113獣人と歩む者
結局リエルリルルは何を言い立ったのか、ベルコットにはわからない。
何やら意味深に、まるで自分の未来を見透かしたような言葉を告げたリエルリルルは、浅い呼吸を繰り返しながら眠っている。
その体はひどく冷たく、命の灯が消えようとしているように思われた。
どうしてリエルリルルはそこまで自分を犠牲にできるのか。そんな彼女が本当に伝えようとしたことは何か。
脳が沸騰するほどに考えるけれど答えは出ない。
ベルコットは横たわるリエルリルルの隣に座り、イレイナとネストの方を見る。
ガウルが帰ってくるまでの間、空いた時間を使ってイレイナは料理を、ネストは荷物の確認と整理を早々に済ませて、現在は剣を振っている。
目を奪われる流麗な剣技。風を切る音がまるで子守唄のように思われて、すっかり染まってしまったとベルコットは苦笑を浮かべる。
ただの冒険者組合の受付嬢。その職を選んだのはきっと、冒険者であった父を見送る習慣がついていたから。
いつだって、ベルコットは見送ってきた。時にはそれが最後の邂逅になる冒険者もいた。
依頼達成を報告することなくどこかに旅立った者たち。相手が親しければ親しいほど、ベルコットは浴びるように酒を飲み、祖母にアルコールの飲みすぎを注意され、薬を調合してもらった。
祖母「狂薬の魔女」が作る酔い止めの薬の効果は劇的で、けれどアルコールを辞めさせるために、それはひどく苦いものだった。
ただ、その苦味を受け入れられるほどに、ベルコットの悲しみは大きかった。
その日々は、繰り返しが、ベルコットの心に芽吹いていた小さな双葉に水をやった。
守れず、ただ見送るだけは嫌だ。無力が、いやだ。
帰ることなく大地に消えた者たちを、もし、私が守れたら。
そんな願望がいつしか心の深いところにできていて、だから、ベルコットはなんだかんだと言いながらイレイナたちに手を貸した。強くなろうとした。
そうして、不死鳥という精霊に祝福され、オリハルコンを加工できる人になって、けれど、イレイナとネストには届かなかった。
魔王との闘いでも、その後の戦闘でも、ベルコットは何もできなかった。ただ回復薬をぶつけることしかできなかった。
そんな無力な自分が嫌で仕方なくて、けれどどれだけ戦闘の腕を鍛えたところでイレイナたちに届かないことを悟ってしまった。
力が欲しい。自分にできることなら、何でもやってあげたい。
それが愛だというのなら、自分はネストだけではなくイレイナにも愛情を抱いているのだと。困ったように笑みを浮かべつつ、ベルコットはイレイナを見守る。
相変わらずイレイナが料理をしようとすると、その燃料では絶対に出せないだろう火力が発生し、異常な反応が起き、極彩色の煙が立ち上る。
一体何の実験をしているのか。少なくとも初めてこの光景を目撃した人は、イレイナが料理をしているなどわかるはずがない。
ネストもまた、ポン、という爆発の音に手を止めて、苦笑を浮かべながらイレイナの方へと近づいていく。
その姿をぼんやりと見つめながら、ベルコットはきゅっと痛む胸を押さえる。一緒にいるだけで幸せだと、そう告げる笑みを、独占したかった。自分のものにしたかった。
そんな醜い気持ちを押しとどめ、ベルコットは空を見上げる。
にじむ視界。けれどその涙は決してこぼすまいと。
「……何やってんだよ」
視界に影が落ちる。
気づけばすぐそばに立っていたガウルは、ベルコットの目元に光るものを見つけて、もごもごと口を動かす。
ガウルに嫌なところを見られたと、ベルコットは顔をゆがませながら涙をぬぐい、恥ずかしさをごまかすように唇を尖らせる。
「ちょっと、血生臭いわよ。体調不良の人がいるところに来ないで」
悪魔との戦いを終えたガウルは全身血まみれで、ところどころに肉片と思われるピンクの何かが張り付いていた。
気分が悪くなるにおいに鼻をつまみ、追い払うような動作。それをされたガウルは、けれど体調不良の人という言葉に反応して、そこでようやくリエルリルルの顔色に気づいた。
「あぁ?……リエルは、大丈夫なのか?熱か?怪我、じゃないよな?」
「……さぁ」
大丈夫だと、そんな気休めを言う気にはなれなかった。その言葉は、嘘になってしまうから。
たとえ祖母であっても治せない。それほどにリエルリルルの状態は悪い。正直、いつ帰らぬ人になってもおかしくないほどに。
それでもリエルリルルが折れず、立ち止まらないことを、どうしようもなく理解できて、だからベルコットはただ口を閉ざす。
相変わらず浅い呼吸を繰り返すリエルリルルは目覚めない。灰色の体毛に包まれた彼女の顔色を察することは難しいけれど、それでもその苦しみは手に取るように分かった。
「……どういう、ことだよ」
響く低い声にハッと顔を上げる。
ガウルの顔には、怒りがあった。責める視線を受けて、どうして自分が責められないといけないのか、ベルコットはカッとなって怒りに突き動かされて立ち上がる。
「どうしてそんな目で見るのよ」
「お前が、リエルに何かしたのか?」
魔女の孫娘のお前が――そんな副音声が聞こえた気がした。
気づけばベルコットは一歩を踏み出し、そうしてガウルの頬を叩いていた。
「そんなわけないでしょ!」
高く音が鳴り、頬を抑えながらガウルは茫然とベルコットも見つめる。
大した痛みではなくて、けれど衝撃から、ガウルは怒りすら忘れていた。
目じりに大粒の涙をたたえて、ベルコットは吠える。どうして自分はこれほどまでに強い感情に突き動かされているのか、自分を動かすこの感情は何か、考えながら。
「私のおばあちゃんを、リエルリルルを、馬鹿にしないでよッ」
こみ上げた言葉はガウルに響き、そして、ベルコットの心に響く。
あぁ、と。すとんと、理解した。納得した。
自分が怒りを覚えているのは、ガウルに手を出したのは、自分のためではなかった。
誰かのためにと、覚悟を胸に宿すものたちを否定し、馬鹿にするような言葉に思えて、だからガウルが許せなかったのだと。
リエルリルルは、覚悟を持って術を行使している。場合によっては一度の発動で死んでしまいかねない人知を超えた力を繰り返し使って、人のために活動している。
祖母だってそうだった。魔女とさげすまれ、時には石を投げられて。それでもこびず、ひるまず、救うべき患者のために己の腕を振るった。たとえ患者に馬鹿にされても、恐怖されても、自分が癒した相手に唾を吐かれても、「治ってよかった」と、心から笑った。
そうした人を馬鹿にされているように思えて、我慢ならなかったのだ。
しばらく荒い呼吸を繰り返すベルコットは、リエルリルルのうめき声にハッと我に返る。
「気が付いた?大丈夫?体に痛みは?気持ち悪さは?」
すっかり怒りの抜け落ちたベルコットの変わり身の早さについていけないガウルは、介抱するベルコットの姿を、ただ茫然と見つめていた。




