107イレイナの成長
エアリアル王国を出立してから八日後。
イレイナたちの旅路は順調――だった。
「もう、どうしてこう我慢できないかな!?」
呼吸が荒くなろうとかまわず、ネストは心からの悲鳴を上げる。そんな彼らの背後には、巨大な粘性体生物が這うようにうごめき、迫っていた。
ヘドロをまとめたような濃灰色のゲルは、巨大なスライム――ではなく、イレイナが生み出してしまった料理。
山と見まがう怪物は、水交じりの灰のような体に周囲のあらゆるものを取り込み、肥大化を続けていた。
旅の間は料理禁止命令をされていたイレイナだが、とうとう昨夜、耐えられずに隠れて調理をした。あわや山火事一歩手前だったが、幸いなことに瞬間的に火力が強くなっただけで、問題はなかった――ウサギ肉が灰になったこと以外は。
あきらめてイレイナは料理をやめて眠った。その灰が、疑似生命体として動き出したことに気づかずに。
果たして、翌朝にはそれはすでにイレイナたちよりも背丈が高くなっていた。はじめは小さな虫や雑草を食らうばかりだったそれは、その巨体で近くの木々を捕食し、急激な拡大を進める。
気づいたネストとガウルの攻撃は通用せず、逆に食べられかける始末。イレイナの攻撃もまた、ゲルの体を散らすばかりで有効打にはなりえなかった。
どうすれば倒せるかわからずに手をこまねいているうちにさらにスライムもどきは大きくなっていき、四人はその場から逃げる選択をした。イレイナの魔力がスライムもどきからなくなれば、きっと動かなくなるだろうと、そうだといいなと、希望的観測を胸にして。
果たして、スライムもどきは四人が逃げ始めてから一時間たっても消えることはなく、拡大を続けていた。
もはやわざわざ木々にとびかかる必要もなく、そして木どころか大地さえ捕食して急激な膨張を続けている。
「……私も成長したわね」
「こんな成長、いりませんよ!」
息を荒らげたベルコットの絶叫に、ぶるりとスライムもどきが体を震わせた。
「ッ、来る!」
「え、ひゃ!?」
ネストに小脇に抱えられたベルコットが小さな悲鳴を上げる。
疾走する三人が退いたその場所に、スライムもどきの体がたたきつけられる。
「……なんか硬そうね?」
「イレイナ、何を作ろうとしていたか聞いてもいい?」
「ウサギ肉を焼こうとしていただけよ」
「オリハルコンに包んで?」
「包んでないわ。そろそろオリハルコンホイルも卒業かと思ったのよ」
オリハルコンなしに焼いた結果、魔力による料理音痴を発揮して火力が急激に上昇してウサギ肉を灰にした。それはまだいい、と考えかけて毒されている自分を思ってネストは浅く笑う。
「なんで笑っているんですか!」
「いや、こう、僕ってかなりイレイナに染められているのかなって」
「それ、全然笑えませんよ!?あと、今はそんなことを考えている場合じゃ――ッ」
「舌を噛まないようにね」
ボコボコと体表が膨れ上がるスライムもどき。破裂して体をまき散らすのか、あるいはガスでも放つのか、とにかくまずは距離をとるべきだと、跳ねるように移動する。
気づけば森は途切れていて、見渡す限り灰色の岩場が広がっていた。巨岩を飛び越え、あるいはガウルが石を投げつける。
「食らえやッ」
「ちょ、本当に食べちゃうでしょッ!?」
舌を噛んで目に涙を浮かべる。
果たして、ベルコットの予想通り、ドプンと音を立てて岩はスライムの体に取り込まれるにとどまった。
「……ねぇ、本当に食べられたと思う?」
「さぁな?もし岩を食らうんだった、どれだけ大きくなるんだ?」
「ここにも十分餌があるってことになるんだよね……」
走りながら何かを考えていたらしいイレイナが、ひときわ大きな岩の上に飛び乗って背後を向く。スライムもどきに対峙する。
真っ赤な髪を翻す彼女を横目に、ネストはその横を走り抜ける。
「気を付けてよ!」
「大丈夫」
「……本当かよ」
ガウルがつぶやくのと同時に、イレイナは岩を粉砕するほど強く蹴り、砲弾のごとく一直線にスライムもどきへと襲い掛かった。
その手に握られるのはナイフ――ではなく、丸い木製の容器。
武技を持つこともなくスライムもどきにぶつかったイレイナは、その速度のおかげで粘性体に体が沈むことなく、足で表面を踏みしめて駆け上がる。
「……気のせいかな?イレイナが持っていたの、武器じゃないように見えたんだけれど」
「武器も持たずに魔物と戦うって正気かよ。あ、俺は正気だぞ?何せこの爪と牙があるからな」
「あっそ。それと、そもそもアレは魔物じゃないでしょ」
きらりと牙と爪を見せびらかすガウルをジト目で見て、ベルコットはスライムもどきを駆け上がり、空へと飛びあがったイレイナを見る。
濃灰色の体は、無数の巨大な球体の塊になっており、今にも炸裂しそうな状態だった。果たして、上空で上下逆さになったイレイナは、真下で破裂しようとしている「料理」へと、その手に持っていた容器から塩を振りかけた。
そこに、大量の魔力を込めながら。
きらめく塩は、まるで雪のようにスライムもどきへと降り注ぐ。料理に、手が加えられる。
イレイナの魔力は、料理をする際に働く。あらゆる料理行為に作用して、対象の性質を捻じ曲げ、食べられたものじゃない物体へと変容させる。あるいは、理解不能な現象を引き起こし、はたまたただ燃やし尽くしたり腐らせたりする。
果たして、塩を振りかけるという料理行為によって、イレイナの魔力はスライムもどきに作用する。
その在り方を捻じ曲げ、そして――
ぎゅん、とその体が空へと延びる。まるで、イレイナを吹き飛ばすように。
「危ない!」
思わず叫んだベルコットだが、イレイナは空中で巧みに体を動かし、空へとまっすぐ伸びる灰色の柱を足場に地上へと走り、勢いそのまま跳躍して三人のすぐそばに降り立つ。
「上手くいった?」
「……何をしようとしたのか、聞いてもいい?」
こくりと頷いたイレイナは、見つめる先にそびえる灰色の螺旋階段を見つめながら、精霊エルフィードの言葉を思い出す。
「信仰を使う、っていうのを試してみたの。これまで、魔力の性質変換をあんまりうまく制御できなかったけれど、ひょっとしたら神と呼ばれるような存在が使う方法があれば何とかできるんじゃないかって」
頭上に疑問符を浮かべながら、ネストはそれから何度か質問を重ね、かろうじて理解をして。目元を片手で覆って、天を仰いだ。ちなみに、反対の腕にはいまだにベルコットがぶら下がっていた。
「……つまり、こういうこと?信仰っていうのは魔力の上位のエネルギーみたいなもので、それによって魔力に指向性を与えて、イメージ通りに性質を返還させようとした、と」
「そう。前は毒キノコを食べられるように、くらいしかできなかったけれど、これを完璧に極めれば。毒キノコを美味しいキノコにできるかもしれないわ」
「うん。とりあえず毒キノコから離れようか。……で、あれはどうなるの?」
「え?」
四人が見つめる先、岩場にそびえたつ天へと延びる螺旋階段は、崩壊を始める様子はない。雄々しく、そしてどこか神々しいそれは、影を落としてどこか物憂げな姿をさらしていた。
「……このまま放置?」
「はは、まさか、崩せないとは言わないよね?」
「……できるかわからない。あ、祈りが足りない。さっき使い切ったから」
それは、手を出すことはできないという宣言だった。
結局、一日そこで階段を見守るも、それが崩れる様子はなく、四人は自分たちが犯人だと誰かに知られる前に、そそくさとその場から去ることになった。
――それから、二か月後。
近くの町から調査に赴いた冒険者によって非常に丈夫な建築物であるとわかり、ある日突如出現した神秘の階段「神へと続く道」として、信心深い者の祈りの対象になった。
風のうわさでその情報を耳にしたネストがテーブルに勢いよく突っ伏して額をぶつけたのは言うまでもない。




