114決断
ガウルが持ち帰った悪魔の肉片では足りない。
そう告げたイレイナはその遺体に向かって歩き出し、ネストやベルコットも後に続いた。
先頭にガウル、続いてイレイナと、リエルリルルを背負ったネスト。最後尾に位置するベルコットは、進む者たちの背中をただじっと見つめる。
たった数歩。それだけで並べるはずのその背中はずっと遠くて、自分のことが嫌になった。
先ほど思い出した無力感。魔物の討伐のために出発する冒険者を見送るばかりだった記憶が、心の弱いところを揺さぶる。
自分は、このままでいいのかと。
ベルコットという人間は、決して戦闘に秀でた存在ではない。才能もない。
ただ、イレイナという劇物に出会って、おかしな反応を経て、なぜだか世界最高峰の鍛冶の才能を宿した、よくわからない存在。
強くはない。がむしゃらに努力しても、その背中にたどり着けない。
けれど、と思う。
けれど、自分には確かに、自分だけが持つアドバンテージがある。他者に秀でたところがある。
例えばそれは不死鳥に認められたということで。
あるいは、狂薬の魔女という祖母を持つということ。
幼いころから祖母と共に育ってきたベルコットには、常人をはるかに超える薬草の知識がある。薬の情報を持っている。その方面を伸ばせば、自分はオンリーワンになれる。ネストたちに並び立てる存在になる。
そう思ってもできないのは、魔女に対する人々の反応を知っているから。魔女の一部が実際に働いた凶行を知っているから。
だから、最後の一歩を踏み出せずにいた。魔女であることを、魔女となることを、選択できずにいた。
その選択はずっとベルコットの目の前にあって、けれど、それから目をそらし続けた。
そして、今もまた――
「……ぁ」
もれかかった歓声は、けれど言葉にならずに大気に交じっていく。
見上げるほどの巨体。山のようなそれはガウルによって討伐された悪魔の遺体。森一つを軽く平らげる体には無数の傷があり、そこから赤黒い血があふれていた。
周囲の大地はおびただしい血に濡れ、鉄さびのにおいが周囲一帯に充満している。
ガウルが、たった一人でこの魔物を倒した――見れば、本人は誇らしげに胸をそらしていた。
激戦だったのだろう。魔物の返り血で真っ赤だったガウルは、けれどその体のあちこちに擦り傷や打撲を受けていて、けれど確かに勝利した。
悪魔――魔王の統率から逃れた、人類の敵。
ガウルは、それに対抗できる力を手にした。あるいは最初から力を持っていて、ただ、覚悟が彼を変えた。
相手の体内に入り込んで内部から殺したと、誇らしげに告げるガウルもまた、気づけばベルコットからは遠い存在になっていた。
目がくらむ。まぶしすぎる光。近いほどにその光線は己を焦がし、あるいはどうしようもなく自分の影を濃くする。
「別に、急いで決める必要はありませんよ」
座り込んでいたリエルリルルはそれだけ告げてガウルを見る。「大きくなった」と、そんな目でガウルを見つめるリエルリルル。その目は、けれど置いて行かれたとは思っていない様子だった。
恐るべき速度で解体を始めたイレイナ。それ自体はまだ料理とみなされていないせいか、悪魔の肉がイレイナの魔力によって変質している様子はない。ただ、これを料理の一工程だとほんの少しでも考えた瞬間、イレイナの手が、ナイフが触れた部分はきっと腐り落ち、あるいは強烈な悪臭を放つ。
料理だと思わないように必死に自分に言い聞かせる。それがどれだけ大変かを必死に訴えていたイレイナの言葉が脳裏をよぎる。
イレイナもまた悩んでいる。けれどそれは、当人以外からしてみればひどくどうでもいい悩みで、うらやましいほどだった。
それでも、イレイナ本人は確かに悩んでいる。どうすれば料理ができるようになるか、今では縁の切れたかつての仲間の言葉を胸に、必死に挑戦を繰り返している。立ち止まることなく、二の足を踏むことなく。
その背中を見ていると、自然と活力が胸に満ちてきた。
失敗したっていい。ほとんど全戦全敗のイレイナに比べればよほどいい結果になると。
たとえだめでもいいから、まずは挑戦してみるべきだと。
表情に覚悟を宿したベルコットを、リエルリルルはまぶしそうに、あるいは愛おしげに目を細めて見守る。
「……ガウルのことも、よろしくお願いします」
「なんで私に言うのよ」
絶対に嫌だ。すん、と表情を消したベルコットの反応がおかしくて、リエルリルルはくすくすと笑う。
「そうはいっても、意外と上手くやっていけるかもしれませんよ?少なくとも私の目には、お二人の相性はばっちりに見えます」
「あいつと一緒なんて御免よ」
絶対に嫌だと首を振り、それでも突き刺さるどこか生温かい視線から逃げるようにベルコットはイレイナの方を見る。
巨体は気づけば骨ばかりになっていて、積みあがった肉を、イレイナは連続で焼いていく――炭へと変えていく。
燃え尽きて灰になる肉があれば、一瞬で業火に包まれて炭と化す肉もあり、あるいは何やら毒々しい蛍光紫に変化することもある。
本当に見ていて飽きないと思いつつ、ベルコットは大きく体を伸ばす。
「行くのですか?」
「あのままイレイナに全部任せていたら食べられたものじゃないでしょ」
「どうでしょう。奇跡が起きるかもしれません」
「奇跡なんて求めるくらいなら、自分からつかみに行くわよ」
言って、ベルコットは歩き出して。
ポン、と何かが炸裂する乾いた音が響く。
瞬間、シャルが火にかけていた悪魔の肉が粒子のように崩れて炎の中へと落ちていく。
――それだけならよかった。
ただ、その小さな粒たちが、一斉に炎の中から飛び出して、四方八方に走り出さなければ。
黒いそれらは、一つ一つが虫の姿をしていた真っ黒な、炭でできた虫。
どうして動いているのか、どうしてそんな形になったのか、原理も理由も不明なそれらを前に、ベルコットは真っ青な顔で唇を戦慄かせる。
「な、なんなのよ!?」
生まれも育ちも町の中。子どもの頃、風邪を引いたときに滋養強壮のために食べるべきだと見せられた、瓶に詰まった虫の佃煮。それ以来密集した虫が嫌いになっているベルコットは絶叫し、そうして意識を失ってふらりと倒れた。
その体に、虫が迫って、そして――
「は!?」
がばりと勢いよく飛び起きる。
ひどく怖い夢を見ていたのか、服は汗でひどく重く、冷たい。
疲労感を訴える頭を押さえつつ、ベルコットは周囲を見回す。
芳醇な香りを漂わせる鍋と、それをかき混ぜるイレイナ。その姿を見ると体が震えだし、奥歯が鳴ったが、ベルコットにはその理由がわからなかった。
意識を失っていたらしいと理解したベルコットは、けれどそのわけを問う気にはなれなくて、ただのっそりと起き上がってネストたちの方へと向かった。
「ネストさん。聞いてほしいことがあるんです」
真剣な気配を察したからだろう。ネストはガウルとの談笑を辞め、表情を引き締めた顔でベルコットを見る。
促された簡易の椅子となった丸太に座り、ベルコットは受け取った水を飲み干す。潤った喉の状態を整えるために軽く咳払いをして、頭の中にある思いを言葉にまとめる。
「私は――」
「できたわ」
空気を読まないイレイナがよそった器を運んでくる。
ぐつぐつと煮えたぎるスープからは、なぜだかひどく食欲を引く香りがする。イレイナの料理とは思えないその香りに、ごくり、とネストが喉を鳴らす。それは美味を予感してのことか、あるいは嫌な予感を飲み込んでのことか。
「今日はまたずいぶんとおいしそうだね」
「力作よ。やっぱり悪魔はいいわ。あまり私の魔力の影響を受けないもの」
これがさきほど倒されたあの気持ち悪い悪魔の肉――そのことを思い出し、ベルコットの食欲は一気に減衰する。誰が人語を介する人類の敵を好んで食べるというのか。
思いながら見増せば、視線の合ったネストがあきらめきった笑顔で笑う。
覚悟を決めないとね、と語るその目はすでに遠くを見ている。
スープの中は、どういうわけか暗黒色をしていた。光のすべてを吸い込む、タールのような色と粘り気。その中にごろごろと、形を保った食材が浮いていた。
「イレイナ、これは?」
「悪魔のスープよ」
「あの悪魔って、こんな黒色はしてなかったよね?」
「最初に焼いたらこうなったわ」
それ以上はただ墓穴を掘ることになりそうで、賢明にもネストは質問を辞める。これ以上余計なことを聞く前にさっさと食べてしまえ。
覚悟を決めて、ネストは料理を口に運ぶ。
カッ、と目を見開いて、そして。
次の瞬間、ネストの頭に、ぴよん、と双葉が伸びた。
「……あぇ?」
「わぁ」
かつてない効果に、困惑に目を揺らすガウルと、やや興奮した様子のベルコット。二人の反応に気づいたネストは、少しの違和感がある頭部へと手を伸ばして双葉に触れる。
「何これ」
「子葉ね。このまま栄養を与えたら花が咲くのかしら」
「……待って。子葉?一体何がどうなればそんなことが起こるの?」
これまでのイレイナの料理はただまずいだけで、食べた相手に影響を及ぼすことはほとんどなかった。その例外が崩れるということは、今後、さらなる災厄が襲いかかる可能性を秘めていて。
ネストはもう、遠い顔をする以外にできることなどないことを悟った。
ええいままよ、とベルコットとガウルも食事を口に運び、ぽぽん、と頭の上に双葉をはやす。青々とした二つの芽。そよそよと吹き抜ける風に触れるその双葉は、本当に二人の頭頂部から生えている。
「……よく食べられますね」
「だってこれよりひどいものがいくらでもあったからね。……あ、ごめん」
失言に気づいたネストが謝るけれど、イレイナはそもそも声を聴いてもいなかった。その意識は料理だけに向けられていて、どこかピリピリと肌がひりつくような空気を出しながらスープに口をつける。
果たして、イレイナは味わうべく口の中でスープを動かし、食材を咀嚼し、飲み込んで。
頭に生えた双葉を揺らしながら首をひねる。
「やっぱりおいしくないわ。どうすればいいの?」
「とりあえず、この芽は何なのか、どうなるか、どうすれば消えるか考えない?」
言われて、あごに手を当ててしばらく考える。果たしてイレイナが語ったのは、森喰らいが森を飲み込んで取り込んだ生命の力とでも呼ぶべきものが肉に宿っていて、それを食べたせいで頭頂部に目が伸びたのではないかということ。
「……そんなことがありうるのか?」
点でわからないと告げるネストに、イレイナもまた「さぁ?」と首をかしげる。
そんな二人に、ついでにガウルに対して話をするべく、ベルコットは再度覚悟の決まった顔で口を開いて。
次の瞬間、イレイナは一瞬で空気を換え、ひりつく圧を身にまといながら目を細くする。




