第48話 見えない側
翌朝、二つの指の跡はまだ残っていた。
硝子のこちら側に、ねむの跡。
向こう側に、形の似た跡。
正面から見れば、ひとつに見える。
ねむは横から確かめた。
その朝も、点呼ではひとつの名前が呼ばれなかった。
それから朝食へ行った。
ランタンは机の真ん中に置いたままにした。
触れなかった。
昼前に部屋へ戻ると、外側の跡は同じ場所にあった。
内側の跡は、そこになかった。
ねむは椅子に座らず、ランタンの周りを半分だけ歩いた。
壁の方を向いた内面に、小さな跡がある。
昨日より遠くなったわけではない。
硝子の同じ内側にある。
ただ、ねむの席からは見えない場所へ移っていた。
「ましろ」
廊下へ向けて呼ぶと、すぐに足音が近づいた。
扉の前で止まる。
「入っていい?」
「うん」
ましろは部屋へ入り、机の前まで来た。
ねむは、壁側の面を指した。
「また場所が変わった」
ましろが、ランタンの横へ回る。
「昨日の跡?」
「形は似てる」
「いつ動いたの?」
「見てない時」
「昨日、触ったからかな」
「分からない」
火は、硝子の奥で静かに燃えている。
外側に残ったねむの跡だけが、正面を向いていた。
ましろが、ランタンの持ち手へ手を伸ばす。
触れる前に止まった。
「回してもいい?」
ねむは首を横に振った。
「今は、そのまま」
「見えなくても?」
「見えないから」
ましろは手を下ろし、ねむの隣へ戻った。
「向こうが、見えないところへ行ったの?」
「場所が変わった」
「またそれだけ?」
「それ以上は、まだ」
ねむは椅子に座った。
いつもの位置からは、内側の跡が見えない。
少し身体を傾ければ見える。
立って横へ回れば、もっとよく見える。
ねむは、どちらもしなかった。
ましろも、机の反対側へは回らなかった。
「見えないままで、どうするの?」
「置いておく」
「待つ?」
「待つと、来ることにしそうだから」
ねむは、正面を向いた外側の跡を見る。
自分の指が残したものだった。
「ここに置いたことだけ、覚えておく」
ましろは頷いた。
夕方になると、外側の跡は少し薄くなった。
ねむの指が離れたあとに残った、ただの跡。
拭かなければ残る。
それでも、少しずつ見えにくくなる。
内側の跡がどうなったのかは、確かめなかった。
夜。
ましろが部屋を出たあとも、ランタンは机の上にあった。
金色の火だけが、青黒い硝子を内側から照らしている。
壁側の面は、ねむのベッドから見えない。
ねむは布団に入り、火を見た。
「おやすみ」
返事は待たなかった。
目を閉じる。
しばらくして、音がした。
コン。
一回だけ。
ねむは目を開けた。
ランタンの向きは変わっていない。
火も、同じ場所で燃えている。
内側の跡は見えない。
ねむは身体を起こさなかった。
「聞こえた」
それだけ言った。
音は、もうしなかった。
ねむはランタンを回さなかった。
見えない側は、見えないままだった。




