表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王宮筆頭通訳官を辞めた翌朝、二国間の会話はすべて噛み合わなくなった  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/70

第14話 衆目の前で

全70話で完結予定です。毎日5話ずつ、7:10 / 12:10 / 17:10 / 20:10 / 22:10 に投稿します。

面白いと思っていただけましたら、評価で応援してもらえると励みになります。

 多国間交渉の卓は、緊張に満ちていた。

 東のカルナ、西のメルダ、そして北方のもう一国。三国の使者が居並び、その後ろには、ロドリク侯をはじめとするサルディアの貴族たちが、品定めの目を光らせている。

 私は、殿下のすぐ後ろに控えた。

 ロドリク侯の視線が、ちらりと私を捉えた。失敗を待つ目だ。けれど、私は、まっすぐ前を見据えた。怯えは、もう、振り捨ててきた。

 交渉は、最初から難航した。各国が表向きの要求を譲らず、議論は堂々巡りに陥る。卓上の空気が、じりじりと張り詰めていく。

「やはり、無理筋なのではないか」

 貴族の一人が、聞こえよがしに呟いた。ロドリク侯が、満足げに口の端を上げる。

 その時だった。

 カルナの使者が、苛立ったように言い放った。

 《サルディアは、我が国の立場をまるで理解していない。これでは、話にならぬ》

 付き従う通訳が、それをそのまま訳そうとする。「話にならない」――決裂宣言と。

 ――違う。

 私は、その言葉の裏を、はっきりと聞き取っていた。声の調子。最後にわずかに残された、ためらいの間。それは、席を立つ者の言葉ではない。むしろ、本音を引き出してほしいと、暗に訴える者の言葉だった。

 私は、一歩、進み出た。

「恐れながら、発言の許可を」

 ロドリク侯が、目を細める。来たな、とでも言いたげに。

 私は構わず、カルナの使者に向き直った。

「カルナの使者殿。今のお言葉、私はこう受け取りました。『サルディアは、我が国が本当に求めているものを、まだ卓に乗せていない。それを示してほしい』――と。違いますか」

 使者が、はっと顔を上げた。

「貴国が求めておられるのは、通商路の分配ではない。自国の特産品を、独占的に流す販路。その確約がないまま分配の話を進められても、応じようがない。――そうですね?」

 使者は、しばらく私を見つめ、それからゆっくりと、深く頷いた。

「……いかにも。よくぞ、見抜かれた」

 卓上の空気が、音もなく変わった。

 貴族たちの間に、小さなどよめきが走った。決裂宣言と思われた一言が、実は、本音を引き出してほしいという、隠れた要請だった。それを、私は、声の調子と、わずかな視線の動きから、読み取った。

 私の中で、静かな確信が、燃えていた。言葉の裏を読むこと。それは、決して、誰にでもできることではない。長い年月をかけて、無数の言葉と向き合い、人の心の機微を、肌で覚えてきた者にしか、できないこと。私は、それを、たった一人で、積み重ねてきた。その積み重ねが、今、ここで、ものを言う。

 私は、すかさず、筋道を示した。カルナには販路を、メルダには通行税の保証を。それぞれの本音を満たす取引を、一つずつ、卓に乗せていく。表の言葉ではなく、裏の本音で。

 ひとたび本音が卓に乗れば、交渉は、驚くほど滑らかに進んだ。互いに、相手が何を本当に欲しているか分かれば、譲るべきところと、守るべきところが、見えてくる。私は、ただ、その見えない本音を、言葉にして、両者の間に並べただけ。けれど、それこそが、いちばん難しいことだった。

 使者たちが、次第に身を乗り出してくる。先ほどまでの、刺々しい空気は、もうどこにもなかった。

 その様子を、殿下が、静かに見守っていた。私が言葉の橋を架けるたび、殿下は、王太子としての権威で、それを保証していく。私が示した本音の取引を、「サルディアは、それを約束する」と、重みのある一言で、裏づける。

 二人の呼吸は、不思議なほど、合っていた。私が読み、殿下が決める。言葉にせずとも、互いの考えが伝わる。その感覚が、心地よかった。

 堂々巡りだった議論が、潮が引くように整理されていった。三国の使者の表情が、次第に和らいでいく。自分たちの本当の望みが、ようやく卓に乗ったのだ。

 半日後、交渉は合意に至った。

 居並ぶ貴族たちは、言葉を失っていた。決裂寸前だった多国間交渉が、一人の通訳の働きで、すべての国が得をする形にまとまったのだ。

 ロドリク侯さえ、苦々しげに口を閉ざしていた。

「見事だった」

 殿下が、立ち上がり、衆目の前で、はっきりと言った。

「ヴェント殿の働きなくして、この合意はなかった。彼女は、サルディアにとって、なくてはならぬ人材だ。――異論のある者は?」

 誰も、何も言わなかった。

 私は、深く頭を下げた。胸が、熱かった。示せた。私の仕事が何であるかを、この国の人々の前で、確かに示せた。

 退出する間際、殿下が、すれ違いざまに、私だけに聞こえる声で言った。

「……君を、誇りに思う」

 その一言に、心臓が、跳ねた。

 すれ違いざまに、私だけに告げられた言葉。その低い声音には、ただの賞賛とは違う、何か、もっと、温かいものが、滲んでいた気がした。

 誇りに思う。それは、有能な部下への賞賛だろうか。それとも――。

 私は、その言葉の真意を、また読みあぐねた。他国の使者の本音なら、あれほど鮮やかに読めたのに。殿下の、たった一言の意味だけは、霧の向こうにあるようで、掴めない。掴もうとすると、胸が、苦しくなる。だから私は、いつものように、考えるのを、やめた。

 けれど一つだけ、確かなことがあった。

 この方の前で、私はもう、「替えのきく口寄せ役」ではない。一人の専門家として、一人の人間として、確かに、ここにいる。

 その実感が、じんわりと、胸を満たしていった。その夜、私は、久しぶりに、満ち足りた気持ちで眠りについた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ