106手紙
朝食も終わり、食休みにお茶を飲む中、ネストはようやくこの場に足りない存在を思い出した。
エルフ女王フィリアーラは仕事が溜まっているからと不参加の連絡が来ていた。彼女ではなく、もう一人。途中から旅を、そして魔王との戦いを共にした男の姿がこの場にはなかった。
「……そういえば、ガウルがどこに行ったか知らない?」
首を横に振ったイレイナは、「エルフィードから逃げているのではないか」と考えながら、果実を頬張る、神秘性のかけらもない精霊へと視線を向ける。
「む?あやつなら何やら手紙を受け取って居ったぞ?」
「手紙?このエルフの里に、ガウルの手紙が来たの?」
「そうじゃな。……この場にあやつがいることを知って送ったものがいるということか。ふむ?」
ネストたちがエアリアル王国に着いてから、まだ一週間と経っていない。そもそもエアリアル王国に来る予定もなく、あくまでもイレイナの治療を可能とする心当たりがこの国――エルフィード以外になかったから。つまり、手紙の相手は訪問の予定もなかった場所に、まるで未来を見たように手紙を届けたということになる。
どこから手紙を出したか不明だが、手紙が届くまでに相当の時間がかかるはずで、間違ってもガウル宛ての手紙が今このタイミングで届くというのはおかしい。
ネストに言われてようやくそのことに思い至ったエルフィードだが、「まあそんなこともあるじゃろ」と軽く流す。
彼女は精霊。人間とは感性が違うのだからネストの強い驚愕きと困惑を、むしろ不思議そうに見ていた。
「もしかしてそういう魔法があるの?」
「魔法かどうかは知らぬが、昔は未来を見ることのできるやつがおったぞ。まだ存在しておるかは知らぬが」
「それってどんな存在なんですか?やっぱり精霊でしょうか」
うむうむと頷きながら、エルフィードは虚空を見上げて懐かしそうな顔をする。黄金を溶かしたような瞳が、一瞬涙で潤んだようにきらめいた。
「あやつは獣臭い引きこもりでな。精霊の中でも嫌に縄張り意識の強い偏屈ものだったわ」
「偏屈なのはエルフィードもでしょ」
「亜奴に比べれば我など海を覆いつくせるほどの器の持ち主だぞ?」
「海ほど大きな器の持ち主というのでしたら、エルフィード様のお酒はエルフの皆にふるまってよろしいですね」
部屋にやってきた女王フィリアーラの言葉に、エルフィードは血相を変えて立ち上がる。
「なんて悪逆非道なことを言うのだ!?それでも人か!?」
「魔物にでも見えましたか?あいにくですが私はエルフですよ」
「そのようなことくらいわかって居るわ。まったく、冗談が通じぬやつだな」
「それはこちらのセリフでございます。エルフィード様とて御冗談を真に受けられたようで」
「ふむ、そうじゃな。酒を振る舞わせるというのは冗談であったのじゃな」
「……振る舞われても構わないのですよ?エルフィード様に酌をしていただくというのは恐れ多くはありますが、きっとエルフ皆感無量でございます」
「いやじゃ。我の酒は誰にもやらん」
「やっぱり心が狭い」
「イレイナ、聞こえておるぞ!」
テンポよく言い合う二人に交じってつぶやいたイレイナの言葉に反応する。
「地獄耳」
「だから聞こえておるぞ!ええい、少しは我の神性をたたえよ。我は精霊ぞ?信仰の対象であるのだぞ?」
「精霊信仰はしてないわ」
「ただ感謝するだけでよいのじゃ。ほれ、おぬしの治療をしてやったのは誰であった?」
「酒豪ね」
「うむ酒豪……ではないわ!」
椅子に飛び乗り、片足をテーブルに乗せてメンチを切るエルフィードを、イレイナは楽しそうに見つめ返す。
そんなイレイナの後頭部をはたいて、ネストは代わりに頭を下げる。
「すみません、エルフィード様。イレイナは天邪鬼で本音が言えないだけなんです。彼女に代わって、お礼申し上げます」
「わかって居るならよい。……天邪鬼とな」
「違うわ」
「わかっておる。ちゃんとわかておるぞ」
「違うって言っているのに……どうしてこんなおかしなごまかしをしたのよ」
「信仰するかはともかく、感謝しているのは事実でしょ」
「それは、まあ」
有頂天になった様子のエルフィードを見ながら、イレイナは首を振って心に沸き起こった感謝の気持ちを追い払う。
確かにエルフィードのおかげで助かった。けれど素直に感謝する気にはなれない。
何しろ、その感謝の気持ちは、エルフィードの力によって酒に代わるのだから。
嵐の通過を待つようにベルコットは両手げカップを持ってお茶をちびちびと味わう。信仰を求めるエルフィードとイレイナは言い合いを白熱させ、ネストが制止役として奔走する。やや疲れをにじませるフィリアーラは、使用人から軽食を受け取って優雅に食べ始める。
「……なんだこの状況」
フィリアーラに続いてやってきたガウルは、何やらカオスな様相を呈する部屋の中を見回して、しきりに瞳を回した。
ガウルの姿を目に留めたネストは、言い合う二人の間から逃げるようにして部屋の出入り口まで移動する。
「ガウル、手紙が来たんだって?」
「あ、ああ……あれはいいのか?」
空虚な笑みを浮かべるネストを見て、ガウルは賢く口を閉ざす。無意識のうちに尻尾を股に挟んでいるのは、エルフィードによる折檻を思い出したから。その姿は、まるで飼いならされて家庭犬だった。
「で、手紙に着いて聞いてもいい?」
どういう方法でこの場所にガウルがいることを突き止めたのか、知的好奇心と少しの不安を胸に尋ねる。
ガウルはその顔をキリリと引き締めて――狼の顔であるためにネストには雰囲気でしか真剣だと判断できなかったが――内容を口にした。
「昔なじみからの手紙だ。助けてほしいって、そう書いてあった」
「……ガウルは、その人のところに行くつもりなんだ」
「ああ。たとえ昔に袂を分かったとしても仲間だ。助けに行かねぇと獣人としての誇りが失われるからな」
魔王を倒した以上、ガウルがイレイナたちと行動を共にする理由はもうほとんどなかった。イレイナの料理といい、彼にもいろいろと気になるところはあったが、その声音にはパーティを離れる決意が宿っていた。
「ちなみに、どこに行く予定なのか聞いてもいい?」
ガウルの言葉に、ネストはどこか運命めいたものを感じた。
果たして、ガウルが告げたのは、ネストがよく知る国の名だった。
すなわち、イレイナたちが拠点を構える町が所属する、ジルコニス王国へ向かうのだ、と。
「……ふむ、行くのか?」
いつの間にか背後にいたエルフィードの言葉に肩を跳ねさせ、ネストは表情を整えながらゆっくりと背後を見る。
「はい。そうしようかと。……イレイナとベルコットもいい?」
「いいわ」
「私も大丈夫です。そろそろみんなに顔を見せに行きたいと思っていたところですし。……あ」
「何かあった?」
「ええと、その。スラシャさんたちに顔を見せなくても、いいですよね」
「ああ……とりあえず手紙を出しておこうか。師匠ならたぶん、魔王が死んだことくらい肌で感じていそうだけれど、僕たちが無事なことも知らせないとね」
自分の師匠を人外だと表現するネストにあいまいな笑みを返しながら、ベルコットはすぐに便箋をもらってくると告げて部屋から走り去っていく。
「知らないうちにかなり仲良くなっていたのかな?」
「……みたいね」
顔を見合わせたネストは、イレイナの目の輝きに頬を引きつらせる。
「旅の保存食は――」
「僕が用意するよ!」
「私にだって」
「大丈夫。僕が責任をもってそろえるから。力仕事もガウルがいるから、ね!?」
「お、おう。そうだな。力仕事は任せろ」
イレイナの鋭いまなざしに気おされながらもうなずくガウル。
ほっと胸をなでおろしたネストは、ガウルとともにそそくさと部屋から出て行った。
「……信用されておらんな。これで神の末席に足を踏み入れた者、か」
「信仰を力にできようと、私は私だもの」
「それもそうか。まあ、何か相談があったら気兼ねなく足を運ぶといい」
「そうするわ」
固く握手を交わした二人は、それぞれに行動を開始して、部屋を後にした。




