111森喰らい
リエルリルルと合流したイレイナたちは、これまでと同じように旅を始めた。
各地をさまよい、魔物を倒し、時々冒険者組合に足を運んで路銀を稼ぐ。
ただ、その道程に、食料調達・運搬と、悪魔討伐が加わった。
悪魔。それは魔王に率いられて人類を滅ぼそうとする者たちで、魔王という指揮官がいなくなった今、好き勝手に人を虐げ始めた人類の敵。
そんな悪魔たちの攻撃対象は、何も人だけではなかった。
「……森が、消えた?」
とある町にて、冒険者組合で告げられた言葉をネストは呆けたようにオウム返しする。
深刻な顔でうなずく受付嬢は、いまだに内容が受け入れがたい様子のネストたちに詳細を語って見せる。
悪魔と思しき存在が、森を一夜にした消したこと。偶然その一部始終を目撃した冒険者によると、地中を泳ぐように進む怪物が土砂ごと木々を食らったのだと。
「魔物なら、ありうる、のかな?」
これまでの道中、ネストたちは何体かの悪魔に遭遇し、激戦の末にこれを討伐してきた。激戦といっても、それはイレイナが料理に集中して手が空いていない時で、それ以外の時は、悪魔は総じてイレイナの手でなます切りにされていたが。
もはやイレイナだけでいいのではないか――そんなことを考えたことを思い出しながら、ネストは険しい顔で隣に立つイレイナを見る。
「どう思う?」
「森を平らげるくらい大きい悪魔だったら料理のし甲斐がある」
「あ、そう。じゃあ倒しに行こうか」
「……そんな風に決めるのですか?」
驚愕と困惑の問いかけにネストは諦めたような笑みを浮かべてうなずく。
「イレイナにとって料理が一番だからね」
そんなネストの言葉に同行者の誰も否定しないことを受けて、受付嬢はただただ絶句していた。
森喰らい――そう仮称される悪魔の討伐は、何も料理をしようというイレイナの要望だけで決まったわけではない。
リエルリルルはやや暗い顔で、決意にこぶしを握ってその土地を前に立ち続ける。
そこにあるのは、すべてを掘り返されたように柔らかく耕された大地。つい先日までは木々の生い茂る森だったというそこには、今や木の一本、緑の一つもなく、ただ黒っぽい大地が広がっているばかりだった。
「……許せるわけがありませんよ」
リエルリルルは緑の精霊の使徒だ。森を愛し、自然を愛し、草木を愛する者だ。だからこそ、こうして禿げた土地を前にして、彼女は冷静で居られなかった。
誰よりも自然のために動き、自然という恵みを、人々が生きるための糧を与えてくれる崇高なものを守ろうと一人で戦ってきたのが、リエルリルルという獣人。
そのことを知るネストたちは、改めてこの森を食い尽くした悪魔を絶対にここで倒すことを胸に誓う。
そんな中、ガウルだけはただじっとリエルリルルの背中を見つめていた。
その目に映るのは姉のようで妹のようでもあった幼馴染とはまるで違う、一人の戦士の背中だった。
その筋肉の付き方や重心から、ガウルは彼女が決して強くないことを理解している。こと戦闘になれば、自分はあっさりと勝利できるだろうと。だからこそ、そんなリエルリルルがこれまでたった一人で大陸中を渡り歩いて、各地に自然の聖域を作ってきたということが彼には信じられなかった。
どうして、弱いのに戦おうとするのか。
どうして、弱いのに歩みを止めないのか。
力こそすべて。復讐のためには力がいる――ガウルの価値観は、大きく揺らいでいた。
視線を下ろし、ガウルはじっと己の手を見る。
鍛錬を重ねたその手は筋骨隆々としていて、大きく、なんでもつかめそうなくらいには大きい。
それなのに、今、ガウルはその手が何もつかんでいないと思った。自分は何も手にしていないのだと、手に入れていないのだと、そう、理解した。
そうして、ガウルは気づいた。自分は何かを求めていたわけではなかったのだと。ただ先祖の、獣人族が長きに渡って味わったという苦しみを言い訳に、魔女を虐げて愉悦を覚えていただけなのだと。復讐だなんだと言いながら、その実、ただ魔女を消すという使命感に、正義感に心酔していただけだったのだと。
そうして血に濡れた手は何をつかむこともなく。
対してリエルリルルの手は、確かに己で求めたものをつかんでいるように見えた。
そして、苦しみの旅の果てにつかんだそのナニカが、今、ガウルの目の前で手のひらの中から零れ落ちそうになっているように見えた。
ほかでもない、森を丸ごと平らげるという、リエルリルルの敵の手で。
「……なぁ」
早速歩き出そうとしていたイレイナは、ガウルの声に足を止める。
なんだと、振り向いたそこに、彼女は覚悟を決めた男を見た。
「……俺に行かせてほしい」
「ガウル?どういうこと?」
詳細を問うネストを見て、困惑に眉を顰めるベルコットを見て、イレイナに軽く頭を下げて、リエルリルルを見て。
それから、ガウルは空を見上げながら少し考える。
自分はどうしてここにいるのか。自分は、どうして戦うのか。
自分は、これから、どうやって生きていくのか。
英雄の尻にくっ付いていくのは止めだ――そう、ガウルは心の中で告げる。
ただ流れに任せ、イレイナたちの仲間として何も考えずに爪牙をふるうのは止めだと。自分はこれから、大義のために、本当の正義のために戦うのだと。
その決意にわずかに目を見張り、ネストはそれ以上何を言うこともなく道を譲る。
「悪い……俺は、これまでただついてきた。でも、それじゃダメだろ?俺は戦士だ。俺は戦える人間だ。俺は、俺のためじゃない、俺以外のためにも戦えるんだと、そう証明するんだ」
まっすぐ、イレイナを見て告げる。立ちはだかるように前に立つイレイナ。英雄。魔王殺し。おそらくはこの世界最強。そして神という頂に手をかけた存在。
そんな人物を前に、気圧されることなく、ガウルは立つ。
「……よくわからないわ」
心から不思議そうに首を傾げ、けれどイレイナもまたガウルに道を譲る。どういうことかと視線で問うガウルに、イレイナは一つ、と人差し指を立てる。
「私はこの森を食べた大きな悪魔を料理できればそれでいいの」
「そう、か。……やっぱりお前は少しおかしいな」
そう告げるガウルの顔は、どこか吹っ切れたようで。
走り去っていくその背中を、ベルコットは何度も目を瞬かせながら見送った。
ふっくらと耕された大地に足を取られそうになりながらも、ガウルは止まることなく森だった土地を進む。その体にいつも以上に力がみなぎっていることをガウルは感じていた。
広く、本当に広く、大地から木々が消えていた。おそらくは全力で軽く二時間は走って、ようやくガウルは荒地の端にたどり着いた。
そこには緑と、そして、それを今も飲み込んでいく白い芋虫もどきの姿があった。どこかヤツメウナギを思わせる口は無数に裂けて、木々をからめとってへし折り、体内に収めていく。地上に見えるだけで軽く十メートルはある巨大なそれは、次々と木を食らっては地中まで伸びる体内へと収めていく。
悪魔――それを前にただ一人で立っているということに、心細さを恐怖を覚えて。
そんな己の頬を全力で殴り、口の端からこぼれる血を舐めとってガウルは獰猛に笑う。
これが、自分の本当の闘いの始まりだと。
意味が分からない――同時刻、そんな風にリエルリルルが心の中でぼやいているのを彼は知らず、ただ目の前の敵を殺すために走り出す。




