110たとえ明日世界が滅ぶとしても
話は終わりだと、羞恥から逃げるように席を立ったリエルリルル。
彼女に続いて立ち上がったイレイナたちは、自分たちの魔王討伐の旅がまだ終わっていないことを理解して、互いに顔を見合わせてうなずく。
魔王は倒された。あるいはそれは自滅のようなものだったのかもしれないが、それはさておき。
現実は、物語のようにただハッピーエンドでは終わらない。
魔王を討伐した英雄は、ただ英雄として平和な世界に生きるという結末は迎えられない。
魔王という恐怖の象徴、王を失った配下の悪魔たちは大陸の各地で動き始め、人類はそれに抗うべく、種族生存をかけた戦いを始めようとしていた。
そんな渦中にあって、ベルコットはただただ遠い目をしていた。
かつては安定した仕事を求めて冒険者組合の受付嬢になって、けれど気づけばオリハルコンの加工の第一人者たる鍛冶師となっていて?魔王を討伐する英雄たちと行動を共にして、そうして今もこれからも、その仲間として活動をしようとしている。
「私はどうしてこんなところにいるの……?」
つぶやきながら目が向かう先にあるのはネストの背中。
好きになった男の背中を追うためだけにここまで来るなんて、と心の中で過去の己を呪いながらもベルコットは諦めの吐息を漏らす。
すでに賽は投げられた。世界は波乱の時代を迎え、安全な場所などどこにもない。むしろイレイナとネストの傍こそが最も安全かもしれないような状況。
「大丈夫よ」
「何がですか……」
力強くうなずくイレイナ。どうしてそんなにも自信をもってうなずけるのか、まったく理解できないとベルコットは渋い顔をする。それでも、ベルコットはイレイナに魅かれる自分がいることを理解していた。
それはまるで暗中に灯る松明のように、激動の世界にあって揺らがずに輝く炎のよう。
そして、ベルコットはもう一人、イレイナのような独特のカリスマ性が垣間見える女性の背中を見る。
リエルリルル。一同の戦闘を歩くその女性は、緑の精霊の使徒にして、人類生存のためにたった一人で暗躍してきた女性。
視界に映る二人に魅了されるのはなぜか――気づきを、ベルコットは必死に否定する。
「……嫉妬とか、そういうのじゃないはずなのよ」
ぽつりと、漏れ出たそれは間違いなくベルコットの本音だった。
イレイナみたいに、リエルリルルみたいに、自分もありたい。芯をもって、自信をもって、揺らがぬ己をもって歩く女性になりたい。
そうすれば、自分も――
ぐううう――腹の音に一同はぴたりと足を止め、音のする方を見る。
そこには、自分の腹を抑えるガウルの姿。
「……し、仕方ねぇだろ。さっきからいい匂いがひでぇんだよ」
「まだ食べたりないって、どうなの?」
ベルコットの視線から逃げるようにネストの方へと顔を向け、ガウルは助けを求めるように見つめる。
「……そうだね。お腹を落ち着けてから移動しようか」
シャア!とガッツポーズをするガウル。彼は一部の女性たちからジト目を向けられようと意に返さない。
その意識は、すでに並ぶ屋台にくぎ付けになっていた。
エーデルフェルデの海産物に舌鼓を打ちながら、改めてネストは今後のことを考える。
リエルリルルの協力要請。それを全員で受け入れたのは、誰もが心のどこかで負い目を感じていたから。
果たして魔王を討伐したのは正しかったのかと。
すでに各地で悪魔による被害は出ていて、それは魔王が死んだから――自分たちが魔王を倒したから。
それはつまり、魔王討伐以降に起こった悲劇は、その原因は、自分たちにあるということ。
うつむくネストは、肩を叩かれてはっと顔を上げる。
「食べる?」
「……それ、明らかに屋台の料理じゃないよね?」
「自信作」
淡々と告げるその声音に自信などうかがえない。ただじっと己を見つめるイレイナの空色の瞳に負けて、ネストは黒炭を手に取ってかじる。
幸いなことにそれはただの炭の味がした。おそらくは魚であっただろう、塩気のある炭。
先ほど一人町に抜け出したイレイナが作ってきた、料理と呼び難いもの。
「……うん、まあましだね」
「そう」
「そうだよ」
口の中でじゃりじゃりと音を立てる炭を飲み込んでから、ネストは何かを考えている様子のイレイナを見下ろす。
はたと、ネストはイレイナの思いを察してばつの悪い顔をする。もしや魔王討伐の責任を感じている自分を励まそうとしていたのではないかと。
むしろイレイナが背負い込まないように自分が励まして、イレイナに惚れこんでもらいたい――使命感と男としての願望をないまぜにして決意を顔に宿したネストが口を開こうとして。
「ねぇ」
「……何かな?」
出鼻をくじかれたネストは、やや苦い顔でイレイナの言葉の続きを待つ。すでにネストの意識からはベルコットを含む周りの人も、その声も、すべてが抜け落ちていた。
まるで世界に自分たち二人きりしかいないような状況の中、イレイナはその唇をちろりと舐める。
「もっと、ベルコットを意識してほしいの」
「……はぁ」
「生返事」
「仕方ないよね?僕はイレイナ一筋だって言っているでしょ」
こう何度も蒸し返されてはたまらないと、それに今はそんな空気ではなかったはずだと不満をあらわにする。
それを意に返さず、ずいと歩み寄ってイレイナをネストの瞳をじっとのぞき込む。
「でも――」
「あの!」
割って入ったベルコットの叫びによって、ネストの意識に周囲の喧騒が戻ってくる。
視線を下げれば、そこには真っ赤な顔をしたベルコットの姿があった。
きらりと目じりに涙を浮かべながらベルコットはイレイナをにらむ。
「イレイナ!さんざんやめてって言っているのに――」
不覚にも動揺して視線を揺らすネストは、ベルコットの説教とそれを聞き流すイレイナを見ながら胸に手を当てる。
「……己に惚れた女の一人や二人、娶る甲斐性がないのですか?」
そんなネストの背後からそっとリエルリルルが問う。心臓が飛び出そうなほど驚いたネストは言葉の一つも口にできず、ただ呼吸を求めるように口を開閉するばかり。
じっと見つめるリエルリルルの視線は言う。そんなに肝が小さくては、いつかイレイナにも愛想をつかされるだろう、と。
あるいは、その言葉はネストの勘違いかもしれなかったが。
「……どれだけ大変な時でも、女は二言目には恋愛なんだよな」
ぽつりとガウルは告げる。リエルリルルににらまれた彼は両手で抱えていたつみれスープの容器で顔を隠して視線から逃げる。
女は戦場であってもきっと恋を忘れない。たとえ明日世界が滅ぶとしても、その在り方は変わらないのだろう。
そんなことを思いながら、ネストはただ口を堅く閉じてイレイナとベルコットの言い合いから、ついでにリエルリルルの視線から逃げた。




