104天焦がす朝の火柱
さわやかな森の朝。
葉についた露が滴り、大地を濡らす。
緑のにおい、あるいは森のにおいと呼ぶべきさわやかな空気が広がり、いち早く動き出した鳥が高らかに朝を歌う。
『ピョロロロロロ~~~ォ、オ゛?』
美しい声は一転、ぎょっとしただみ声に代わり、逃げるように勢いよくはばたく。
――心地よい朝の森。その時間を台無しにするような香りが遠くから漂ってきていた。
動物たちは息をひそめ、ただそれが過ぎ去るのを待つ。嗅覚に優れた個体は、その汚臭に目を回して倒れる。
遠く離れた場所にも強烈な悪臭をまき散らすのは、気合の入ったイレイナ。
エアリアル国の民族衣装の要素を取り入れた、森の装飾の入ったエプロン。それを身に着け、髪を後ろで一つにまとめた彼女は、燃え盛る炭火の中できらめくオリハルコンホイルをじっと見つめていた。
その横には、死にそうな顔をしたベルコットが鼻をつまんで苦悶の表情を浮かべてくる。
「鼻をつまんでいても臭いですよ……?」
涙目で告げる彼女に背中を向け、イレイナは火加減を見つめ続ける。
ちなみに、その行為には何の意味もありはしない。何しろ現在火力を調整しているのはベルコットなのだから。
火の精霊・不死鳥に力を授けられたベルコットは、研鑽の果てについには不死鳥の炎以外も手を触れることなく火力の制御ができるようになった。できるようになったといっても、魔力か何かで魔法として火力を調節しているのではなく、ただ「これくらいの火力」とイメージするだけで勝手に火力が変わるというだけなのだが。
「……やっとるの」
こんなすがすがしい朝を台無しにしおって、とぼやくエルフィードがぽんとベルコットの頭に手を置く。
お主も災難じゃの――憐みとも同情ともつかないその視線に、泣いてしまいそうで。
ゆるんだ涙腺を引き締めるその一瞬、意識が途切れた瞬間には火力が急激に上昇しようとする。
「ッ、もう、本当にどうなっているんですかその体質!?」
イレイナの魔力によって狂った火力になろうとした炭火に再び火力のイメージを送りこむ。激しい拮抗ののち、ようやく火力が安定した時にはベルコットの息はひどく荒くなっていた。
消耗するほどに集中しないと制御を奪われるほどに火力を変えようとしたのは、イレイナの魔力。料理を台無しにしようとする魔力は、今日もしっかり働いていた。
「……さすがに精霊の力であれば抑え込めるのか」
「……つまり、精霊ならおいしく食べられる?」
きらりと目を輝かせるイレイナに本気を垣間見て、エルフィードは青い顔で激しく首を横に振る。
「待て。冗談じゃ。いや、我などそもそも美味しくないであろうし、お主もすぐに精霊の肉であっても魔力で犯すようになるじゃろう。……よみがえったばかりとはいえ、竜神にも影響を及ぼしたのだったな?」
「……精霊の、肉」
「どうしてこっちを見るんですか!?まさか不死鳥を?絶対にダメですよ!」
「美味しそうだと思わない?」
「思いません!」
不死鳥を食べられないかと考えているらしいイレイナの視線に、ベルコットを絶対にやめてくださいと何度も念を押す。これは「振り」じゃないとさらに念を押すも、懸念は決して消えない。
「「……はぁ」」
「そろいもそろって辛気臭い。朝からため息なんて」
「誰のせいで……ッ、ああまた火力が!?」
イレイナの感情が反映されたのか、先ほどまでよりも魔力の圧のようなものが強く、とうとう炭火はベルコットの制御を離れてしまう。
そうして、炭火のそれとは思えない火柱が、エアリアル国が誇る大樹よりも高く立ち上った。
「…………葉が焦げてしまった」
あんぐりと口を開くエルフィードが、よろめきしりもちをつく。憔悴したような彼女を見てベルコットが眦を吊り上げる。
「イレイナはやっぱり火を使うのは禁止です」
「……これまでだって使えていたのに?」
「これまでだって使えていなかったですよね!?」
本気で言っているのかと、疑いの目で見られて、イレイナはふいと視線を上にそらす。
朝日を透かす黄緑の葉、その一部がすっかり炭化し、はらはらと灰となって飛んでいく。
「燃え尽きてないから大丈夫ね」
「アウトです」
「大丈夫よ」
「あんまり頑固だと、こっちだって対応を考えますよ?」
「どうやって?」
「もう二度と料理を教えません」
「……じゃあネストに教えてもらうわ」
「ネストさんには、私から教えないように言っておきます」
にらみ合う二人は、一歩も引かない。イレイナは理不尽だと訴え、ベルコットは少しくらい自重しろと告げる。
火花を散らす交錯は、間に割って入ったネストによって終わりを告げた。
「朝からどうしたの?」
「「ベルコット(イレイナ)が」」
「……うん、一人ずつ聞くよ。まあだいたい何があったかわかるけれど」
見上げる目に、広がる枝葉の穴が映る。昨日まではなかったはずの、枝葉の天蓋に現れた黒っぽい枝。そこには葉はなく、そして真下でイレイナが料理。
その料理能力の異常性を知る身として、瞬時の把握は容易で。それでも二人から事情を聴こうとするあたり、ネストはめっぽうイレイナに対して甘かった。
イレイナと視線が合ったベルコットは頬をうっすら赤く染めて目を背ける。そんな反応に、ベルコットは怒りをあらわに叫ぶ。
「もう!ネストさんがいつまでも甘やかすせいでイレイナが成長しないんですよ!?」
「成長してるわ。現にこうして焦がさずに料理ができたもの」
「もともと真っ黒だったんですから、見せられても焦げていないかなんてわかりませんよ!」
オリハルコンホイルを開き、イレイナは中身の黒い物体を突き付ける。
いやいやと背後に下がっていくベルコットを見て、ネストはそれが尋常ではないものであるという確信を抱く。冷や汗を浮かべ、ごくりとのどを鳴らす。ネストをあざ笑うように、頭上で黒ずんだ枝が折れる致命的な音がして、大きな音を立てて近くの大地に巨木の枝が落下した。
「……イレイナ、それは?」
「魔王の羽よ」
「そっか。魔王の羽ね。魔王の……魔王!?」
なんでそんなものを料理しているのかと目をむいて、けれどイレイナはそういう人だったことを思い出して内心で納得してしまう。
じっとりした視線を感じたネストは、ベルコットと目を合わせて苦笑を返す。
「朝食の用意ができたって呼びに来たのだけれど……とりあえずエルフィード様に返ってきてもらおうか」
いまだに呆然と座り込んで頭上を見上げていたエルフィードは、ネストに呼びかけられ、肩をゆすられても現実に意識が返ってこなかった。
仕方なくネストはエルフィードを抱き上げて歩き出し、イレイナとベルコットも互いに顔を見合わせてネストの後ろに続く。
方や、魔王の羽に意識を奪われたイレイナ。
方や、エルフィードに嫉妬の視線を送り、魔王の羽に集中するイレイナに呆れをにじませた吐息を漏らすベルコット。
背後の二人を思って苦笑しながら、ネストは大樹の葉を燃やした詫びはどうするべきかを必死に考えていた。




