60慟哭
「ッ、イレイナ!」
目を覚ましたネストは、起き上がるのと同時にイレイナの名を呼ぶ。
周囲には樹木の成れの果てが散乱しており、土煙のせいで視界はひどく不明瞭になっていた。
頭を打ったらしく、視界が揺れる。額から血を流すネストは、倒れこみながらも周囲を見回す。その先に、木々に半分ほど体を飲まれたスラシャの姿を見つける。
慌てて駆け寄って、体を押しつぶそうとする木々をどかす。幸い、一目見た限りでは大きな傷はなかった。けれど吹き飛ばされたときに頭を打ってしまっている可能性はあるし、骨が折れて臓器が傷ついているような可能性もある。
顔色は悪く、声をかけても返事はない。
即座に腰の鞄から回復薬を取り出すも、容器が破損して中身がなくなってしまっていた。
かろうじて無事な薬を飲みこませれば呼吸が落ちついて、小さく安堵の息が漏れた。
「っ、そうだイレイナたちは!?」
思い出したように顔を上げた先、そこで、再び激しい衝突音が鳴り響いた。吹きすさぶ強烈な風が土煙を排除する。
煙が晴れていくその先、木人形と高速戦闘を繰り広げるイレイナの姿があった。
木人形をイレイナ一人に任せるかもしれない無力な自分を責めながら、ネストはスラシャを抱き上げてアレインのほうへと向かった。
ネストと同じくベルコットと合流していたアレインは、ベルコットを背負い、ネストと並んで木人形から遠ざかるほうへと走る。
「ッ、アレインさん、ベルコットは!?」
「おそらくは大丈夫だろう。吹き飛ぶ際にとっさに捕まえたから、どこかをぶつけているという可能性も低い」
あの状態でとっさにベルコットを守ったとこともなげに告げるアレインのファインプレーに内心で最大級の賛辞を送りながら、ネストは小さくなることのない音の発生源へと視線を向ける。無意識のうちに頬がひきつる。
高速で大地を蹴り、拳とナイフをぶつけ合う木人形とイレイナは、少しずつネストたちのほうへと近づいていた。
正確には、ネストたちのほうへと向かおうとする木人形をイレイナが止めていた。
木人形は先ほど片腕を失ったはずなのに、その腕はすっかり再生したようでもとに戻っていた。ただ、踏み込むその足が生み出す振動は先ほどまでよりもかなり弱く、木人形を構成する樹木がかなり減ったらしかった。
砕かれた樹木を木人形が再び取り込む気配はない。それはつまり、木人形は生きている樹木しか肉体にすることができないかもしれないということ。
少しだけ色が淡くなったように思われる黒の木人形の拳、その表皮がイレイナの一撃によって削り取られる。
瞬間、樹木一つの幹に戻ったその木片が大きな音を立てながら地面に落ちる。
「ネスト!そのまま前に行って!」
スラシャ達をある程度遠ざけてから戦線に戻ろうかと考えていた二人は、けれどそのまま逃走を続ける選択をする。
ネストたちを戦闘に、イレイナと木人形が戦いながら追従する。その鬼ごっこは、終わりのないもののように思えた。
「繋がった!」
イレイナが叫ぶ。その一瞬、ほんの少しだけイレイナの態勢が乱れた。
木人形は、イレイナにとっても油断ならない相手だった。空間をゆがませるほどに木を圧縮して作った超密度の存在。瞬間的に体を膨張させて面による制圧を可能とする木人形の攻撃は、イレイナをして命の危機を感じるもの。
そもそも、イレイナは防御力の面ではそれほどではないのだから。
極限の集中を続け、木人形にあえてネストたちを負わせた。その作戦の成功の瞬間にイレイナの気が緩んだのは仕方のないことではあった。
けれど、その隙を逃すほど木人形は優しくはない。
降りぬかれた拳が瞬時に肥大化する。十メートル四方にわたる大きな拳が、大地ごとイレイナを殴り、吹き飛ばす。
これでもう、木人形を阻むものはいない。木人形は最も危険だと判断し、何より許しがたい薬を己に使ったベルコットを滅ぼすためにひとっ飛びにネストたちの前へと飛び込んで。
巨大化した拳を、ベルコットたちを大地のシミにすべく振り下ろした。
竜滅剣は、今はネストの手にはない。何より、抱えているスラシャのせいで両腕がふさがってしまっている。
足を止め、腰を低くしたアレインが迎撃の姿勢を見せる。だが、空より迫る大質量を跳ね飛ばすような圧倒的な力はアレインにはなかった。
死――影を前に、そう思って。
その時、黄金の影がネストの視界を走る。
金を溶かしたような艶めく髪をした、異様な空気をまとった存在。
精霊エルフィードが、迫る樹木の腕へとその手を伸ばす。
イレイナから連絡をもらい、すべてを投げ出して樹木を通じて移動してきたエルフィードが、怒りと絶望と慟哭を秘めて叫ぶ。
「堕ちたか、この阿呆めッ」
口汚く叫びながら、樹木に手を触れて。
次の瞬間、木人形の腕は消え去った。同時に、それまで平原へと姿を変えていた森に木々が戻る。
背中にある半透明の翼が大きく開く。空を舞うエルフィードが、強く握りしめた拳を木人形にたたきつける。
黄金の光がその前身がはなたれ、鱗粉のようにきらめきながら周囲へと散っていく。
拳を浴びた木人形が、虚ろな声を響かせる。その存在感が小さくなる。
森に緑が戻る。それは、木人形とエルフィードの綱引き。
同じように樹木を手足のように扱うことのできる両者だが、その力は比較にもならなかった。
木人形の正体は、堕ちた精霊。あるいは、魔王によって支配されたから、壊されたかした精霊の成れの果て。そんな存在が、真正面からエルフィードと精霊の力で競り合って勝てるはずがなかった。
自分の体であり身を守る鎧でもあった樹木をはぎ取られた「緑の精霊」は、ただの木の人形になり、それでも魔王の手足としてエルフィードへと牙をむく。
泣きそうになりながら拳を構えたエルフィードだが、その必要はなかった。
トス、と軽い衝撃が緑の精霊を襲う。その胸元を、背中からナイフの刃が貫いていた。
イレイナの一撃によって完全に仕留められた緑の精霊が、操り人形の糸が切れたように力なく地面に倒れこむ。
その体を、エルフィードは優しく抱きしめた。
「知り合い?」
額から伝う血をぬぐうイレイナが、木人形を膝枕しながらその頭をそっとなでるエルフィードを見ながら訪ねる。
その動きには、ただの知り合い以上の感情がうかがえた。
「……妹のようなものじゃな。我より後に生まれた緑――樹木の精霊。木々の成長と大地の緑化をつかさどる精霊であった。……決して、魔王にいいようにされて滅びてよい存在ではなかったの」
黄金の瞳が涙に濡れる。慌てて目をこするが、あふれるしずくが頬を伝う。
「こ、これは泣いているわけではないぞ?本当だぞ?」
「別に、誰も気にしませんよ」
「我が気にするのだ。精霊でありながら、このように、人類のように涙をこぼすなど……ッ」
強く唇を引き結び、そっと、死した精霊の成れの果てを撫でる。
その体には、熱は感じられない。もとより緑の精霊はそうした存在だった。けれど、そこに熱がないことが、ひどくエルフィードの心を揺さぶった。
あふれる熱が木人形の頭に落ちる。木目を伝うしずくは、木人形が泣いているようだった。
はらりと、木人形の体の一部が崩れる。砂のようになった体が、風に運ばれていく。
精霊の消滅。滅びが、そこにあった。
末端から消えていく緑の精霊の死を拒絶するように、エルフィードは強くその頭を抱きしめた。
けれどその頭部も、すぐになくなって。
空を切った腕の中から、緑の精霊であったものが消えて。
風に乗って遠くへと消えていく塵を見ながら、エルフィードは声を上げて泣いた。




