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こんな人生ありですか?  作者: 南部鉄器愛好家
3/7

出会い1-3

震災話終わるつもりが、結構出てしまいました。

とりあえず第三弾でがす。

気分が乗れば、次々投稿できる・・・かも。

皆さんの応援が私のガソリンです。

爆発しない程度に頑張ります。

では、どうぞ~

============================


震災から一年が経った二〇一二年の暖かな春。


二〇一一年の東日本大震災のあとの、ひと月ふた月たち少し

落ち着きを取り戻しつつある被災地。

道路のがれきも幹線道路はようやく撤去され、人や車両の

往来が可能となってきた頃。

TVのコメンテーター様や、偉い政治家は日帰りで現場を見て

みんなの大事な食料を食べ、頑張れ、頑張れ、復興、復興と

声高に垂れ流す。

そして、誰かが言った。

「家を流され、子供や孫を津波で流され、このあと何のために

 何を頑張ればいいんだろうかのぅ」と。

誰か答えれますか~?


俺は、震災の2日後に被災地に入れた。

伝手をたどりガソリンを調達し、友人にお願いしインスタント

食品を手に入れたりと、各方面から静かなるご支援を

いただき被災地に立った。

ただただ知り合いだけでも助けたくて。

大人は言う。

それだけで、何の役に立つ。明日は?明後日は?

俺から言わせれば、くそっくらえだ。そんな理屈そこらの高校生でも

分かるッつうの。今日の今、生きられないで明日はないって~の。

握り飯の一つ、きれいな水の一杯が大事なんじゃね~のと。



なーんにもなかった。

そして、なんにもできなかった。

さっきはあんな勢い良いこと言ってたくせに。

なんかね、あ~ボスニアや戦地の人って、こんな感じで生き

残った人は、爆撃あとの自分の街を見ていたのかなって

思った。

ある意味、人がさっきまで生活していた痕跡を、ここまで

めちゃくちゃに消し去るとは、どんなことになれば

こんなことを引き起こす災害になりうるのかとも思ったなぁ。


そして、そんな中でも感動した出来事があった。

四日後位の車両での移動中。

少し袈裟の色が派手なお坊さん?うん、お坊さんだと思う。

外国の方だね、きっと。インドかな?

まだ、震災あと、一〇日ぐらいまでご遺体がそこらかしこに

放置されていたからな。

その坊さんは雪が降る中、編み笠っていうのかな?

托鉢するような姿で、被災地を歩かれていた。

ご遺体に向かい、丁寧に足を止めて読経していたのを見て、

「おいおい、日本の坊さん連中よ~。おまはん達おまんま

食えなくなるよ~」と心の中で思わずにはいられなかった。

ほんとね、ありがたかったよ。



まぁねぇ~、連日連夜、復興、復興と聞いてると、

「復興って、おいしいの?」と聞きたくなるぐらい食料が

無かった。

きれいな水もかなり不足していた。

乳児のミルク、おしめは待った無しだしね。


震災当時の北東北の三月は、まだ冬だ。

灯油が無かった。寒かった~。

でもね、こんな時って、ちょっとやそっとでは、体調不良や

風邪ってひかないもんだねぇ。

偉い政治家の先生方~、投稿された映像見ましたか?

雪降ってるの見た?

沿岸は雪降ってたんだよ~?

あったかいところで、復興と叫んでないで、食いもんと

燃料持って来い、話しはそっからなんだよ、と皆が口にした。


しっかし、人間とは忘れやすい生き物である。

あの大災害があってから半年程度経った二〇一一年の夏頃。


ようやく災害対策グッズが出回り、余裕のある方たち

がホームセンターで、用意し始めた。

発電機や、非常食の購入をしていたのを、よく目にした。

しかし、一年経ったいま、そんな人は目にしたことが無い。

いるとは思うが。

当事者以外五年もしたら、震災?いつだったっけ~?

なんてことにならないように祈るのみです。


実家でも、この話はよく出る。

我が家は兼業農家で、食うもんだけは困らない。

極端に言えば真冬だって野菜はある。

秋に収穫し、土の中に保存している大根や、その乾燥した

葉っぱ。(味噌汁に入れていただきます。)

ジャガイモ、ニンジン、漬物等々、干し柿だって作ってる。

ただ、やはりおかず(肉、魚)や調味料となれば別だ。

こんな時はこうしようとか、誰は何の担当ね、とか

そんなことを家族で会話が出来るのは幸せなことだ。


こんな幸せが、長く続くことを願わずにはいられないような

春の陽気うららかな二〇一二年の四月後半であった。



このうららかな日差しが、どうか災害に遭った地域の

人々にあまねく降り注ぎ、そして土には実りを、

人心には癒しを、小さな生き物には命の躍動を約束して

くれ。

そう祈りたくなるような、祈らずにはいられないような

そんな日差しをした週末であった。


そんな日、俺は久しぶりに外出していた。

ここは、盛岡城址公園付近の映画館通りだ。


古い城下町ではあるが、最近ちょっと街頭周辺の道路

整備などしてオシャレ感を出したような造りになった。

この道の一本先には、俺の通った幼稚園があり四歳から

二年間通った。

そしてこの通りの、二本横の通りには、

ハンバーグレストラン 「ベル」と言う当時チョ~うまい

ハンバーグ店があった。

現在の、びっくりドン〇ーさんだ。

ちなみにこの「ベル」は当時ドアマンがいたんだよと、

うちのオヤジが言っていた。創業年とオヤジの年が

一緒だそうで、こんなおっきな会社になるなんて

思わなかったよ、と言っていたのを覚えている。


余談だが、俺の大好きなパインバーグディッシュが

昔、帰れまテンで最下位より2つ3つ上だった順位に

愕然とした記憶があります。(本当に余談でした。汗)



その映画館通りで、何か面白いのでもやっていないかと

各映画館のインフォメーションを行ったり来たりと、

グルグル周り、物色している。

皆さんなら、「何をしているの?

スマホ等の情報ツール使ったら一発じゃん」と

お思いでしょう?

そうじゃないんです。

それじゃDVDショップで借りてみているのとかわらないと

俺の価値観がそう言っている。

安くて寝っ転がって、ポテチでも食いながら見てるのと

一緒じゃないですか、と私は言いたい。


 何故か?

それには、思いがけない感動と出会うことが少ないんです。

 「どゆこと?」と思われるでしょうが、

このグルグル動いている移動のさなかに、

「あっ!ああっ!こんな服(パンツも可)欲しかった」とか、

「おお~ぃ久しぶり~」と一〇年来の知人に会うことだって

ある訳じゃないですか。

と言う価値観のもとに、ウロウロと歩いていると、

「児玉さ~ン」と女性の声。

すわっと振り向く俺。 一人の女性が目に入る。(がくっ)

「なんだ、小野田さんか」とため息つく俺。

「なんだとはご挨拶だねぇ~」と小野田さん

「私の新人教育がいけなかったかな~」と怒気を孕み俺を

ツツイてくる。


はい、なぜここに小野田さんがいるかと言うと・・・え~

新人研修中に、会社近くの定食屋で三馬鹿がしていた会話で、

〇〇課の課長と~・・・が不倫してる~と言う会話を

お憶えでしょうか?


そうです、彼女がその不倫をして~の片方で本社の社員旅行

で、なんかばれたかして二人は否定したらしいが疑惑として

見られ、二人ともそれぞれに飛ばされ、

傷ついた女は北に流れて~♪、みたいな

感じで転属してきた。


そんな彼女に「よっ、珍しいじゃん。こんなところで会う

なんて」と、軽口をたたく。

営業所の女性陣から、「あんまり出歩いていないみたいよ」と、

聞いていたので、正直驚いていた。





勢いだけで書いているような駄文ですが

次話も早めに頑張ります。

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