↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
52/70

第51話 読まない頁

その日の夕方、悠太は食堂の隅で、わすれないノートを膝に置いていた。


ノートは閉じている。


近くのテーブルで、ましろが洗ったふきんをたたんでいた。


ねむは窓際の椅子に座っている。


食堂の入口で、足音が止まった。


名札の持ち主が、名札を胸元に抱えて立っていた。


悠太はノートに置いていた手を離した。


「今日は、開いてないよ」


その子は悠太の前まで来た。


名札を持っていない方の手で、ノートの表紙に触れる。


悠太は、すぐには開かなかった。


「開く?」


その子がうなずく。


悠太はノートを膝から下ろし、床の上で開いた。


前に、何も書かなかった頁だった。


白いままの頁に、その子の指が触れる。


次に、胸元の名札に触れた。


「ここに、名前を書くの?」


悠太が聞いた。


その子は、ゆっくりうなずいた。


悠太が鉛筆を取る。


その子の手が、悠太の方へ差し出された。


悠太は鉛筆と、差し出された手を見る。


「自分で書く?」


その子がうなずく。


悠太は、鉛筆をその手に載せた。


名札の持ち主は、廊下側の壁を背にして座った。


ノートを膝に置く。


少し、身体の方へ傾けた。


開いた頁は、その子の方だけを向いていた。


名札は、膝の横の床へ置いた。


文字のある面は、自分の方へ向けている。


ましろは、たたんでいたふきんへ目を戻した。


ねむは窓の外を見た。


悠太は、床の上に両手を置いた。


鉛筆が、紙の上を走り始めた。


かすかな音が、食堂の隅で続いた。


誰も、何文字ぶんの音なのか数えなかった。


やがて、音が止まった。


その子は頁を閉じた。


膝の横の名札を拾い、文字のある面を胸元へ向けて抱える。


それから振り返った。


悠太の前まで戻り、ノートと鉛筆を差し出す。


悠太は、先に鉛筆を受け取った。


次に、ノートへ手を伸ばす。


指が表紙に触れた時、その子の手が上がった。


高くはない。


けれど、前と同じ止める時の形だった。


悠太は、ノートを開かなかった。


「開かない?」


その子がうなずく。


「今は、ぼくが持ってていい?」


もう一度、うなずく。


悠太がノートを受け取る。


その子の手が下りた。


ノートは、閉じたまま悠太の膝へ戻った。


「前は、書かないでだったね」


ましろが言った。


ねむは窓の外を見たまま答えた。


「前はね」


悠太は、閉じた表紙に両手を置いた。


「今日は、ぼくが書くんじゃなかった」


名札の持ち主が、悠太を見る。


それから、一度うなずいた。


その子は名札を持ったまま、食堂を出ていった。


誰も、ノートを開かなかった。


名札には、まだ読める名前があった。


閉じた頁にも、名前が書かれていた。


けれど、その夕方、それを読んだ者はいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。