108定められた出会い
先頭を行くガウルは小さく鼻を引くつかせる。
嗅ぎなれた、けれどそれほど得意ではないツンとしたにおい。
「……潮の、匂いだ」
「海?」
ガウルの後ろを走るイレイナが小首をかしげながら問う。少しはパーティに貢献したいと先を行くガウルに対して、イレイナはひどく余裕のある顔で行く先へと視線をやるが、そこには長く続く森の枝葉が広がるばかり。険しい山道はそれ自体が壁となって四人の市視界を遮る。
同じように先を見つめるネストは、引っ掛かる記憶を手繰り寄せる。
「ああ、エーデルフェルデが近いのかな」
「確か深い峡谷に海水が入り込んだ、最も大陸中心部に近い港町でしたね」
元冒険者組合受付嬢としての記憶を引っ張り出すベルコット。果たして、それ以上の説明をするよりも早く、山の山頂、木々の消えた岩場にたどり着き、一行はその先へと進んで息をのむ。
そこには、大きく亀裂の入った断崖絶壁がまるで大地を両断するように左から右へと、延々と広がっていた。
「……この崖を右に道なりに進めばエーデルフェルデがあるはずだね」
「寄るのか?」
「少し食料が心許なくてね」
ネストの言葉に、ガウルはきゅっと眉根を寄せ、尻尾を力なく下げる。最寄りの町からの食料の配分に失敗した最大の原因は、ガウルが体調不良で寝込んだからだった。持久力に自信があるつもりだったガウルだが、さすがにこうして長く大地を走るような経験はほとんどなく、とうとう体を壊したのだった。
その失態を挽回すべく先頭を走ることになったが、それだけで自分を許せるほどガウルは己に甘くはない。
当てこすりのようになってしまったことを謝罪しようとしたネストだが、イレイナとベルコットによって両脇に肘内を食らって黙ることになった。
崖の下は不思議と静かだった。それもそのはず、この下は川ではなく、海。峡谷に海水が入り込んでいるわけで、潮の満ち引きこそあれど川のような流れがあるわけではない。
それでも、潮の匂いは確かに香ってきて、ガウルは少しずつベタついていく毛のせいで少しずつ気落ちしていく。何より、潮の匂いのせいで索敵に失敗したことによって、もう尻尾は地面につきそうなほどに下を向いていた。
ちなみに、魔物の奇襲は成功せず、その接近に気づいていたイレイナによって一瞬で倒された。
そうして四人はジルコニス王国の玄関口の一つ、港町エーデルフェルデへとたどり着いた。
それは実に、一か月半の旅であった。
エーデルフェルデは渓谷の端に広がる元三角州にある町である。狭い渓谷に小舟を浮かべて行わる漁。それによって内陸であっても魔法具や魔法使いに頼ることなく新鮮な海の魚が食べられるということで、王侯貴族や好事家がこぞって投資して発展してきた町である。
いくつもの国の建築様式が混じったつぎはぎの町は、けれどだからこそほかのどの町にもない独特の異国情緒を手にしていた。
最近では漁業だけではなく観光業も軌道に乗りつつあるエーデルフェルデは、多くの人であふれかえっている。
そんな街の入り口、門へと続く列に並ぶネストは、イレイナの顔に指を突きつけつつ真剣な声音で告げる。
「……いい?決して周囲に被害を出さないこと。作った料理はたとえ失敗作でも必ずすべて食べること。これさえ守ってくれるなら、もう何も言わないよ」
わかっているとばかりに目を爛々と輝かせてうなずくイレイナは、待てを言われている犬のよう。いや、実際に待てをされているのだ。とはいえ落ち着きなさげに足を動かしており、できているか怪しいものだったが。
「じゃあ行ってきていいよ」
気を付けてね、という見送りの言葉はイレイナには届かず、まるで 一陣の風のごとくイレイナはその場から姿を消した。あとには、強烈な加速を証明する足跡だけが残された。
旅の間完全に料理を禁止されていたイレイナは、ついにその枷から解き放たれた。いてもたってもいられなかったイレイナは、まずは食料採取として遠くに見える森へと消えた。
もう、イレイナは町中では料理をさせられない。それほどの前例ができてしまった以上、町で耐えられなくなって料理を作って被害多数などという状況を作らないためにも早めのガス抜きが必要だった――のは、わかるのだが。
「ネストさん、あれ、絶対にやらかしますよ」
「そうだね。僕もそう思う。でも、どちらにしてもやらかすなら、町中ではなく自然の中でと思ったんだ」
「………半端ねぇな」
イレイナの残像さえも目で追うことができなかったガウルは、踏み込みによって沈んだ大地を呆然と眺めながらつぶやいた。
それ以上に呆然と消えたイレイナとネストたちの間で視線を行き来させる行列に並ぶ者たちがいたが、ネストたちはあっさりとその視線を受け流し、なんてことないようにエーデルフェルデの町に入場した。
町に入ってすぐに香ってきたのは潮の匂い――ではなく、たくさんの魚介が焼ける匂いだった。網の上であぶられる巻貝に、小魚のシンプルな塩焼き、つみれ汁があったかと思えば、かば焼き風味のたれで暴力的に食欲を刺激する屋台がある。
「……お昼は各自ここで済ます形でいい?」
否を告げる者はおらず、三人はその場で解散して動き出して――
「ああ!」
せっかくイレイナがおらずネストと二人きりで行動できることにベルコットが気づいたときには、すでに彼の姿は雑踏の先に消えていた。
森へと疾走したイレイナは、ベルコットが用意してくれたオリハルコン合金の小手をはめて食料調達を行っていた。
イレイナの魔力が触れた瞬間から、食材の変質が始まる。ゆえに、イレイナはオリハルコンという最高の金属によって魔力を遮断しつつ、食材を集めていた。
この森は恵み豊かで、果実はもちろん、山菜も珍味の類も、薬の素材となる薬草も数多く存在した。当然ながら動物も多く暮らしており、イレイナはより肥えた獲物を探して風のごとく森の中を飛び回った。
そうして森のかなり奥まで進んで、ふと、これまでとは違う空気に気づいて足を止めた。
脳裏をよぎったのは、たびたび森の奥で見かける、神聖な空気を有した土地のこと。そこにはマンドラゴラをはじめとする貴重な素材がたくさん存在していたが、ここにもそういった自然の恵みの最たる場所があるらしいと、ワクワクしながら歩みを進めて。
果たして、イレイナが木々の先に見たのは、鍬で大地を、樹木の根ごと耕す異様な獣人と、彼女の隣でヒイヒイと荒い呼吸をしながら小石を拾っては遠くに投げる作業と続けている女性の姿だった。
その女に、見覚えがあった。何を隠そう、イレイナがしばらく行動を共にしていた、元パーティメンバーだったのだから。
元勇者パーティ「グローリィ」所属の魔法使い。
「……ティルメニア?」
聞こえた声に、ティルメニアがはっと顔を上げる。両者の視線がかち合い、そして慌てて立ち上がろうとしたティルメニアは、中腰を続けていたために固まっていた背中の痛みに、声にならない悲鳴を上げた。
パクパクと口を動かすティルメニアをよそに、耕し続けていた獣人がイレイナを見て目を見張る。くんくんと、かすかににおいを嗅いでから納得したようにうなずいた。
「ようこそお越しくださいました、英雄イレイナ様。私はリエルリルル。緑の手を宿した、緑の精霊の使徒でございます」
ガウルのおかげで最近少しずつ獣人の感情が読み取れるようになってきていたイレイナだが、だからこそ突然の敬服に、ただただ目を回すばかりだった。
彼女こそが、ガウルに手紙を送った主。そして、ガウルを通じてイレイナをこの場に呼び寄せた者だった。




