第13話 試される
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多国間交渉の日が、近づいていた。
ロドリク侯は、抜け目なく手を回していた。交渉の場には、サルディアの主立った貴族たちが立ち会うことになった。表向きは「重要な交渉ゆえ」だが、その実、私の力量を衆目に晒し、品定めするための舞台だった。
「これは、ヴェント様を陥れるための席ですよ」
レナが、心配そうに言った。
「もし少しでもしくじったら、ロドリク侯はそれを口実に、ヴェント様を追い出そうとするはずです。卑怯です、こんなの」
「卑怯、ではないわ」
私は、首を横に振った。
「実力で示せと言われたのだから、実力で応えるだけ。それが、この国の流儀でしょう?」
「でも……」
「ありがとう、レナ。心配してくれて」
私は、微笑んだ。レナの気遣いが、嬉しかった。
ヴェルガにいた頃なら、私は、ただ俯いて、与えられた評価を、黙って受け入れていただろう。理不尽だと思っても、口に出せず、心の中で飲み込むだけ。それが、私の生き方だった。
けれど、今は、違う。
示したいと、思っている。私の仕事が、何であるかを。言葉を運ぶということが、どれほどの技と、心を、必要とするかを。怯えて俯くのではなく、まっすぐ顔を上げて、応えたい。
その変化が、自分でも、不思議だった。サルディアに来て、私は、少しずつ、別の人間になっていく気がした。いや――本当の自分を、取り戻していく、のかもしれない。
「ヴェント様は、変わりました」
レナが、しみじみと言った。
「初めてお会いした頃は、なんだか、いつも申し訳なさそうにしてました。でも今は、ちゃんと、前を見てる」
「……そう、見える?」
「はい。素敵です」
その言葉が、くすぐったかった。前を見る。たったそれだけのことが、ヴェルガにいた頃の私には、できなかった。誰かが、私を、まっすぐに見てくれる場所に来て、初めて、私も、顔を上げられるようになったのだ。
その夜、執務室で資料を読み込んでいると、殿下が訪れた。
「根を詰めているな」
「殿下。このような夜更けに」
「明日のことだ。……ロドリク侯のやり方は、私の本意ではない。君を、見世物のように扱うつもりはなかった」
殿下は、めずらしく言葉を探すように、間を置いた。
「だが、ここで私が君を庇って交渉から外せば、それはかえって、君が独り立ちできぬ証になる。ロドリク侯の思う壺だ。だから――」
「だから、私に任せてくださるのですね」
私が引き取ると、殿下は少し驚いたように私を見て、それから頷いた。
「君は、すぐに、私の言いたいことを察する」
「殿下が、分かりやすいのです」
「……そんなことを言われたのは、初めてだな」
殿下が、めずらしく、苦笑した。「私は、誤解されやすい男だと、よく言われる。本心が、うまく言葉にならない。なのに、君は、いつも、私の言葉の先を読んでしまう」
その言葉に、私は、どきりとした。誤解されやすい、と殿下は言う。けれど、私には、この方の言葉は、いつも、まっすぐに届く。それが、なぜなのか。考えると、また、胸が騒ぐ。
「……話が、逸れたな」
殿下は、咳払いをした。
「君を、信じている」
信じている。
その言葉は、まっすぐで、けれど私の胸を、複雑にざわつかせた。
信じてくれるのは、嬉しい。けれど――それは、私の「腕」を信じているということ。仕事の能力を、見込んでくれているということ。そう思うと、嬉しさの中に、ほんの少し、寂しさのような何かが、混じった。
なぜ、寂しいのだろう。私は、その感情の正体を、あえて、追いかけなかった。追いかければ、もっと厄介な何かに、行き当たってしまう気がして。
「ご期待に、添えるよう努めます」
私が頭を下げると、殿下は、何か言いたげに口を開いて――やめた。
そして、執務室を出ていく間際、ぽつりと言った。
「君が、君の力で立つところを。私は、見たいんだ」
扉が、静かに閉まる。
一人になった部屋で、私はその言葉を、何度も反芻した。
君の力で立つところを、見たい。
それは、ただ仕事を任せる主の言葉だろうか。それとも――。
あの時の殿下の、どこか切実な声音を思い出すと、胸が、わずかに高鳴る。けれど私は、すぐにその考えを打ち消した。深読みは、私の悪い癖だ。他人の言葉ならいざ知らず、この方の言葉に、自分の願望を混ぜてはいけない。期待して、傷つくのは、いつも自分なのだから。
私は、再び資料に向き直った。
明日、私は試される。他国から来た、出自も後ろ盾もない通訳官として。けれど、それでいい。私には、言葉がある。
燭台の灯を頼りに、私は朝まで、各国の言の葉と向き合い続けた。
各国の使者の、これまでの発言を、頭の中で何度も再生する。声の調子、言葉の選び方、沈黙の置き方。その一つ一つから、彼らが明日、どんな本音を、どんな建前で包んでくるかを、予測していく。
窓の外が白み始める頃、ようやく、明日の交渉の筋道が、頭の中で一本の線になった。
疲れた目を閉じると、瞼の裏に、殿下の顔が浮かんだ。「君を、信じている」――その言葉が、不安を、そっと溶かしてくれる。
不思議なものだ。かつての私は、誰にも頼らず、一人で言葉と戦ってきた。なのに今は、誰かの信頼が、こんなにも、私を強くする。
――示してみせる。
言葉が、いかにして国を動かすのかを。そして、私という人間の、本当の価値を。
燭台の火が、ふっと小さく揺れた。夜明けは、もう、すぐそこまで来ていた。




