国へ戻ってしまうのではないか。そう案じているかのような。普段は揺るがぬこの方が、なぜ、こんな顔を。その理由を、私は、考えないようにした。考えれば、また、淡い期待が、芽生えてしまうから。
私を、返せ。
その横暴な要求は、皮肉にも、私自身の心を、はっきりと照らし出そうとしていた。私は、本当は、どこにいたいのか。誰の、そばに。
その要求が、私の運命を、そして殿下との関係を、大きく揺るがそうとしていた。
静まり返った執務室で、私はただ、自分の心臓の音だけを、聞いていた。早鐘のように打つその音は、不安からか、それとも――別の何かからか。私には、まだ、分からなかった。




