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王宮筆頭通訳官を辞めた翌朝、二国間の会話はすべて噛み合わなくなった  作者: ヲワ・おわり


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第11話 噛み合わない国

全70話で完結予定です。毎日5話ずつ、7:10 / 12:10 / 17:10 / 20:10 / 22:10 に投稿します。

面白いと思っていただけましたら、評価で応援してもらえると励みになります。

 ヴェルガ王宮、通辞院。

 ジェラルド・モルテーンは、苛立ちを隠せずにいた。

「どういうことだ。リンドルとの件が、なぜここまでこじれた」

 彼の前で、後任の筆頭通訳官が青ざめていた。

「わ、私はただ、書簡を正確に訳しただけです。一語一語、辞書の通りに……」

「その『正確』が、相手を怒らせているんだぞ!」

 ジェラルドは書面を叩きつけた。リンドル王国からの抗議文。サルディア語ほどではないが、北方の言葉もまた、独特の含みを持つ。「相応の対応」が催促を意味し、「友誼」が裏で利害を量る言葉になる。その機微を、後任は何ひとつ知らなかった。

 かつて、それを一手に担っていた者がいた。だが彼女は、ジェラルド自身が「口寄せ役」と切り捨て、追い出した。

「……まさか、あの女が抜けたくらいで」

 その考えを、ジェラルドは慌てて打ち消した。認めるわけにはいかない。彼女がいなければ回らないなどと認めれば、それは、彼女を切った自分の判断が誤っていたと認めることになる。

「なに、すぐに立て直せる。所詮、言葉を訳すだけのことだ」

 彼はそう言って、自分を納得させた。

 けれど、その声には、かつてのような、確信がなかった。心の奥底では、薄々、気づき始めていたのだ。オーレリアがいた頃、ヴェルガの外交が、一度も、こんなふうには崩れなかったという、動かしがたい事実に。

 彼女は、いつも、当たり前のように、難局を捌いていた。相手国の使者が遠回しに不満を漏らせば、その真意を即座に汲み、角の立たぬ訳で、場を収める。条約の一文に潜む棘を見抜き、戦になりかねぬ誤解を、未然に防ぐ。

 それを、ジェラルドは、「通訳なら誰でもできること」だと、思い込んでいた。

 だが、後任の青年は、同じことが、まるでできなかった。辞書は引ける。文法も正しい。なのに、言葉の奥にある人の心が、読めない。その一点が、これほどの差を生むとは、ジェラルドは、考えてもみなかった。

 だが、現実は彼の慢心を裏切り続けた。リンドルへの弁明の書簡が、また新たな誤解を生む。それを取り繕う返書が、さらに事態をこじらせる。糸は、ほどこうとするほど、固く絡まっていった。

 ジェラルドは、夜ごと、書斎で頭を抱えた。送る書簡のどれもが、なぜか、相手を怒らせる。彼には、その理由が、まるで分からなかった。彼にとって、言葉とは、辞書に載った意味を、ただ置き換えるだけのもの。その奥に、国ごとに異なる繊細な作法が潜んでいることを、彼は、想像すらしたことがなかった。今になって、彼は、初めて思い知る。「口寄せ役」と侮ったあの女が、どれほど高度なことを、涼しい顔でやってのけていたのかを。


 その頃、私はサルディアの執務室で、皮肉な気持ちでその報を聞いていた。

「ヴェルガが、弁明のたびに墓穴を掘っているらしいな」

 同僚の官吏が、半ば呆れたように言った。

「リンドルへの謝罪文に、また失礼な言い回しを使ったとか。あの国の通訳は、よほど質が落ちたと見える」

 私は、何も言えなかった。

 質が落ちたのではない。元々、その質を支えていた者を、自ら手放しただけだ。けれど、それを言ったところで、誰の得にもならない。

「ヴェント殿。貴女、ヴェルガのご出身でしたな。あの国の言葉の作法には、お詳しいでしょう」

「……ええ、まあ」

「もしヴェルガとリンドルの仲裁を、サルディアが引き受けるとなったら、貴女の知見が要る。覚えておいてください」

 仲裁。

 その言葉に、私はかすかな予感を覚えた。母国の崩壊は、いずれサルディアの仕事として、私の机に戻ってくるかもしれない。皮肉にも、私を捨てた国を、私が救う側に回る日が来るのかもしれない。

 今はまだ、遠い話だ。けれど、その芽は、確かにそこにあった。

「ヴェント殿は、どう思われる」

 同僚に問われ、私は、慎重に言葉を選んだ。

「ヴェルガの言葉は、独特の婉曲を好みます。一見、強硬に見える物言いの裏に、譲歩の余地を隠していることも、少なくありません。仲裁するなら、その機微を、丁寧に解きほぐす必要があるでしょう」

「やはり、あなたしか、適任はいないな」

 その言葉に、私は、複雑な思いを抱いた。

 母国を救うために、母国の言葉を、他国の場で、読み解く。それは、誇らしくもあり、切なくもある役目だった。

 私は窓の外を見た。

 遠いヴェルガで、言葉が崩れ続けている。それを止められた唯一の者は、もうここにいる。

 胸の奥で、何かが静かに疼いた。

 言葉を運ぶ仕事は、誰にも見えない。けれど、それが失われたとき、世界は、こんなにも、容易く軋み始める。私が、誰にも気づかれぬまま守っていたものの大きさを、皮肉にも、その不在が、証明していた。

 私は、自分の手を、そっと握りしめた。この手が運んできた言葉は、無駄ではなかった。今なら、そう信じられる。たとえ、母国がそれを認めなくとも――私自身が、知っている。

 窓の外、北の空には、薄い雲がたなびいていた。あの雲の下で、母国の人々が、今、言葉の通じぬ苦しみに、喘いでいる。私には、それを止める力があった。けれど、その力を、母国は、自ら手放した。

 切ないけれど、もう、後戻りはできない。私は、私の言葉が活きる場所で、前を向いて生きるだけだ。

 いつか、母国とこの国の間に立ち、両者を繋ぐ日が来るのなら。その時こそ、私は、本当の意味で、自分の役目を、果たせるのかもしれない。漠然と、けれど確かに、私はそんな予感を抱いていた。

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