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王宮筆頭通訳官を辞めた翌朝、二国間の会話はすべて噛み合わなくなった  作者: ヲワ・おわり


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12/70

第12話 多国間の卓

全70話で完結予定です。毎日5話ずつ、7:10 / 12:10 / 17:10 / 20:10 / 22:10 に投稿します。

面白いと思っていただけましたら、評価で応援してもらえると励みになります。

 サルディアに来て初めて、私は大きな仕事を任された。

 北方三国を交えた、通商路を巡る多国間交渉。それぞれの国が、それぞれの思惑を抱えて卓に着く。言葉も、作法も、含みの持たせ方も、すべて異なる。一つの言葉が、ある国では誠意を、別の国では侮辱を意味することさえある。

「正直、こちらも全体像が掴めずにいる」

 殿下が、分厚い資料を私の机に置いた。

「各国が、表向きは『公正な通商路の分配』を口にしている。だが、本音はてんでばらばらだ。誰が、何を、どこまで欲しがっているのか。それが読めなければ、交渉の筋道が立たない」

「全権を、私が下準備しても、よろしいのですか」

「ああ。君に任せたい」

 その信頼に、私は深く頷いた。

 ヴェルガでは、こんな重要な案件を、私一人に任されることなど、決してなかった。下準備をしても、手柄は外交官のもの。私の判断が、表に出ることはなかった。

 なのに、この方は、当たり前のように「君に任せる」と言う。その一言が、どれほど、私を奮い立たせるか。

 私は、各国の過去の書簡を、片端から読み込んだ。表に出た要求ではなく、その言葉の選び方、繰り返される語、避けられている話題。それらを丹念に拾い、各国の本音の地図を、少しずつ、描いていく。

 その作業は、骨が折れた。けれど、私には、楽しくもあった。

 言葉の断片を、一つ一つ拾い上げ、組み合わせ、その国の本心という、見えない絵を浮かび上がらせる。それは、まるで、無数の糸から、一枚の織物を編み上げるような作業だった。

 カルナの使者が、過去の書簡で、繰り返し「販路」という語を、さりげなく忍ばせていたこと。メルダが、通商路そのものより、税収の話題になると、急に饒舌になること。そうした小さな手がかりが、積み重なって、各国の本音を、雄弁に語り出す。

 深夜まで資料に没頭していると、執務室に、温かい茶が、そっと届けられた。誰が、とは書かれていない。けれど、その心遣いが、誰のものか、私には、薄々、分かっていた。胸の奥が、ふわりと温かくなって、私は、慌ててその感覚に蓋をした。今は、仕事に集中しなければ。

 数日後、私は殿下に、交渉の見取り図を示した。

「東のカルナ王国は、通商路の『分配』を口では求めていますが、本音は違います。彼らが欲しいのは、自国の特産品を独占的に流す『販路』です。だから分配の議論には乗ってきても、肝心なところで必ず話を逸らす」

「では、西のメルダ公国は?」

「彼らは逆に、通商路そのものには関心が薄い。本当に守りたいのは、自国を通る隊商から取る『通行税』です。ですから、税収さえ保証すれば、通商路の分配では大きく譲歩します」

 殿下は、私の描いた地図を、食い入るように見つめた。

「……これだけ見えていれば、交渉は組み立てられる。カルナには販路を、メルダには税収を保証し、その上でサルディアが通商路の要を押さえる。三国とも、本当に欲しいものが手に入って、なお我が国が主導権を握れる」

「はい。表の要求ではなく、裏の本音で取引を組めば、誰も損をしたと感じません」

 殿下が、ふっと息を漏らした。それは、感嘆の吐息だった。

「君は、本当に……言葉の奥が見えるのだな」

 まっすぐに向けられた言葉に、私はまた、頬が熱くなるのを感じた。

 褒められ慣れていない。ヴェルガでは、こんな働きは「当たり前」で、誰も口にしなかった。なのにここでは、私の見たものが、ちゃんと「すごいこと」として、届く。その心地よさに、私は、少し戸惑っていた。


 だが、順風ばかりではなかった。

 交渉の方針が固まりかけたその日、外務府にロドリク侯が現れた。

「殿下。聞けば、この度の多国間交渉の下準備を、すべてその女に任せたとか」

 ロドリク侯の声は、刺々しかった。

「他国の、しかも出自も定かでない通訳に、我が国の交渉戦略を委ねるとは。万が一にも、彼女がヴェルガや他国に内通していたら、いかがなさる」

「ロドリク侯」

 殿下が眉をひそめたが、ロドリク侯は引かなかった。

「私は、慎重を期せと申しているのです。実力は認めましょう。ですが、忠誠は別問題。――その女が本当に信頼に足るか、一度、衆目の前ではっきりと示していただきたいものです」

 冷ややかな視線が、私を貫いた。

 私は、静かにそれを受け止めた。

 試されること自体は、覚悟していた。実力主義の国だからこそ、力を示し続けなければ、立場はない。けれど、忠誠を疑われるのは――他国から来た私には、どうあっても拭えない疑いなのかもしれない。

「……望むところです」

 気づけば、私はそう口にしていた。

 ロドリク侯が、わずかに眉を上げた。

「ほう」

「私の仕事を、見ていただきます。言葉が、いかにして国を動かすのか。それを、衆目の前で」

 その夜、私は一人、執務室で資料に向き合った。

 次の交渉は、ただの仕事ではない。私がこの国にいられるかどうかを賭けた、最初の試練になる。

 けれど、不思議と、恐れはなかった。私には、言葉がある。それだけは、誰にも奪えないのだから。

 ふと、机の上の、空になった茶器に目が留まった。誰かが、そっと届けてくれた、温かい一杯。その心遣いを思うと、不思議と、力が湧いてくる。

 一人ではない。そう思えることが、これほど、心を強くするのだと、私は、初めて知った。

 明日、私は、衆目の前で試される。けれど、もう、震えてはいなかった。私の後ろには、私を信じてくれる人がいる。ならば、応えるだけだ。私の、すべての言葉を、尽くして。

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