61濃縮樹液
緑の精霊の死を悼んで泣き続けたエルフィードは、しばらくして乱雑に目元をぬぐう。
頬を赤く染め、唇を少しだけとがらせながらぽつりとつぶやく。
「……情けないところを見られたの」
「別に、情けなくなんてないと思うけれど?」
「そうだね。むしろ、そうして感情を見せてくれたほうが温かみがあっていいと思うよ」
「我は精霊なのだぞ?世界を正しい方向へと導き続けるためには、感情などあってはならんのじゃ。つまり、これはイレギュラーじゃ。……誰にも、話すでないぞ」
「誰に話すっていうの?」
「む、ほら、あれじゃ。娘らは火のやつと顔見知りなのだろう?泣いていたなどとアレに知られてはやってられん。しばらく絶望してひきこもる自信があるのじゃ」
「火の……ああ、不死鳥ね」
「なるほど。でも、ここでエルフィード様が眠ってしまったら世界は危機に瀕するかもしれないんだよね?」
「む……うぬぅ、不貞寝することもできんではないか。仕方あるまい、さっさと世界を救ってくるのじゃ」
軽く言って見せるエルフィードだが、それに対するイレイナたちの反応は悪い。
これまで、イレイナたちはどこか魔王たちの戦力を楽観視していた。強くなった自分たちなら魔王だって倒せるんじゃないかと、そううぬぼれていた。
けれど、魔王側の敵一体と戦っただけですでにボロボロ。装備は大破し、もってきていた荷物は半分以上吹き飛び、快勝なんて言葉は程遠い。
そもそも、エルフィードがいなければ勝てたかどうかもわからない。
そんな状態で、ちょっと隣の家に顔を出してきて、みたいな気安さでさっさと魔王を倒せと言われたところですぐにうなずけるはずがなかった。
イレイナたちの変化を悟ったエルフィードは、下世話笑みを浮かべて二人の間で視線を行き来する。
「なんじゃ、我が身が可愛くなったのか?まあ仕方があるまい。せっかく関係が進展したのに死んでは元も子もないだろうな」
「そう思うなら、もう少し時間をくれてもいいんだよ?」
「いやじゃ。人間の時間が短いことを我はよく知っておるのだ。人間は放っておけばすぐ死ぬのじゃ。気づいたら爺になっておるのじゃ。だからさっさと倒してこぬか。そうでなければ精霊の力に有無を言わせて、おぬしらの来世が破滅的なものになるような呪いをかけてやるぞ?」
精霊であるエルフィードの呪いなど、考えるだけでも恐ろしい。それは世界に呪われるということであり、運命から見放されるということに等しかった。
恐怖に口元を引きつかせながら、ネストはイレイナを見る。イレイナもまた、ネストを、そしてアレイン、ベルコット、スラシャを見る。まだ目を覚まさない二人を見て心配そうに瞳を揺らしながらも、再びエルフィードに向けたその目には覚悟の光があった。
「ああ、やっぱり腹が座ると女は強いのじゃ。それでは頼むぞ」
そう告げたエルフィードの姿が変わる。肌が樹木のそれになり、体がぐぐぐと縦に伸びて、先端から緑が茂る。
そうして次の瞬間にはエルフィードだったその肉体は樹木に代わり、エルフィードは遠く離れたエルフの国へと帰っていった。
「……はぁ、とりあえず、次に精霊が敵として出てきた時の対処法を考えないとダメかな」
「そうね。……私の料理だと、どう?」
「効果はあったよね。片腕が吹き飛んでいたし」
ナイフによって体の中にねじ込んだマンドラゴラのラペ。それによって木人形の腕が吹き飛んだ瞬間を思い出して、ネストは小さく体を震わせた。津波のような樹木の壁が迫るあの光景は、これまでいくつもの死線を乗り越えてきたネストをしても心から恐怖し、死を感じずにはいられないものだった。
「でもまずは腹ごしらえ。……お腹減った」
お腹を押さえながらイレイナが告げる。それと当時に、きゅるる、と小さくお腹が自己主張する。
そういえば時刻はとっくに昼を過ぎていると思い出す。軽く髪を掻き混ぜたネストは、ベルコットの鞄を回収して食料を漁った。
「それじゃあ適当に昼にしようか」
「うん」
「私は何をすればいい?」
「そうだな……じゃあアレインさんは火をおこしてもらえるかな。イレイナはベルコットたちを見ておいて」
自分も料理を手伝う――そう言いかけていただろうイレイナを制して、ネストは逃げるようにイレイナに背中を向けて調理を始めた。
「私だって手伝えるのに」
いまだに自分が作る料理がもはや食べるものではないと認めていないイレイナは、ふてくされたようにつぶやいてから周囲を軽く見回す。
ふと、何か引っかかりを覚えて、イレイナは視線を見回す。そうして、気づいた。
先ほどまでエルフィードと緑の精霊がいたあたりに、黄金の輝きが見えるのを。
近づき、それを手に取ろうとして。なんとなく直接手で触れるのはまずいと直感した。
周囲に落ちていた枝を取り、挟んで持ち上げる。
とろりとした、黄金色の輝く塊。何かの結晶のようなそれには見覚えがある気がした。
「……ああ、エルフィードが眠っていた、精霊石?」
琥珀のような結晶に、それはよく似ていた。わずかに顔を近づければ、ふわりと甘い香りがする。
「……樹液」
それは、緑の精霊の体内にあった樹液。それが圧縮されたもの。
外見とは異なるその密度に、それを挟む棒が悲鳴を上げていた。
「ネスト、これ見て」
「ん?……なにそれ」
「精霊石に似ているけれど、少し違いそう。甘い香りがするし、樹液じゃないかなって」
「緑の精霊のってこと?で、どうするつもり?」
何を当たり前のことを聞くのかと、きょとんと首を傾げたイレイナは当たり前のように告げる。
「食べるけど?」
「いや、普通の人は正体もわからないような異常なものは食べないからね。食べて無事でいられるかどうかもわからないんだよ?」
「……胃に穴があくかもしれないけれど、たぶん食べられる」
「胃に穴が開くって、そんなに危険だってこと?それとも毒物じゃないか気が気じゃなくて、心労で胃にダメージが行くってこと?」
「違う。物理的に穴が開くかも。さすがに私も胃は鍛えていないし。……これ、ものすごく重い」
そう告げるイレイナがネストに確認させようと樹液の結晶を持ち上げようとしたところで。
バキ、と枝が折れ、樹液は支えを失った落下する。
地面に落ちた瞬間、樹液の球体は大地にめり込んだ。
「…………おお」
「…………うわぁ」
様子を見守っていたアレインが興味深そうな声を上げ、ネストは目元に手を当てて天を仰いだ。
「で、これを食べるって、本気?」
「口の中で雨みたいにとかしたらいけるんじゃないかと思うけど、どう?」
「ああ、イレイナの手が入っていないから普通においしく食べられるかもしれないね。僕なんかがやると舌とか下顎に穴が開きそうだけれど」
「ネストもたぶん大丈夫」
「たぶんで挑戦はいやだよ」
「大丈夫、挑戦は私がする」
「いや、イレイナが挑戦したところで僕が無事に済むっていう保証はないんだよ」
干し肉や瓶詰野菜を刻み終えたネストはそれらを鍋に入れ、魔法具で水を生み出して注ぐ。
「……それは、やっぱり甘いのだろうな」
アレインの言葉に、ネストは口元を引きつらせる。アレインは樹液に強い興味を示しているらしかった。きらきらと目を輝かせるアレインに見つめられて、イレイナは少しだけ悩んでからうなずく。
「たぶん」
「ではぜひ舐めさせてくれ。実験体にでもなんでもなろう。かつての知識にある甘味の情報に興味を持ってはいたのだ」
アレインは記憶がない。ただ、あらゆる記憶を失って知能が赤子レベルに戻ったというわけではない。アレインが失ったのはいわゆるエピソード記憶。「アレイン」という人間の経験が消えたのだ。正確には、イレイナを除くこの世の全人類から「アレイン」に関する記憶のほとんどが消されたのだが。
だから、アレインは知識自体は持っていることが多い。ただ、経験ばかりが欠如している。
「……試してみればいいんじゃない?少なくともここからでも芳醇な甘い匂いが香ってくるよ」
「じゃあ早速」
言いながらイレイナはナイフを素早く振るって樹液の球体を四等分に切断する。その一つをアレインに渡し、もう一つを口の中に入れる。
その瞬間、驚くほどの甘みがイレイナの口の中に広がった。それはアレインも同じで目を輝かせながら口の中で雨をコロコロと動かしている。
「……舌に穴は開かなかったか」
「この感じだと、口の中に入れた瞬間に重さが通常に戻るみたい」
「何だそれ」
「たぶんだけれど、この結晶に微弱な精霊の力の残滓が残っていたんじゃないから。それで、緑の精霊が消滅してもこれだけはこの世界に残った。そして、私が食べて取り込んだことで、自然から切り離されてとうとう精霊としての力を失った」
「…………体の中で元の体積に戻らなくてよかったな」
「そういえばそうですね。……そんな恐ろしい可能性もあったのですか」
「イレイナはもうちょっと警戒するべきだと思うよ」
ため息を漏らしながら、ネストは火にかけている鍋の中を確認する。
「たぶんいいんじゃないかな。お昼にしようか」
「うん……ベルコット、スラシャ」
「まだ起きないのか」
「……あ」
ベルコットが小さく苦悶の声を上げた。意識ははっきりしているようで。けれどどこか眠たげに周囲を見回す。ここはどこか――それを理解するほどにはまだ頭が回っていないらしかった。
「……何か、甘い匂い?」
ベルコットもまた女性である。甘い匂いに目がない彼女は、当然のように樹液の存在に気付いた。
そんなに匂うか?と考えながらネストが軽く鼻を鳴らす。そうしても、わかるのはスープに入れた香草のにおいばかりだった。
樹液の結晶口に入れたベルコットが目を輝かせる。一瞬で眠気は吹き飛んだようで、その目はパッチリ開いている。
「っ、甘い!」
その覚醒具合を見て、イレイナは残りのひとかけらをスラシャの口に放り込んで。
驚くほどあっさりと、あるいは突然彼女は眼を見開いた。
「蜂蜜玉でしょうか?でもそれには花のほのかな香りというのもありませんし……」
「樹液。たぶん緑の精霊の」
精霊の樹液――そう聞いたスラシャとベルコットが激しく動揺する。何しろ二人は、先ほど戦っていた敵が精霊だったことも知らなかったのだから。
心の構えもなしに告げられたせいで、スラシャは樹液の結晶を飲み込んでしまう。大きな塊だったせいかのどに引っかかり、慌てて水分を求める。
アレインが水を器に次いでスラシャを介抱する。
その横で、ベルコットは口もとに手を当て、しばらく逡巡してからがっくりと肩を落とした。
「どうしたの?」
「どうしたの、じゃありませんよ!精霊の樹液ってそんな貴重なもの、どうして食べるなんて発想になるんですか!?これがあればたぶん霊薬や神薬だって作れますよ!?」
「……神薬、いる?」
「……いらない気がしますね」
イレイナの料理で十分――そんな気付きを得たベルコットは後悔を見ずに流して樹液の結晶を口の中で転がした。




