「召喚術師は対峙する」
注意、今回少し残虐な描写があります。
それでもOKという人は読み進めてください。
アルマーオが開いた扉に踏み込む、その少し前に時間を戻す。玉座の間では、貴族達が固唾を飲んで激戦の行方を見守っている。貴族達の表情は三つに分かれる。一つ目は真剣に応援する者たち。ウォーザ家の台頭を良く思っていないものや、古き守護十星に戻すべきだという懐古主義者、そしてケンソーやアイクウに世話になったことのある若い貴族達だ。二つ目は血走るような目で我獣を応援する者たち。表立って声を出したりなどは出来ないが、クロが敗れることを願っている者たち、つまりウォーザ家に連なる者たちである。三つ目は、勝負の行方がどうなるかを純粋に楽しんでいる者たち。リントやカジト、ジュジンたちのように今回の件に直接のかかわりは無い者たちである。どちらかといえば、クロを応援する気持ちで見ているものが多いようだ。
「あの魔法の展開速度は中々だな。お前の所の魔法師団に誘いたいんじゃないか?」
「うむ、冗談抜きに欲しいな。もし認定に成功したならば、話を持っていこうか。」
話しかけたのは聖鍵第二騎士団長ラヒョウ=ハソウ、細身で長身の貴公子然とした美男子である。亜麻色の髪を短く刈り込み、柔らかかな笑みを浮かべているが、茶色の瞳には悪戯っ子のような輝きがある。話しかけられたのは、魔法師団の長ジュカ=トショウである。赤い髪を長く伸ばし、魔法師団のローブを身に纏い杖を持ったその姿は、まさに魔法使いの典型である。この姿は、属性魔法の使い手である自分に誇りを持ち、意識的に装いを整えたものだ。
「ほう、良いのか?あの獣は召喚獣だが?」
「優れた属性魔法の使い手に貴賎は無い。最近の若者と比べても、クロといったか、あの召喚獣の魔法は優れている。魔法師団とは、属性魔法の雄が集う場所だ。思獣だろうが召喚獣だろうが、私は大して気にしない。重要なのは質だ。」
いっそ清清しいまでの実力主義である。実際に、彼が長になってからの魔法師団は、それまでの血統重視がどんどんと刷新され、精強な実力者の集団へと変貌を遂げつつある。その過程で、多くの属性魔法貴族を処断したために、彼への支持は二分している。王としては、役に立たない魔法使いなど必要ないため、実力者集団へと立ち返らせらた彼の手腕を評価し、敵対する貴族の力をそれとなく削ることで支援している。
「しかしなんだな、これが続けば勝てるな、あの獣。」
「そうですね。あのしなやかな身のこなし、やはり、伝承に残るコネカットの姿と似ております。」
「ふん、ワレにはどうでも良いがな。あの程度の我獣に遅れを取るものなど、聖獣に加える必要など無いってだけだ。」
ゴゴウタン、シンキリン、そしてジュジンの三種族の長がそれぞれ感想を述べる。しかし、真剣な様子ではなく、どことなく物見遊山な雰囲気が出ている。彼らにしてみれば、今回の審問は大きな意味を持ったものでは無いからだ。そして、ジュジンの長カイユウが述べたこともまた誇張ではない。彼らであれば、2階層程度の我獣は独力で倒せるものである。もちろん、一瞬の油断によって命を落とすことがあるのが我獣との戦いではある。しかし、ある程度の余裕を持って屠ることが出来るであろう。このケンカードの守護十星は、ウォーザを除けば実力もケンカードのトップレベルであるからだ。
(ちっ、我獣も情けない。もっと痛めつけることができるだろうに…。)
そのウォーザはといえば、ゆったりとした表情では有るものの、内心の焦燥のために歯をきつく噛み締めていた。リフク=ウォーザにとっての最善は、クロがこの我獣に負けること、だが事前に得た情報から考えると、その可能性は高くは無いと、リフクは判断していた。しかし、我獣に策を施すはできていなかったため、自分の手元にある思獣が本命の策ではある。
「ほう、キグンの言うとおり、実力は確かだな。あれでまだ召喚されてまだ間もないのだろう?」
玉座に座る覇気に満ちた細身の青年が傍らの男性に語りかける。豪奢な衣装に負けない輝きを持つ金髪をいじるという興味のなさそうな様子を装いつつ、目は決して離さない。隣に控える男は、守護十星の鍵星が1つ、守護の獣ドーギヌ家の長、キグン=ドーギヌである。冷静というよりは平静そのものといった様子で、何の気負いもなく立っている。その彼は、王の問いかけに鋼のような硬質な響きの声で答える。
「はい、あの召喚獣はどれほど多く見積もったとしても、召喚されてから1年程度でしょう。我が一族の情報担当の裏づけもあります。」
「だとすれば、2階層の我獣に一匹で挑むなど、本来は無謀なことだな。」
「我が娘、ユーリッシュの召喚獣ロアンであったとしても、中々に厳しいものがあるでしょう。不可能では無いでしょうが。」
「ふむ、キグンの召喚獣であれば、どうだ?」
「我が召喚獣は、かの獣とは性質が大きく違いますので、比較することに意味は無いかと。」
「ははは、まあそうだな。ん、見ろキグン、戦いが動くぞ。」
「あの我獣、何やら狙っておりますな。さて、クロは気付けますかな。」
我獣が流鷲を砕き、飛び込んで魔法を使用したのを見た貴族たちからは、歓声と悲鳴、両方の声に近いものが上がる。守護十星の中の、比較的クロの活躍に期待する者たちの顔は暗くなる。
「打撃均等化、あいつ3階層に匹敵する強敵だぞ。ラギンめ、幾らなんでも手を抜かなさすぎだろうが。」
「なれど、手出しは出来ぬ。」
ハソウとケンゲンの長は苦い顔をする。余り良くない未来を想像したためだ。しかし、トショウの長は反応が違う。彼は、魔法使いが単純な暴力に負けるはずが無い、と信じているからだ。
「さあ。ここからどうするのだ、コネカットらしき召喚獣よ。」
神獣認定の開始からずっと真摯な祈りを捧げている者たちがいた。この場にいる誰よりも純粋な気持ちを抱く二人、ユーリとクレナである。二人はずっと手を合わせて祈っていた。信じてはいるが、我獣は強敵だ。今すぐ飛び出して生きたい気持ちを懸命に堪えて、二人は祈り続ける。
(がんばれよぉ、クロ!)
(クロ、修練の成果を今こそ発揮するんだ。)
そして、戦闘終盤クロが、水と雷、二つの月を生成したことに、一番興奮していたものといえば、守護十星の鍵星が1つ、華の杖ラギンの長、キュウマ=ラギンである。彼にとって、華雷護の応用とも言える、雷を用いた魔法なのだ。興味をそそられないわけが無い。
「なんとっ!なんとなんとっ!水と雷の魔法の親和性は華雷護で証明されていましたが、より効率的に、より効果的に練りこまれた魔法だ!威力は劣るようだが、準備の手間と使用する体力がかなり抑えられている。クロ君には必ず教えてもらわねばなるまいな。どの様な変換過程を経ているのだあれは!」
もう1人興奮しているものがいる。属性魔法の派閥の長、ジュカ=トショウである。彼が目をつけたのは別の部分だ。
「素晴らしい!見栄えではなく、敵を倒すことに洗練した結果生み出された美、まさに機能美の極みに近い魔法だな!陛下に進言せねばな。この後の貴族審問、万が一コネカット家がしくじった時には、魔法師団があのコネカットを、クロを貰い受けると!」
我獣がクロの魔法によって打ち倒された時、玉座の間に響いた声の7割は快哉の声であった。残る3割がどういった声だったかは、あえて述べる必要が無いだろう。しかし、この時既に、看過しえぬ異常事態が起きていた。それに気付いたのは三人。クロをずっと見ていたアルマーオ、そして光の神の恩寵をもち、シーガの流れを視認できるクレナである。彼ら二人は、我獣が崩れ去って出来たシーガの本流が、途中から空気に戻らず上に吸い込まれるように消えていくことに気付いた。しかし、それが異常であると判断できるだけの知識が二人には無かったため、その異常は流されてしまった。もう1人、異常に気付いていたものは、審問室の上にいた。審問室の上には、いくつもの鉄格子が並んでいる。審問や認定を行う際の課題となるものをおくための場所だ。当然、今回のような獣になることも多かったため、檻を置く事ができるようになっているのだ。その審問室に佇む男、異常に気付いていた最後の1人に向かってシーガが流れ込んでいる。彼がこの異常の元凶であるようだ。その証拠にシーガが自分の胸元に吸い込まれることに全くためらいが無く驚きも無い。胸元には首飾りがかかっており、その首飾りがこの異常を引き起こす原因のようだ。首飾りの先にある金属球にシーガが吸い込まれる。シーガを吸い込んだ金属球は、妖しく赤い光を放っていた。その光を見た男は、濁った笑みを浮かべた。
そして、場面は戻る。
アルマーオは、開いた扉の先へと進む。彼の心には緊張の欠片も無い。彼の胸には待合室の透過した壁から見たクロの姿が焼きついている。どこまでも冷静に、それでいて積極的に、勝ちを狙っていくあの姿。傷つきつつも、最後の好機に全てを賭けて突破していったあの姿。相棒が未来を切り拓く姿に勇気をもらったアルマーオは、どこまでも冷静に歩を進める。右手には黒紫の棍棒「穿角」、左手には赤色の大きな篭手「崖甲」、名は無いが丈夫な胸当て、下に着るローブはいつも使っている学校のローブだ。完全装備のアルマーオは審問室の中央までで歩を進める。すると、天井が開き、檻が下りてくる。先ほどとは違い、付き添いの人物が幾人かいる。付き添いの人物たちは白いローブをまとい、フードを目深にかぶっているため、顔は分からない。恐らくはウォーザ家の関係者達だろう。檻を固定し、中の拘束帯を外側から外していく。外れるたびに中にいる思獣が暴れだす。最後の拘束帯は時限効果のある魔法を発動させて、ローブの男たちは檻を下ろした時に一緒に降りてきた天井に乗って上へと戻っていく。アルマーオはそれをのんびりと眺めていた。すると、ローブの男の1人が急に飛び降りる。他の男達が止める間もなく、飛び降りた男はアルマーオから数m離れた場所へと着地する。
「え?ど、どうしたんだろう?」
その男に声をかけようとした途端、拘束帯にかけられていた時限式の魔法の効果が発動する。軽くはじけるような音を出して、拘束帯が弾け跳ぶ。檻が分解したわけではないので、中の獣が出てこれるわけではない、が解放された瞬間、中の獣がものすごい勢いで檻に激突する。
「うぉわっ!?」
激突の音は甲高く響く、金属音のような硬い物同士がぶつかっている。檻を破れなかった獣は叫ぶ、その声にはどこまでも深い憎しみを感じ取ることが出来る。
「ガァァアァルグゥァアアアアア!!!」
叫ぶ獣には牙がある。その事にアルマーオは違和感を覚える。なぜならば、彼の目の前にいる思獣は、前世で視たことのある獣に似ていたからだ。
「や、やぎ?」
「ガルギャアアアアアアゥゥアアアアアア!!!」
彼に向かって憎しみの砲声をあげるその獣の姿はヤギに似ている。黒い長毛が全身を覆い、やや捻じれた角が二本頭から延びている。四本足の先は蹄になっており、ここまで視ればヤギ以外の何者でも無いように思える。が、大きく違うのは口、叫ぶ時に開いた口の中には、ノコギリのように鋭い牙が乱立している。更には大きさも全く違う。四本足で立っている段階で、高さは2mを超える。蹄の足の太さは、熊の足のように太く荒々しさを感じさせる。この思獣は明らかに肉食の獣である。それも、食物連鎖でも上位に立つだろう、上位捕食者だ。その獣が今、殺意も露にアルマーオをにらみつけてくる。その目は、充血でもしているのか、真っ赤になっている。
「あれは…『牙持つ黒き蹄』雪の国の思獣だったか。何とも凶暴な獣を持ち出したな、ウォーザ。」
ラヒョウ=ハソウが、ウォーザ家当主リフクに話しかける。その言葉に満足げな笑みを浮かべ、リフクはご機嫌で答える。
「まあ、私には様々なツテがありますから。一等貴人審問に相応しい獰猛な思獣を用意させていただきましたよ。」
「しかし、危険すぎるぞ。『牙持つ黒き蹄』は、確か『堕ちた』事例のある思獣だぞ?」
「…は?おちた?ジュカ様は何をおっしゃっているのですかな?」
リフクに苦言を呈したのは、属性魔法の長ジュカ=トショウ。彼は、リフクの返答に驚いたあと、首を振って表情を改める。戦闘に関わることの無いものには知られることの無い現象だったからだ。呆れた表情を浮かべた後で、彼は表情を引き締める。
「リフク、貴様にあの思獣を薦めたのは誰だ。もしあの獣の危険性を知っていて勧めたのだとしたら…。」
「陛下、紅悪結晶は問題ないでしょうか?」
各騎士団長がざわめき始める。尋ねられたリフクは危険性という言葉の意味が分からず、言質をとられる危険性を鑑みて、各人の表情を窺っている。国王は、その質問に対してすら落ち着いた不敵な笑みを浮かべて答える。
「世にでるわけが無いからな。数に間違えは無い。つい最近数えさせたしな。」
「……最近、ですか?」
傍らに控えるキグンが怪訝な顔をして窺う。しかし、返ってきたのは含みをもった笑顔であった。どうもこの事態も想定していたようだ。キグンは主君のその表情を見て、こっそりため息をつく。コネカット家の少年が、この若く覇気があるが厄介な性格の王に見込まれてしまったようだということに気付いたからだ。更に言えば、この審問の厄介さが、有る程度作為的なものなのだということも同時に気付いてしまった。だが、ここから多くの人物の予想を覆す展開へと転がっていく。
「む、あの者は、なぜ檻に近づいているのだ。」
壮年の貴族が不審がって声をあげる。先ほど飛び降りた、貴族達は間違って落ちてしまったのだと思っていたのだが、ローブの男が1人、檻へと近づいている。その貴族の声を受けて、全員が一斉に不審者へと目を向ける。視線の先では、ローブの男がどんどん檻へと近づいていく。そして、檻の横へと立ったそのローブの男がフードを取った瞬間、リフクが叫ぶ。
「なっ!?何故あのクズがここにいる!?」
ローブの男がフードを取る。そこに現れた顔はかなりやつれて剣呑になってはいるものの、アルマーオにとっては見間違えようの無い顔だった。
「こ、コウゴウさん?どうしてここに。」
「…どうして……フハハハハハハ!どうして!?そうだな、どうしてだろうな。この輝かしい私が薄汚れた下賎の行いに身を汚し、名誉を汚され、手に入れるはずだった愛情も失ったのは、どうしてだろうなあっ!!」
自身の中に負の感情を全て声に乗せ、血を吐き出すように振り絞って叫ぶコウゴウ。もちろん全てが逆恨みであり、全てが妄想であり、全てが自業自得である。だが、彼にとって真実など何の価値も無い。彼の思い描く全てを邪魔したのはアルマーオであり、それを打ち滅ぼせば輝かしい世界へ戻れるという思いのみが、賭ける価値の有る夢なのだ。
「貴様だぁ!貴様だ貴様だ貴様だ貴様だ貴様だ!全て貴様のせいだ!!貴様さえいなければ、貴様さえいなければ、貴様さえいなければ!どうしてか、どうしてだ、どうしてなんだ!どうして貴様だけが選ばれるのだ!どうして貴様だけが栄誉を得るのだ!どうしてだっどうしてだどうしてだっどうしてだどうしてだっ!!」
胸をかきむしり、腰を折り曲げ、目には何も映さず、ただただ自分の内部感情を荒れ狂うに任せて、音を撒き散らしている。その声に意味はなく、声を届けたい相手もいない。自分のことだけをただただ考えている、欲望と妄想の世界に彼は生きている。屋敷に閉じ込められた時には、まだここまで壊れてはいなかった。彼の精神を壊したのは、思獣への餌やりである。生きた人間の命を奪う最後の一押しするという精神的な負担、死に際した人間の負のシーガに曝され続けたこと。この二つの要因により、コウゴウの精神は深刻なまでに壊れてしまったのだ。いや、要因はもうひとつある。彼の胸元で揺れる、ほの赤く輝く首飾りによる汚染だ。コウゴウは、首飾りの先にある金属球を掴んで引きちぎる。両手を高らかに掲げ、焦点の合わない目で天井を見つめて叫ぶ。
「きひ、きひひひひ!ひゃひゃひゃ!だがな、それもなぁ!それも今日で終わるんだぁあ!これを、これをこの思獣に与えれば、お前のようなごみ屑を滅するだけの力を与えることが出来るのだからぁ!」
圧倒的な狂気を前に、アルマーオは立ちすくんでいた。しかし、コウゴウに怯えているわけではない。彼の背中を滝のように汗が流れる。彼の脳内には警鐘ががんがんと鳴り響いていた。ロアンやユーリの攻撃を事前に察知してきた、生き延びるための勘のようなものが全力で撤退を訴えているのだ。しかし、彼の勘が告げる危険は、コウゴウには反応していない。むしろ、檻の中にいる思獣、そしてコウゴウの握る金属球、この二つから溢れ出す瘴気のようなものに反応しているようだ。
「怯えたかぁ?竦んだかぁ?ひひっひひひやひゃひゃ!そうだろう、そうだろうそうだろうそうだろう!これがお前に死を招く鍵になる!消えうせろ金目の怪物めぇっ!!」
コウゴウが、左手に金属球を持ち、それを思獣へと突きつけながら嗤う。彼の目に映る未来は、思獣に無様に打ち滅ぼされるアルマーオ、その傍らで父から栄誉を称えられる自分、上気した顔で自分を見上げるユーリッシュがいるというものだ。冷静に考えれば、アルマーオを打ち滅ぼせるほどの力を与えた瞬間、真っ先に側にいる自分が襲われる危険を考慮すべきだ。だが、彼の壊れた脳内にはその発想は全く無い。なぜなら、彼は常に加害者であり、被害者になることなどありえないからだ。もちろん、それは彼の脳内だけの、彼にとって都合が良い法則だ。
「こ、コウゴウさん!今すぐ、今すぐ檻から離れてくださいっ!危ないっ!!」
アルマーオは、自分の危機感を刺激する何かの正体に気付いた瞬間、警告の声をあげた。彼の危機感を煽り立てていたものの正体、それは檻の中にいる思獣の目だ。血走っているから赤いのだと思っていたが、そうではなかったのだ。既に、思獣の目は瞳全体から赤い光を発していたのだ。
「ひゃひゃひゃひゃ!臆したか下賎のクズがぁ―」
壊れた瞳で見せかけの優越感に身を浸したコウゴウ、彼の言葉を途中で遮るものがあった。檻の中か伸びる黒い腕だ。檻の鉄柵は、人一人が通れるほどの隙間があった。しかし、中にいる思獣の手足は出せないほどの隙間でしかなかった。思獣の蹄を持った前足では抜け出せない、はずだったのだ。だが、コウゴウを掴んだのは、5本の指を備えた腕である。檻の中には『牙持つ黒き蹄』以外には存在していない。つまり、彼を掴んだ腕は黒き思獣のものなのだ。
「なっ、なんで!?足が腕に変化してるっ?」
「ひゃひゃひゃひゃひゃ!素晴らしい!素晴らしいぞ!その力を解放し―」
思獣の右前足が、若干細くはなっていたものの黒い毛が全体を包む筋肉質の腕へと変化しているのだ。未知の現象に戸惑いと動揺を隠せないアルマーオ。檻の中に引き込まれながらも、思獣の変化を強化と考えて無邪気に喜ぶコウゴウ。アルマーオの方を向き、優越の笑みを浮かべて言葉を重ねた瞬間。笑顔を浮かべたまま、コウゴウの上半身は食いちぎられた。血しぶきが上がる暇も無く、思獣は下半身も噛み砕いて咀嚼する。ローブなども全てお構いなくその口の中にいれる思獣、当然のことながらコウゴウの持っていた金属球も体内へと運ばれている。余りにも迅速に行われた残虐な行いに、アルマーオは反応が出来ない。余りの速さにコウゴウが存在した証が、思獣の口元と床に多少零れた血液しか存在しないほどだ。コウゴウを食し、その悪意と絶望のシーガと金属球に封入された悪意のシーガを共に吸収した思獣が絶叫をする。その瞬間、檻の封印魔法の効果も切れて、自壊が始まる。
「ゴォォッガァアアガググギグルゴォッォッガアァァァアア!!」
前足を振り上げ、後ろ足二本のみで立ち、天井を見上げて絶叫をする思獣。その叫び声にはどこか痛みや苦しみを伴った響きがある。何故痛みが生じているのか、それは思獣の体がどんどんと変化しているためだ。右前足が腕になったように、左前足も腕へと変化する。完全な四足獣の体だったものが、二足歩行の人間達の用へと変化する。上半身は、若干猫背気味ではあるものの筋骨隆々とした厚みの有る肉体へと変化する。変化前と同じように全身を毛で覆われてはいるものの、胸から腹にかけては毛が抜け落ち、どす黒く硬化した皮膚が姿を現す。後ろ足だったもは、蹄であることは変わらないものの、二つの足のみで直立し行動できるように関節から何から全てが変化している。頭部の角は巨大化し湾曲して捻じれ、凶悪さを増している。口はより大きく裂け、牙も大きさと長さを増している。尾のみが以前と変わらずに付いていることが違和感を強調する。腕の巨大化は止まらず、床に届きそうな長さにまで伸び、厚みもまた増している。
「さっきと重圧が全然違う。何だ、こんな変化をする思獣なんているの?」
アルマーオが汗をたらしながら疑問を口にする。彼の脳内の警鐘はさっきからずっと最大レベルの警戒を要求している。もっと言えば、すぐにここから立ち去るべきだと訴えている。彼の疑問に答えたのは、目の前で変化を遂げた思獣の瞳である。
「ガルルルルゥゥッゥアアアアアアアアアッッッ!!」
カッと目を開いた思獣は威嚇の咆哮を放つ。びりびりとアルマーオの体が震えるほどの圧力だ。しかし、アルマーオはその子とを気にせずに一点に目を向けている。というよりは目を離せないでいる。
玉座の間では一気に緊張感が増した。流石の王も、驚きに目を見張っている。しかし、それは反応が薄い方だ。ほとんどの貴族は、突如変化した思獣に悲鳴をあげ、逃げ出そうとするものも多くいる。
「おい、おいおいおい、堕ちたぞ?あいつ。」
「あの男、紅悪結晶を持っていたのか。」
第一騎士団長ガイジュン=ケンゲンと第二騎士団長ラヒョウ=ハソウが玉座の前に位置取り、装備を用意しながら現状を確認する。位置取りは、万が一の時に王の盾となるためだ。その隣にジュジンの長カイユウが並ぶ。
「ワレは見たぞ。奴の左手に握っていたもの、赤く光ってやがった。」
「確定だな。王よ、報告します。思獣『牙持つ黒き蹄』は堕ちたものと思われます。」
傍らに控えたキグンが報告をする。王が真剣な表情で頷く。ゴゴウタン、シンキリン、ユリョウ、ラギンの長たちもそれぞれの装備を持ち、それぞれの得意とする立ち位置へと移動する。彼らは守護十星、王を護る鍵星なのだ。唯一リフク=ウォーザのみが身動きをとれず、息子の末路と思獣の変化に戸惑っている。
「何だ、何が起こっている。堕ちるとはなんだ。あのクズは何をしたのだっ。」
「…王よ、ここは危険な場所となりました。どうか王城にお退きください。」
リフクに冷たい一瞥をしたあと、キグンは王へと進言する。周りの貴族達も、守護十星の動きと王の様子に落ち着きを取り戻していく。
「何故だ?俺は、全くその必要性を感じない。もちろん、戦えない者、未熟な者たちは退かせるべきだがな。ジュカ、避難誘導を頼む。その後、魔法師団を街側へ配置してくれ。」
「はっ。直ちに行います。」
「キグン、お前も第三騎士団を動かして街側への被害の可能性を潰せ。」
「しかし、御身は?」
「俺は残る。なぜなら―」
咆哮を放つ獣の瞳は檻にいる時よりも赤く赤く輝く。檻から解放され、肉体を大きく変化させたその獣は、既に思獣ではない。生きとし生けるもの全てへと殺意を向ける、命あるものの天敵となっていた。堕ちるとは、人や思獣が我獣へと変化すること。滅多なことで起きる事ではないが、戦いの中で絶望へ沈んだものが、ある特定の鉱物の力を借りて堕ちていくのだ。思獣『牙持つ黒き蹄』は我獣へと堕ちた。堕ちた先はセイクの塔10階層相当の我獣、悪魔である。強靭な肉体、俊敏な行動、隙の無い特殊能力、全てにおいて弱点の少ない我獣であり、セイクの塔を昇る多くの貴族を屠ってきた我獣でもある。アルマーオは、戦闘力の差をはっきりと理解していた。しかし、諦念に沈み、立ち尽くしたりなどはしなかった。むしろ、装備を構え、シーガを練り、戦闘の準備を始めた。彼は理解しているのだ、逃げようとも入り口の封印に阻まれる。行きたければ、この我獣を倒すしかないのだと。我獣デヴィルも目の前の敵を意識し、両足を低く曲げていく。力を溜めているのだ。
「なぜなら、アルマーオ=コネカットが逃げていないからだ。奴が立って戦い続ける限り、俺はここを離れない。審問の結果を判断できるのは、俺だけだ。その俺が先に逃げる、そんな人間は王たる資格が無い。俺は初代聖鍵王の意志を継ぐ、現聖鍵王だ。よって、逃げる気は無い。良いな。」
我獣が地面を蹴り、アルマーオへ向かって飛び込む。圧倒的な戦力差を理解しつつ、我獣と向き合い、活路を必死で探す。
こうしてアルマーオは絶望と対峙する。絶望の中のか細き光を掴むために。若き王は自分の義務と対峙する。自らの拠って立つ意志を護るために。この貴族審問の日、多くの者たちが何かと対峙する事を強要された。自らの柱となる意志を護るために――
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