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第42話 白い文字の裏

二度目に呼ばれた名札は、しばらく濃いままだった。


澄は、その前から動かなかった。


ねむも動かない。


ましろだけが、杖を少し持ち上げた。


「レム、見える?」


「表からでは、文字が薄いことしか分からないわ」


杖の宝石の奥で、レムが目を細めたような気配がした。


「裏は?」


ねむが聞く。


「見てみないことには」


名札の持ち主は、まだ廊下にいた。


点呼が終わったあとも、自分の部屋の前に立っている。


片手で、反対の袖口をつまんでいた。


ましろは、その前でしゃがんだ。


「名札を外して、裏を見てもいい?」


少し考えてから、返事があった。


「うん」


ましろは、すぐには手を伸ばさなかった。


もう一度、相手の顔を見る。


返事は変わらなかった。


「いいよ」


「ありがとう」


ましろは名札を外した。


文字のある面を上にして、両手で持つ。


書き直された名前は、まだ読めた。


端の方だけ、朝の光に溶けかけている。


「裏返すね」


名札を返す。


裏には、何も書かれていなかった。


文字がないぶん、表より白く見えた。


ねむの目が、わずかに細くなる。


「夢の中は、全部こっちを向いてた」


「裏側が?」


「うん」


「同じもの?」


ましろが聞くと、ねむは首を横に振った。


「今は、裏が白いってだけ」


レムが小さく息を吐く。


「少し、下へずらして」


ましろは、言われたとおりに名札を傾けた。


下の縁に、黒い粒がひとつ付いていた。


埃よりも黒い。


光が当たっても、色が変わらない。


ましろが指を近づける。


「触らないで」


レムの声が鋭くなった。


ましろの手が止まる。


「知ってるの?」


「星骸の残滓ね」


澄が、名札を見た。


「これが、文字を薄くしたの?」


「分からないわ」


レムは、すぐに答えた。


「ここに残っていた。それ以上は、まだ言えない」


「一粒だけ?」


ねむが聞く。


「見える範囲では」


ましろは、黒い粒に触れないよう、名札の端を持ち直した。


「前にも、名札の文字が薄くなった」


言いながら、ソラの席札を思い出す。


黒い蛾。


端から消えていった文字。


なぞり直した名前。


食堂の入口で、足音が止まった。


「僕も、知ってる気がする」


ソラが、名札の裏をのぞき込んでいた。


「でも、ちゃんとは思い出せない」


「黒い粉のこと?」


ましろが聞く。


ソラは頷いた。


「たぶん。誰かの思い出に、くっついてくるもの」


ねむが、黒い粒を見る。


「名前にも?」


「名前ほど強くはないけど」


ソラは、少し考えてから続けた。


「温度とか、色とか、匂いとか。そういうものに止まる」


「じゃあ、名札に誰かの思い出が付いてる?」


「分からない」


ソラの返事は短かった。


「僕が知ってるのは、前の粉のことだけ」


ねむは頷いた。


「今の粒も、同じだとはまだ言えない」


「そうね」


レムの声が、少しだけ戻った。


「似ている。それ以上は、まだね」


ましろは、名札の持ち主を見る。


「この札、少しだけ預かってもいい?」


「返してくれる?」


「うん。必ず返す」


「じゃあ、いいよ」


返事を待ってから、ましろは名札を両手で持ち直した。


澄が、名札の外れた扉を見る。


名前のない扉になったわけではない。


名札を外しているだけだった。


それでも、ましろは扉から目を離せなかった。


食堂の中から、小さな歌声が聞こえた。


短い旋律が、椅子を引く音の上を流れていく。


誰の歌かは分からない。


途中で、一度だけ音が抜けた。


その先は続かなかった。


ねむが、食堂の方を向く。


「止まった」


ましろも聞いていた。


ソラも、何も言わなかった。


歌い手の名前を呼ぶ声はなかった。


少しして、食器の音だけが戻ってきた。


ましろは、手の中の名札を表へ返した。


書き直された名前は、まだ読めた。


裏側の黒い粒は、見えなくなった。


消えたわけではなかった。

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