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こんな人生ありですか?  作者: 南部鉄器愛好家
2/7

出会い 1-2

皆さんにお読みいただいているか

分かりませんが、第二弾書きました。

では、どうぞ~。

=============================


格闘女子の小野田さんに、腕を小突かれてよろけている俺は、

これでも大学時代は、ワンダーホーゲル部に所属し、

身長百七十六cm、体重六十五kgの天然パーマの細マッチョを

自認していたんですが、彼女の突きのの前では、ただのひょろい

お兄ちゃんでした。(骨に当たって痛った~い、涙)


まぁ、それもそのはず、小、中、高と当時インドア派の主流だった

映画鑑賞を趣味とし、市内の映画館通りをウロウロしていたものだ。

この映画館通りは、城下町の通りの一つに、一〇件ほどの映画館が

集中し、東北の小都市(当時人口二十五万人)としては、ずい分

充実していた印象がある。

好みとしては、グチョグチョゾンビ系を除き(何が面白いのか良く

理解が追い付かないので)白黒からSFXまで一通り見ますが、

大好物は、タイムスリップ物ですね。

戦国〇衛隊、バック・トウ・〇・フューチャー、タイ〇マシーン

と言うのもありました。

どれもこれも続編が見たい名作です。

(マイケル病気治ったかなぁ)

また映画館で見たいものです。DVDなんかはカットしてたりする

のも有る為、借りて見るとあれ?あれ?と俳優さんのいいセリフや

決め顔がなく、※どへぬけした内容になってしまっているのが残念。

※標準語はなんて訳すか分かりません。


そんなひょろい俺が、半年の研修期間を終え、営業の一線に立ち、

直上の上司に怒られ、取引先には細かいところを突かれ、追い込ま

れて、更に一年半が経過しました。



二〇一〇年の春先


昨年中に東北支社への転勤願を出していたのが受理され

内示が出た。

三月に岩手営業所に配属の辞令が出る予定である。


 ん?転勤理由?

北東北人には~東京の暑さは~異常でがす。

日中三八度、夜でも三〇度、睡眠時のエアコン使用で

はい、夏風邪確定~。

寒気と三八度の発熱の中、黒いスーツを身に纏い、塩吹いて

狂ってるの?キチ〇イなの?と聞きたいよ。

ひと夏過ぎれば、体重減少~六十一kgの完成。

な~んて、こんな本当の理由言える訳ないでしょ~~

はい、さよなら、さよなら、さよなら。

キャッホ~イ、

バイバイ TOKIO CITY

二度と来ないからな~~


ゴホン、え~、関東近郊にお住いの皆様、失礼いたしました。


二〇一〇年 三月

転居も済み、引き継ぎも順調に進んでいる。

この寒いくらいの風を受け、田舎に帰ってきたこと強く

感じている。

盛岡営業所から担当地域である沿岸南部までは一般道のみの

片道二時間、約一〇〇kmの距離にある。

沿岸南部と言っても広い。

なんせ岩手は広い。

三日月の~丸くなるまで~南部領~と、唄われた位、広い。

しかも、今の一関、平泉、水沢は伊達藩領だったので、当時より

更に広くなっている。

上記の地域の東側の太平洋沿岸部が俺の受け持ちになった。

マジ遠いよ、週三回通うには。


しかしねぇ~、いいよ。太平洋。

でっかいねぇ~、広いねぇ~。

先日の歓迎会は、海岸淵の海に面したホテルで行い、

朝六時半ごろ、自分の部屋で朝日を見たんだ。

海は日光を反射し藍色、空は真っ青なんだが、太陽に目をやると、

景色すべてが黄金色になるんだよ。

わかるかなぁ~?

たぶん、誰かが 「ここは天国だよ」 と言えば、俺は迷わず

「そうだ」と答えるだろう。


まぁ沖縄なども素敵なんだろうけど俺は行ったことないから

わからんのでごめんね。


しかも転勤三か月後の七月。

内陸最高気温三十度予想、ちなみに朝の平均温度は十八度ぐらい

ここ釜石市、現在気温二十六度(十二時時点)。わかる?

これが人間が住む温度よ?

東京三十八度?クレイジー、HaHaHa

すいません、調子に乗りました。ペコリ。


それでいて、冬は内陸マイナス十五度なんて時も、ここは

プラス1,2度でおさまっているさ~(あれ沖縄弁?)

ほんとねぇ~もうねぇ~営業所が盛岡市内とかの、

絡みがなきゃねぇ。本気と書いてマジと読む。

みたいな引っ越ししたい気持ちだったんだよ。


そう・・・奴が来るまでは・・・。




西暦二〇一一年 三月十一日 十四時四十六分


・・・ゆら~り

・・・・・・・ゆら~り

・・・・・・・・・・ゆら~り


あれ?揺れてる?

周囲の声出した。そう、いつものカタカタカタカタではなかった。

まるで、大型フェリーにでも乗っているような揺れ。

まだ、ゆら~りと揺れている。

あれ、かなり遠方の地震なのかな?

あれ?終わるのかなと、三十秒程度経った頃、その揺れは来た。


そう 東日本大震災だ


確かに、ふた月前ぐらいから震度五弱程度の、今思えば余震は

来ていた。

実際、避難しているおじいや、おばあ、幼稚園の黄色い服?着た

めんこいわらし達を見ていた。

普段から来ていたから慣れてしまった。

ならされてしまった感がある。



いずれにせよ、上下とも左右ともわからぬ

大きな大きな揺れだった。

最初の五秒で、これは、かなりデカい地震と思い、倒壊を恐れ

壁を伝い、慎重に駐車場広場に出た。


辺りを見回すと、しゃがみ込む女性たちが見える。

びっくりして泣き叫ぶ子供たちもいた。

自分を中心に半径五〇〇mが見渡せる範囲でも車は波打った地面に

はね上げられ、電柱も傾くもの、折れるものもあった。


足元に目を向ければ、アスファルト舗装の隙間が三cm、五cmと

だんだん大きく開き、もしかして地割れの瞬間が見れるのかな、とか

普段では(チキンハートなので)考えないような、危険に関する

感覚が、興奮で鈍くなっていたのだろうか。


発生から三分と言われればそうだ、とも思うし、五分と言われれば

はい、という事もあるくらい時間経過の感覚が狂っていた。

この揺れの中、震源地は相当ひどいことになっているぞ、という

どこかで聞いたことのあるセリフが脳内に聞こえた。

ああ、「日本沈没」を思い出したんだなと思った。

当然こんな地震だ、次は津波だな、場所は何処だろう?

などと考える余裕が、まだこの頃はあった。


地震が、収まりはしたが、この地震で盛岡市の電力は、

結局復旧まで地域によっては四日を要し、情報の入手に個人差が

出たと思う。

幸い俺の携帯はTVチューナー内蔵のため直後の民放各局が見れた。


あとの事は、みなさんご存知の通りです。

俺の受け持ち担当地域はまさに今、地獄のどん底に叩き落されて

見知ってる、おっちゃんや、おばちゃんが、どうなってしまって

いるんだろうとテレビを食い入るように見ていた。

(今キーを打っている指が固くなっていくのが分かるよ)





結局、山田町全滅、両石全滅、釜石市大打撃、大船渡市全滅

俺の親戚、取引先の方々二十五名が亡くなりました。

気のいい人たちもいれば、気難しいオッサンもいたけど

・・・さよならが 、言えなかったのは心残りだな・・・。


よく大きな災害に遭うと、PTSD(なんちゃら症候群)とか

いい、映像等をきっかけに泣いたり震えたりと言う症状に

見舞われている方々がいまだにいるという。

俺は、現場にいたわけではないが、それでも運転していると

急に涙がこぼれてくることや、営業などで人と接することが

出来なくなることが一年ぐらいして気が付いた。


そんなことに気が付き始めた二〇一二年の春の事だった。



思い出して書くのがきつかったです。

次話は災害描写は多分ありません

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