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呪われし料理音痴イレイナの挑戦  作者: 雨足怜


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115神たちの決断

 一体何が起きようとしているのか。

 いつになく緊張感を強めるイレイナに引っ張られるように、ネストたちもそれぞれ戦闘モードに意識を切り替える。

 もっとも、その頭頂部で青々とした双葉が揺れているあたり、ひどくシュールな光景だったが。

 一瞬でスープを飲み込んだイレイナは、腰のナイフに手を伸ばしながら森の一角をにらむ。リエルリルルの手で再生された森。そこにはまだ虫も動物もいなくて、静まり返っている――はずなのに。

 そこに何かの気配を感じたイレイナは早業で抜き放ったナイフをその先へと全力で投擲しようとする。

「わ、待て。待つのじゃ!」

 焦りのにじむ声に、振りかぶった腕をぴたりと止める。聞き覚えのある声が森から響き、そうして、茂みの先から二人組の女性が姿を現す。

 一人は、老いた口調とは裏腹に子どもらしい無邪気さに満ちた精霊エルフィード。

 もう一人は、まるで樹木が擬人化したように見える、どこかおっとりとしたドライアドのエアリー。

 連結接続瞬動という樹木のある場所をつないで移動する方法で現れた二人を前にして、ネストたちは次々に緊張を解いて座り込む。

 いきなり驚かせてくれるなと、心の中でため息を漏らしながら。

 そんな中、突然現れたエルフィードが精霊であることに気づいてしまったリエルリルルはしばらく緊張で棒立ちし、やがてふらふらと地面に膝をついて首を垂れる。

「……お初にお目にかかります。私は緑の精霊の使徒、灰狼族のリエルリルルと申します」

「うむ。そなたの話は聞き及んでおる。各地の自然の活性化、大儀であった」

 ははあ、と地に額が付きそうなほどに頭を下げるリエルリルル。その姿を、ガウルは目を白黒させながら見つめていた。

 ベルコトットもまた、エルフィードの一般的なすごさは立ち位置を改めて認識し、自分がひどくイレイナたちに毒されていることに気づいて愕然としていた。

 そんな中、イレイナは何の気負いもなく近づいて、久しぶり、とエアリーに手を振る。

 イレイナたちとエアリーが顔を合わせるのはこれで二度目。エアリアル国の中央大樹、その化身たるエアリーのことなど、もはやほとんど忘れていた。何しろ、存在感の強すぎる精霊が出張ってくるから。

「それで、何の用?」

「ずいぶん冷たいの?」

 一体何をそれほどとげとげしているのか、理解できないとばかりに鼻を鳴らすエルフィード。その背後でぺこぺこと頭を下げるエアリーの姿には引っ張りまわされる者の苦労が表れていた。

 相反する空気の中、ネストはそろりとイレイナの顔を覗き込んで首をひねる。

 肌がひりつく空気をまとい続けるイレイナだが、その眉間には深くしわが刻まれていて、己が理解できないとばかりに自分の両手を見下ろす。

 自分は、どうしてこれほどまでにエルフィードたちを警戒しているのかと。

「……そうか。これは、相反する決断というわけじゃな」

 ぽつり、つぶやくエルフィードにはもう軽薄な空気はない。

 ゆっくりと歩み寄るその足取りは軽く、けれどまるで大陸そのものが歩いているような威容を背負う。

 何を隠そう、恵みをつかさどるエルフィードは、広い世界全域の大地を支配しているに等しいのだから。

 強まる緊迫感。エルフィードと、そしてイレイナ。

 神の領域に至っている精霊と、神という立場に足をかけた人間。

 並び立つ両者の間に目に見えない火花が散り、大気が荒れ、風が吹き始める。

「……それが、おぬしの答えかの」

 告げられる言葉は、イレイナに向けたものでありながらも、イレイナには届かない。けれど、言葉は確かに、イレイナの中に変化をもたらす。

 イレイナは心の内からこみ上げる自分のものではない感情に顔をゆがめる。

 筆舌に尽くしがたい悲鳴のような声。頭をぐしゃぐしゃにかき回されるような絶叫にふらつく。倒れそうになるイレイナの体を支えたネストは、そのあまりの熱に思わず息をのむ。

「イリエナ……何が、起きているのですか?」

 浅い呼吸を繰り返すイレイナの目はうつろで、地面をにらんだままただ浅い呼吸を繰り返す。その額には脂汗がにじみ、体は痙攣している。

 焦燥に駆られて問うネストを見て、エルフィードは片手をあげる。それに答えたエアリーが周囲に無数の大樹を生やす。

「我らは常に世界とともにある」

 ドライアドのエアリー。彼女が見せた、リエルリルルの神技を思わせる減少に言葉を失うガウルとベルコットをよそに、話は進む。

 ちらとリエルリルルを見てから重い口を開いたエルフィードは、今に至るまでのすべてを話し始める。

 それは、神たちの懸案事項であり、世界を救うための計画。

「もう長く、世界は停滞を続けていた」

 それは魔王のためであり、けれどそれだけが理由ではない。

「魔王は確かにこの世界における病巣であり、侵略者であり、平穏を奪い去る脅威ではあった……けれど、魔王がいたからこそ、生命はそれぞれに、これまで以上に活発に自らの安寧と繁栄を模索し始めた」

 外敵がいるから身を守るすべを考える。危機があるから、危機を乗り越えるために知恵を絞り、力を使う。

 魔王の存在は、この世界にとってプラスに働くはずで、けれど世界は停滞していた。

 つまり、魔王の存在によるプラスの効果を打ち消す分だけ、世界にマイナスの作用が働いていたということ。

「精霊……我らは世界を司る者であり、神威を得た世界そのものともいえる」

 己の胸に手を当てるエルフィード。その姿を、イリエナはぼやけた視界で見つめ続ける。

 ネストに支えられていることもわからないくらいに朦朧としながらも、けれど語られる言葉は、まるで潮騒のように、決して遠のくことなく意識に入り込んでくる。

 静かに、けれど力強く。

「だが、いつしか神という地位はその在り方を変えた。信仰という手段を得た精霊が神の地位を占めるようになり、そのうちに初めより存在していた神はあり方をゆがめられ、狂っていった」

 竜神という存在がいた。竜の血を引く種族に信仰されていたその神は、けれど精霊によって信仰をかすめ取られ、あるいは信仰の形をゆがめられ、常道を逸して、そのうちに心を狂わせた。狂気にとらわれ、人を襲い、勇者によって討伐された。

 そんな風に、土着の神たちは次々と狂い、ある者は己が狂いきる前に信者たちに自らを殺させた。またある者は、自らの技を持って命を刈り取った。はたまた、ただ狂い、狂気の果てに討伐された。

 少しずつ、少しずつ、世界からは神が姿を減らした。その数が減り、世界を管理する者が減り、信仰を一心に集めていた精霊たちの負担が、急激に大きくなった。

「これは、我らの過ちなのじゃ。我ら精霊が、自らの成長のために選択した、袋小路なのじゃ」

 神は数を減らした。神として常世の春を享受していた精霊もまた、その一部は魔王によって消滅し、ますます世界の管理者の数が減った。

 だから、世界は破滅へと進みだした。

「……のう、守護者。いや、世界を背負う者よ」

 ゆらりと、ネストに支えられることなく立ち上がったイレイナは、けれど誰ともつかぬ虚ろな瞳でじっとエルフィードを見据える。

 守護者――エルフィードによる転職によって至ったその立場は、魔王を倒すためのものなどではない。むしろ、魔王を倒すためには、世界を背負う立場など邪魔でしかなかった。

 けれど、あのタイミングである必要があった。魔王を倒すその瞬間に、イレイナに「守護者」であってももらう必要があった。

 それは、イレイナに新たな神へと至ってもらうため。魔王討伐という功績を、その信仰を一身に背負い、狂うことなくあり、そして、その信仰の力を使える状態にするため。

 では、守護者とは何か?

「のう、世界よ。神が手を貸して神を生み出す。それが禁忌であったことなどわかっておる。神が神を作り出す果てには、派閥の形成、そして神同士の大戦が、魔王など比ではない悲劇が待っておる……じゃがの、こうでもせんと世界は上を向かん。前へと進みだせん」

 イレイナは答えない。すでにそこにイレイナはいないのだから。

 無数の声。現在と過去と未来、すべての時間軸にわたる「世界」という存在は、イレイナという器越しにじっとエルフィードを見つめる。世界法則を変えようとするエルフィードの言葉を聞く。

 エルフィードが、イレイナを新たな神に仕立て上げた。その言葉を、かみしめるように聞くネストは、すぐ隣に立つイレイナを見れずにいた。イレイナでありながらイレイナではない何か――それを、直視できない。

「我らの決断を、受け入れてはくれぬか?」

 虚ろな瞳を前に、エルフィードは一歩も引かない。ただ、これが最善の道だと、強い眼差しで見つめ返す。

 これが、最善のはずだった。

 同胞であり我が子であり大切な信者であるエルフたちのためにも、短い時を必死に生きあがく人間たちのためにも。そして、この世界のためにも。

 果たして、イレイナの体に宿ったそれは、こくりと、小さくうなずいて見せる。

「そう、か」

 深く吐息を漏らしながらつぶやき、そうして、エルフィードは自分が柄にもなくひどく緊張していたことに気づいた。汗のにじんだ手を開き、にっと笑う。それから、ぐるりと首を巡らせてエアリーを見る。

「頼むぞ」

「はい。エルフィード様の望むままに」

 これまで長く力を蓄え続けていたエアリー。彼女はゆっくりとイレイナに近づき、その額に触れる。

 立ち尽くすイレイナはやはり、イレイナであってイレイナではない誰か。何か。

 一歩、気圧されるように下がる自分に気づいたネストは、焦燥のままに何かを告げようとして。

 瞬間、大地より伸びる無数の細い樹木が格子となり、ネストの体を押しやる。イレイナから、遠ざける。

 半円状に広がる樹木の格子のドーム、その中央。

 エアリーは、イレイナを正式な神にすべく、ゆっくりと言の葉を紡ぐ。

「―――――」

 それは、言語にならない音の羅列。遥か昔にほろんだ、意思を伝えるための言葉。

 紡がれるそれが、イレイナに宿る信仰を刺激し、そして、その在り方を変容させるべく動き出す。

「……どうか、恨むのでしたら私を恨んでください」

 目を伏せて告げるエアリーが手を放し、そして。

 イレイナの体は、春の日差しのごときまばゆい、されどあたたかな光に包まれた。


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