第53話 火の両側
金色の火は、まだ悠太の方へ傾いていた。
閉じたノートは、悠太の腕の中にある。
誰も、もう一度机へ置こうとはしなかった。
「そのままで」
ましろの杖から声がした。
宝石の奥で、レムが目を開けている。
「レム」
「火が何へ向いたのか、まだ決めないで」
ねむは、傾いた火を見た。
「ノートの方」
「ええ。今、見えているのはそこまでよ」
ましろが悠太の腕を見る。
「名前のある頁が、中にある」
「歌の丸も、預けられた一度も、口が動いたこともね」
レムの声は静かだった。
「閉じた頁だけが、あのノートにあるわけではないわ」
ねむが、机の向こうにある扉を見た。
「二つの音も?」
白い札を叩いた音。
この部屋から聞こえた音。
「同じものだったとは言えない」
レムは一度、言葉を切った。
「でも、別のものだったと言い切る理由もなくなったわ」
名札の持ち主は、火から目を離した。
部屋を出る。
ましろは追わなかった。
少しして、その子が戻ってきた。
両手に、名札を持っている。
文字のある面は、胸元へ向けられていた。
名札の持ち主は、ランタンの左側に札を置いた。
文字のある面を机へ伏せる。
白い裏側が上を向いた。
札とランタンのあいだを、指で測る。
手のひら一つぶん。
その子は、ランタンの前から動かなかった。
火は、その背中に隠れた。
名札だけが置かれているあいだ、ましろたちには見えなかった。
名札の持ち主は、振り返らずに悠太へ片手を差し出す。
「もう一度、置く?」
その子がうなずく。
悠太は、差し出された手にノートを渡した。
名札の持ち主は、ランタンの右側へノートを置く。
名札と同じように、手のひら一つぶん離して。
表紙は閉じたままだった。
ランタンの左に、白い札。
右に、閉じたノート。
金色の火は、しばらく右へ傾いていた。
細い先だけが揺れる。
右へ。
まっすぐへ。
もう一度、右へ。
やがて、火は硝子の真ん中で立った。
ましろが小さく息を吐く。
「戻った」
「まっすぐになった」
ねむが言った。
レムは、すぐには何も言わなかった。
名札の持ち主は、二つの置き場所を見ている。
どちらも動かさない。
火も、しばらく動かなかった。
「同じ名前があるから?」
ましろが聞いた。
「まだ早いわ」
レムは答えた。
「名札には、星骸の残滓があった」
レムは、白い札と閉じたノートを順番に見た。
「ノートには、名前以外の記録がある。二つとも、その子が触れている」
ねむが、白い札と閉じた表紙を交互に見た。
「二つとも、今は読めない向き」
「それも共通点ね」
「どれに火が向いた?」
「分からないわ」
レムは、今度は迷わずに言った。
名札の持ち主が手を上げた。
止める時の形だった。
ましろは次の問いを口にしなかった。
ねむも、札とノートの距離を変えなかった。
その子は、先にノートを持ち上げた。
悠太へ返す。
次に、名札を取る。
文字のある面は見せなかった。
火は、まっすぐ立ったままだった。
名札は、もう一度扉へ戻された。
白い裏側が、廊下を向く。
ノートは、閉じたまま悠太の腕へ戻った。
名前は、どちらにも見えなかった。
火だけが一度、二つのあいだでまっすぐになった。




