第十六話⑥
チャイムが鳴った瞬間、教室の空気が一気にほどけた。
私は前を向いたまま、ゆっくりペンを置く。
黒板の文字を消す音と、椅子を引く音と、誰かの笑い声が混ざって、なんだかやけに騒がしく感じる。
……来る。
そう思った次の瞬間だった。
「ねえ小柴くん、前の学校ってどんな感じだったの?」
「部活とかやってたの?」
「転校って急だったの?」
一気に声が集まる。
後ろ。
振り返らなくてもわかる。
ちとの周りに人が集まってる。
そりゃそうだよね。転校初日だし。しかも同じクラス。気になるに決まってる。
……うん、わかってる。
わかってるんだけど。
胸の奥が、少しだけざわつく。
私はノートを閉じるふりをしながら、ほんの少しだけ視線を横にずらした。
視界の端に、ちとの姿が映る。
人に囲まれてる。
少し困ったように笑って、でもちゃんと一人ひとりに答えてる。
「部活は……あんまり出れてなかったかな」
「転校は、まあ……いろいろあって」
相変わらず、言葉は少ない。
でも、その分ちゃんと誠実で。
ああ、やっぱり。
好きだなって思う。
同時に――
なんでだろう。
少しだけ、胸がチクっとする。
あの距離、近いな、とか。
あんなふうに囲まれてるの、なんか落ち着かないな、とか。
……私、なに考えてるんだろ。
ちとは悪くないのに。
むしろ、ちゃんとクラスに馴染もうとしてる。
それはすごく、すごく嬉しいことのはずなのに。
「明日香」
不意に横から声がして、びくっとした。
「綾香……」
「なにぼーっとしてんの。顔、めっちゃわかりやすいよ?」
「えっ」
慌てて顔を触る。
そんなに出てた……?
綾香はちらっと後ろを見てから、にやっと笑った。
「複雑ってやつ?」
「……」
何も言えなくて、私は視線を逸らす。
「まあ気持ちはわかるけどさー」
綾香は軽い調子で言いながら、腕を組んだ。
「でもあれ、完全に質問攻めだね。ちょっと助けてあげたほうがよくない?」
「助けるって……どうやって」
「こうやって」
言った瞬間、綾香は立ち上がった。
え、ちょっと――
「はいはい一旦ストーップ!質問多すぎ!」
元気な声が教室に響く。
一瞬で、みんなの視線が綾香に集まった。
「転校初日なんだからさ、もうちょいゆっくりいこーよ。小柴くんも困ってるでしょ?」
「あ、いや……」
ちとの声が少しだけ聞こえる。
綾香はくるっと振り返って、にっと笑った。
「ね?」
ちとは少しだけ間を置いてから、小さく頷いた。
「……助かる」
その一言で、周りの空気が少し緩む。
「じゃあ質問は順番ねー。あとプライベートすぎるのは禁止ー」
「えー綾香仕切ってるじゃん」
「近藤、完全にクラス委員じゃんそれ」
「違うし!ただの優しさ!」
わいわいした空気に戻っていく。
私はその様子を見ながら、少しだけ息を吐いた。
……綾香、ほんとすごい。
さりげなく助けて、でも空気も壊さない。
そのまま自然に輪の中に入っていく。
「で、小柴くんってさ――」
楽しそうな声が続く。
私は前を向いたまま、もう一度だけほんの少しだけ後ろに意識を向けた。
ちとは、さっきより少し楽そうな顔をしてた。
そのとき。
ふっと、一瞬だけ。
視線が合った。
ほんの一瞬。
すぐに逸らされる。
でも――
その一瞬だけで、なんとなくわかる。
ありがとう、って。
たぶん、そういう意味。
……違うかもしれないけど。
それでも、なんか。
少しだけ、胸のざわつきが落ち着いた。
「よし」
小さく呟いて、私は立ち上がる。
「生徒会、行こ」
「あ、そうだ今日あるんだっけ」
綾香がこっちを見る。
「うん。新学期最初だし、軽く顔合わせみたいな」
「オッケー。じゃあ私もあとで行くわ」
「うん」
私は鞄を持って、教室のドアへ向かう。
途中で、もう一度だけ後ろが気になって。
でも振り返るのはやめた。
……ダメ。
今は、クラスメイト。
それ以上でも、それ以下でもない。
そう決めたのは、私たちだから。
廊下に出ると、少しだけ静かで。
さっきまでのざわざわが嘘みたいだった。
歩きながら、さっきのことを思い出す。
囲まれてたちと。
少し困ってた顔。
でもちゃんと応えてた声。
それを見て、嬉しいって思った自分と。
ちょっとだけ嫌だなって思った自分。
……どっちも、本当。
「めんどくさいな、私」
小さく笑ってしまう。
でも。
それでもいいのかもしれない。
好きなんだから。
好きだから、いろいろ思うんだ。
階段を上がって、生徒会室の前に立つ。
ドアに手をかけて、ほんの少しだけ深呼吸する。
――よし。
今は、生徒会の坂城明日香。
ちゃんとやろう。
ドアを開けると、見慣れた空間と、少しだけ新しい空気が混ざっていた。
新学期。
新しいクラス。
新しい距離。
……そして。
すぐ後ろにいる、好きな人。
うまくやれるかなんて、正直わからない。
でも。
きっと――
この距離は、この距離でしか鳴らない音がある。
そんな気がした。




