105魔王の黒焼き
それぞれに食卓に並んだ料理に手を付ける中、イレイナはただ一人、カトラリーを手にじっとよそった品を見ていた。
外側はもちろん、内側まで真っ黒なそれは、魔王の羽の黒焼き。わずかな照りのために黒水晶のようにも見える羽は、幸いなことにあれだけの火力にさらされても炭化してはいなかった。
それもこれも、ベルコットが作ったオリハルコンホイルのおかげ。イレイナの究極的な料理音痴を上回るのだから、オリハルコンがいかに常識の埒外にある金属であるかがわかるというものである。
この世界で、たった一つの食材。その見た目を心行くまで楽しんだイレイナはフォークを伸ばし、ふと、静まり返った周囲に気づいて顔を上げる。
「どうしたの?」
「いや、ずいぶん真剣に見ているな、って思っていたんだ」
言い訳がましく告げるネストの顔には、「本当に食べて大丈夫なのか?」という本音がにじんでいた。
それは、魔王というよくわからない怪物を食べるということに対しての思いが一割。残りの九割が、それがイレイナの料理であるということに起因する恐怖だった。
まだ黒焼きを食べてもいないのに、ネストの口の中に苦いものがあふれ、胃が悲鳴を上げるようにぎゅるぎゅると鳴り出す。腹部の痛みは、ストレスによるものか、あるいはこれから訪れる地獄から逃れたい一心の叫びか。
ごくりとのどを鳴らすネストを見ながら、ベルコットはやれやれと首を振ってエルフ作のまともな料理を口に運ぶ。口に出せばイレイナに料理を食べさせられる――ベルコットは空気になっていた。
「……」
うつろな目をしたエルフィードは、虚空を見上げたまま世話係が口に入れる果実を無意識で咀嚼して飲み込んでいく。淡々と続くその行為にツッコミを入れるものは誰もいない。
「ネストもどう?」
「んー、まずはイレイナが楽しんだら?美味しかったらたくさん食べればいいでしょ?」
どうか美味しくあってくれ。そして全部食べてくれ――祈りに、少し不思議そうな顔でうなずきながら、イレイナは黒焼きをナイフで切る。パリ、という音はまるで油でカリカリになった鳥の皮のよう。
少なくとも刺激的なにおいも、勝手に動き出すということもない黒焼きは、だからこそネストたちの目にはひどく不気味なものに移った。
果たして、パキパキと響くせんべいを割るような音が続き、飲み込んで首をひねる。
「……普通?」
「普通?美味しくはなかったの?」
イレイナが料理音痴なうえに味音痴なことは知っているものの、そう尋ねずにはいられなかった。
二口目を、今度はゆっくり味わいながら食べていく。やはり軽やかな音が響き、けれどそれだけ。しきりに目をしばたたかせながら、イレイナは小さくうなずく。
「入り豆でも食べているみたい」
「入り豆かぁ」
その言葉だけで安牌だとは思えないが、ネストはふしゅうと息を吐いて背もたれに体重を預ける。緊張の糸が切れた彼に「まだ早い」とベルコットが視線を送るが、ネストは気づかない。
「ネストも、どう?」
黒焼きを刺したフォークを、隣に座るネストの口に向かって突き出す。
黒焼きと、イレイナの顔。両者の間で視線を何度も行き来させ、やがて頬はリンゴのように赤く染まっていく。
「え、ええと……自分で食べれるから」
しゅん、とまゆ尻を下げるイレイナを前に、ネストは胸に不思議な感情があふれるのを感じていた。
守りたい――庇護欲か、母性本能か。
刺激される感情のまま、「ええいままよ」と、ネストは目の前の黒焼きにかぶりつく。
そして、動きを止めた。
ゆっくりと咀嚼を始める。パキパキと皮が、あるいは骨が砕ける音が断続的に口の中で響き、嚥下し、そして、ぷはぁと息を吐く。
驚愕の目で見つめるベルコットに、真剣な顔でうなずく。
「……普通だ」
「嘘!?」
勢いよくテーブルに手をついて立ち上がる。
その音にびくりと肩を震わせたエルフィードの意識が現実に帰還し、何事かと周囲を見回して。彼女の口に、エルフの使用人が果実を差し出し、餌付けされる獣のように咀嚼する。ふわりと、エルフの美貌に笑顔がほころぶ。
喉を鳴らしたネストが、再び自分の手で魔王の羽の黒焼きをよそい、口に運ぶ。やっぱり、強烈な味や刺激臭に悲鳴を上げることも、刺激性の気体によって涙目になることも、意識を失うこともなかった。
「普通に、おいしい」
ぱっと、イレイナが笑う。それは、初めてきちんと料理に成功したということ。とうとう自分は限界を突破した――胸に感動が満ちる。
高揚するイレイナの色っぽさに、ネストは顔を赤らめて目をそらす。
酸っぱいものを食べたように表情をゆがませるベルコットもまた、恐る恐る黒焼きに手を出す。
「あ、おいしい」
「本当!?」
「う、うん。おいしい、ですよ。普通に焼いた肉ですね。……素材の味しかしませんけど」
これまでの料理の失敗経験から、おいしい料理を作る成功条件は、イレイナの魔力による変質を跳ね返すほどの魔力を含んだ、あるいは神性などを帯びた特殊な素材であるべきというものだった。そして、魔王の羽はその条件を満たした。大きな蝙蝠のごときそれは、長年人類を苦しめた怪物のものだけあって、イレイナ程度の魔力による性質変換などあっさりと跳ね飛ばすものだった。
そして何より、調味料を含め、魔王の羽以外の一切を料理に用いなかったことが成功の理由だった。
「……あれ、もしかしてこれで料理教室も卒業ですか?そうですよね?」
じわじわとイレイナの成功を実感し、ベルコットは肩の荷が下りたとばかりに笑う。
ベルコットがイレイナに料理指導をしていたのは、まっとうな料理が作れるようになるため。あるいは、まっとうな料理を完成させるため。そして、それは成功した。であれば、ベルコットはお役御免になる――はずで。
「ううん。まだ一品だけだもの。これからもお願い」
イレイナの言葉にすぐさま地獄に叩き落されて頭を抱える。
「……よくわからんが、あまり仲間を困らせるでないぞ?」
テーブルに並べられた料理の一品。そこから感じるような気配に、エルフィードは顔を引きつらせながら言う。それに対して、イレイナはなんてことないと告げる。
「大丈夫。ベルコットならやってくれる」
全幅の信頼に、ベルコットはきりりと胃が痛むのに気付いた。
彼女の困難な道のりは終わらず、つい、己を巻き込んだネストをにらんだ。
「え、ええ?」
突然の、殺気すらにじんだ視線に、ネストは困惑するばかりだった。




