第1話 痛いの嫌だし働きたくないので、ギルドの隅でスープ煮込みます
はじめまして。「痛いのは嫌、でも美味しいご飯は食べたい」――そんな元社畜の少女が、
最弱スキル(のフリ)で異世界を“のんびり”生き抜く、勘違い無双お家ごはん物語です。
戦いより、その夜の食卓を大事にお届けします。どうぞごゆっくり。
前世の最後の記憶は、コンビニのおにぎりだ。
深夜二時、会社の非常階段。片手に冷えたおにぎり、もう片手に光ったままのノートパソコン。米は固くて、味なんてしなかった。というより――あの頃はもう、何を食べても味がしなかった。忙しくて、眠くて、口に入れるのは「燃料」で、「ごはん」ではなかった。
だから、たぶん、私は死んだのだと思う。過労で。電池が切れるみたいに、ぷつりと。
そして、気がついたら、知らない街の路地裏に座り込んでいた。
小さな手。細い足。水たまりに映るのは、儚げで、庇護欲をそそる、幼い女の子。どう見ても、十歳そこそこ。
中身は、二十代後半の、擦り切れた社畜だというのに。
「……で、これが異世界、と」
声はやたら高いのに、頭の中身は、しっかり大人のままだ。むしろ、都合がいい。子どもの体に、大人の判断力。この組み合わせなら、たいていのことは、落ち着いて捌ける。
私は、路地の石畳に座ったまま、静かに、けれど固く、誓った。
「今世は、絶対に働かない」
もう二度と、デスマーチはごめんだ。もう二度と、「君ならできるよね」の一言で仕事を積まれるのも、ごめんだ。痛いのも、しんどいのも、全部いらない。
あったかいごはんを作って、ふかふかのお布団で眠って、静かに暮らす。
大人になってようやく手に入れた、ささやかな結論だ。今度こそ、それを、貫く。
◇
まず、手札の確認からだ。損得の勘定も、リスク管理も、大人の私にとっては呼吸みたいなものだった。
この体には、スキルが四つ、宿っている。
ひとつ、【硝子の繭】。触れると、体のまわりに儚げな光の膜が張る。試しに落ちていた石で手を殴ってみたら――何も感じなかった。痛くない。傷ひとつつかない。どうやら、あらゆる攻撃を通さないらしい。おとぎ話にしか出てこない【伝説】級の代物だ。
最高だ。これで、絶対に痛い思いをしなくて済む。
ふたつ、【秘密の隠し味】。私の作った料理を食べた人を、一時的に、とんでもなく強くする。鑑定には「ランク1・調理」と地味に映るくせに、実際の効果は桁が三つほどおかしい。
残りふたつ――視界の味方を全部指揮できる【特等席のお嬢様】と、亜空間に自分だけの家を持てる【箱庭のおままごと】は、胸の奥にそっとしまっておく。
ここで、大人の知恵が働く。
この世界の鑑定は、どうやら“今まさに使っているスキル”しか映さないらしい。裏を返せば――使わなければ、映らない。
だから私は、決めた。
人前では、料理しかしない。そうすれば、鑑定に映るのは「ランク1の、料理が得意なだけの子」だけ。伝説の繭は“エラー”としか出ないし、残り二つは、そもそも表に出さなければ存在しないのと同じ。
嘘は、ひとつもつかない。ただ、見せる手札を、選ぶだけ。
前世で学んだ、いちばん大事な処世術だ。できる奴だとバレた瞬間、人生は搾取される。目立つな。期待されるな。静かに、隅で生きろ。
「……よし。完璧」
私は路地裏の壁に手を触れ、【箱庭のおままごと】を起動した。空間がぐにゃりと歪み、壁の向こうに、小さくてあたたかい木の家が生まれる。かまどと、寝床と、鍋がひとつ。前世の1DKより、ずっといい。
――ふと、水たまりの自分を、もう一度見る。
気のせいだろうか。この数日で、少し、背が伸びた気がする。子どもの成長は早い、なんてものじゃない。まるで、早送りみたいに。
まあ、いい。今は、ごはんだ。
◇
問題は、食材とお金がないことだった。
働きたくはないが、材料はいる。そこで私は、街でいちばん人の集まる場所――冒険者ギルドの、いちばん隅っこに目をつけた。
仕入れは、ギルドの裏で捨てられていた“売り物にならない魔物の素材”。毒持ちのスライムの残骸なんかを、タダ同然でもらってくる。
こういうとき、我ながら不思議だと思う。
私は基本、めんどくさがりだ。掃除も洗濯も人付き合いも、できることなら全部やりたくない。なのに、料理だけは、なぜか妥協できない。出汁は面倒でもちゃんと引くし、灰汁はひとつずつすくう。温度は一度でもずれたらやり直す。
たぶん、前世で味のしないものばかり食べていた反動だ。ちゃんとしたごはんだけが、あの頃の私を、かろうじて人間の側につなぎとめていた。だから今世は、そこだけは、譲らない。
毒霧スライムの毒袋を水に溶き、そっと手を触れる。温度を、発酵にちょうどいいところで、じっと保つ。三日、寝かせる。
――四日目。毒だったはずのそれは、澄んだ琥珀色の、深くて丸い調味料に化けていた。毒だって、正しい温度でゆっくり寝かせれば、世界一の出汁になる。ただ、誰もそんな面倒を試さなかっただけ。
その一滴を、くず野菜と一緒に、ことこと煮込む。
琥珀色の出汁が野菜の甘みを吸い、鍋のふちで、こと、こと、と小さく踊る。あくをすくい、味をみて、ほんのひとつまみ、岩塩を足す。それだけで、味が、ぴたりと像を結んだ。
湯気が立つ。香ばしくて、まろやかで、どこか懐かしい匂いが、酒場のざわめきを縫って、ギルド中に、ふわりと広がっていく。
依頼票をめくる手が止まる。杯を傾けた口が止まる。強面の冒険者たちが、そろって、鼻をひくつかせた。前世の、終電間際のオフィスと同じ、疲れた目をした男たちが――その匂いひとつで、少しだけ、子どもみたいな顔になる。
ごはんの匂いには、そういう力がある。私は、それだけは、昔から知っていた。
◇
最初に食いついたのは、酒場でいちばんガタイのいい、ガーゴという名のベテラン冒険者だった。強面だが、目は子どもみたいに素直だ。
「嬢ちゃん、それ売りもんか? 一杯くれ」
「はい。銅貨一枚です」
私は木の器にスープをよそい、湯気をちょうどいい温度に整えて差し出した。熱すぎて驚かせたくないし、ぬるくてがっかりさせたくもない。いちばん美味しい温度で渡す。そこだけは、料理人として譲れない。
ガーゴは豪快にすすって――動きを止めた。
「……うまっ!?」
次の瞬間、彼の全身が、ぶわりと光を纏った。【秘密の隠し味】の、バグみたいなバフだ。
その日の午後。ガーゴは、熟練の一団でも手こずる中層の魔物を、素手で、一撃で、地面にめり込ませた。そして興奮のまま、ギルド中に叫んだ。
「見たか! これが、オレの……修行の成果だ!」
……いや、私のスープのおかげなんですけど。
私は隅っこで、こっそりツッコむ。けれどガーゴは本気で「自分が強くなった」と思い込んでいる。バフを受けた本人は、たいてい、そう錯覚する。まあ、そのほうが都合がいい。目立ちたくないので。
ところが、翌日には、隅っこの私の鍋に、行列ができていた。スープを飲んだ冒険者が、次々と格上を倒して帰ってくる。彼らは口々に言った。
「あの子のスープを飲むと、力が湧く」
「隅っこにおわす……聖女様だ」
……せいじょ。
私は必死で否定した。「いえ、私、ただのランク1の、料理が得意なだけの子で」と。けれどその謙虚な否定は、なぜか「なんとお慈悲深い」と、崇拝を加速させるだけだった。
なんで。私は、ただ楽して材料費を稼ぎたいだけなのに。
しかも、性質の悪いことに、バフはひと晩で切れる。翌朝、ガーゴは真っ青な顔で駆け込んできた。「嬢ちゃん! 昨日の力が出ねえ!」と。私はスープをよそって渡す。彼はひと口で復活し、また誇らしげに出ていく。……これはもう、実質、私が街の戦力を握っているのでは。いや、握りたくない。責任は、いちばん嫌いなやつだ。
私はそっと、聖女様ではなく“通りすがりの料理係”に見えるよう、鍋の前でいっそう眠たげな顔を作った。目立つな。期待されるな。前世の教訓を、私は忠実に守る。守っているつもり、だった。
◇
カウンターから、じとっとした目で私を見ている人がいた。ギルドの受付嬢、ネルさん。そばかすの似合う、しっかり者のお姉さんだ。
彼女は手元の鑑定水晶に私を映して、眉をひそめている。
「……ねえ、レンちゃん。水晶には『ランク1・調理』としか出ないのよ。ただのランク1が、なんでこんな行列作れるの?」
どきり、とした。有能な人ほど、こういう“数字の合わなさ”に気づく。前世にもいた。できる人ほど、面倒事の匂いを早く嗅ぎつける。
でも、鑑定は「ランク1」としか映らない。私が、料理以外のスキルを、表に出していないから。嘘は、ついていない。
私はにっこり、いちばん無害な顔を作った。
「はい。ただの、料理が得意なだけの子です」
ネルさんは、しばらく私を見つめて――深いため息をつき、天を仰いだ。
「……そうよね。水晶がそう言ってるものね。うん。私、なにも見てない」
賢明な判断だと思う。彼女は額を押さえて呟いた。「関わったら、絶対、面倒なやつだわ、これ……」と。
奇遇ですね、ネルさん。私も、面倒は大嫌いなんです。なんだか、気が合いそうだった。
◇
夜。行列がようやく途切れて、ギルドの喧騒が遠くなった頃。
私は鍋の底に残った最後の一杯を、自分の器によそった。誰のためでもない、私だけの一杯。湯気を、ちょうどいい温度に整える。
「……いただきます」
誰も聞いていない、小さな声だった。
ひと口すすると、体の芯が、じん、とあたたかくなった。久しぶりだった。味のするごはんを、ちゃんと座って、味わって食べるのは。前世でいつ、こうしただろう。思い出せない。ずっと、立ったまま、冷えたものを、飲み込むように食べていた。
鼻の奥が、つんとした。
「……いや、泣かないし」
大人だぞ、私は。ただ、ちょっと、目の奥が熱くなっただけ。
――そのときだった。テーブルの下、薄暗い床の隅で、何かがじっとこちらを見ていた。
小さな影。頭に、トカゲみたいな角。ぼろぼろの布を巻いた、痩せこけた子ども。竜鱗族の男の子だ。里で“使えない子”と追い出されたのか、逃げてきたのか。その子は、私の器から立ちのぼる湯気を、食い入るように見つめて――こく、と喉を鳴らした。
お腹が、きゅうう、と切なく鳴る。本人が、恥ずかしそうに身をすくめた。
関わると、面倒だ。私は静かに暮らしたいんだから。誰かの世話なんて、まっぴらだ。……そう思っていた、はずなのに。
空腹の子を、放っておけなかった。前世の私が、ちゃんと食べられていなかったのを、この体は、まだ覚えているみたいだった。
私はため息をひとつついて、もう一つの器にスープをよそった。湯気を、いちばん優しい温度に整える。
「……はい。まだ、あったかいうちに、食べる?」
その子の金色の目が、まんまるに見開かれた。信じられない、というふうに。そして、みるみる涙が盛り上がって――こくり、と小さく頷いた。
両手で器を包むように受け取って、おそるおそる、ひと口すすって――ぴたり、と止まる。次の瞬間には、もう止まらなかった。こぼさないように、けれど夢中で、その子はスープを飲んだ。角の生えた小さな頭が、こくこくと上下する。痩せた頬に、少しずつ、生きているものの色が戻っていく。
器が空になると、その子は底をじっと見つめ、それから、掠れた、けれど確かな声で言った。
「……おいしい」
たった、それだけ。
それだけの言葉が、なぜだろう、私の胸の、いちばん柔らかいところに、まっすぐ刺さった。
誰かが、私の作ったものを食べて、「おいしい」と言ってくれる。ただそれだけのことが、こんなにも――あたたかい。一人で食べる一杯より、ずっと。
「……そっか」
私は、それだけ返すのが精一杯だった。
働かない。痛いのも嫌。静かに暮らしたい。その誓いは、今も一ミリも変わっていない。変わっていない、はずなのに。
どうやら私は、この小さな食いしん坊に、もう一杯よそってあげたくなっているみたいだった。
やれやれ、と思う。だから、面倒は嫌なのに。
これが。
働きたくもない、痛いのも大嫌いな、元社畜の私が、“世界でいちばん強い食卓”を作ってしまう――その、最初の、二杯目だった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
毒の水が出汁に化けたように、この物語は「地味」が「最強」に化けていきます。
次話――名もない小さな食いしん坊に、レンは何をあげるのでしょうか。




