103顛末と、告白
魔王は、絶対にやってはならないことをした。
イレイナという人間を成立させている最大の力は、魔力による性質変化。
料理をすることでゲテモノを生み出すその力こそ、魔王が最も危惧すべきものだった。
それなのに、魔王は肥大化し、豚と思われてしまった。食材と思われてしまった。
イレイナと戦い、勝利を収めるには、絶対に戦闘を料理だとイメージさせてはいけないのに。
その大原則を破った時点で、魔王がイレイナに倒されることが決まったのかもしれない――
「どうじゃ?おぬしらしい英雄譚になっておらぬか?」
「減点百」
「つまり九千九百点だということだな」
「ゼロ点よ」
「なぜじゃ!?」
ここはエルフの国・エアリアル国、その貴賓室。
大樹を切り抜いて作られた部屋の中は木の香りに満ち、窓から吹き込む風は森のさわやかな空気を運んできて心地よい。
そんな部屋のベッドに寝ていたイレイナは、突然やってきた精霊エルフィードの語る物語に本気の駄目出しをしていた。
「……全く、少しは殊勝になったかと思えばこれじゃ。もう少し崇めてくれてもかまわんぞ?我は命の恩人なのじゃぞ」
「私の信仰とやらと酒に変えるつもりでしょ」
ギクリと肩を震わせたエルフィードは斜め上を見上げて口笛を吹く。ネストから一通り、わずかに残っていたエルフィードのありがたみをすべて吹き飛ばすような話を聞いていたイレイナは、胸中で渦巻く感情を吐息に変えて吐き出し、それから深く頭を下げる。
「お陰で助かったわ」
「もっと心を込めて言ってほしいものじゃな」
「……エルフィードが守護者にしなければ重傷を負うことはなかったのに?」
「んんっ」
「せめて守護者がどういうものかとか、信仰の話とかを教えてくれていたらやりようもあったのに」
「ゲホ、エホ」
「……で?」
「す、すまなかった……く、どうして我が謝っておるのだ!?」
ウガーッ、と吠えるエルフィードを見ながら、イレイナは自分の中からすっかり精霊に対する畏敬のようなものが消えてしまったのを感じていた。
魔王との闘いから五日。イレイナがここエアリアル国にいるのは、ひとえに魔王戦で負った傷が理由だった。
世界特攻の力を持つ魔王によって受けた傷は、守護者という特殊な職業についていたイレイナの体に深く刻まれていた。イレイナの料理も、ベルコットが調合した薬も、その傷を治すには至らなかった。
ネストたちは必死に延命処置をしながらイレイナを木々が存在する場所まで運び、樹木を介して転移できるエルフィードを呼んで治療を頼み、そして精霊としての力によって三日三晩かけて魔王の残滓を取り除くことでイレイナの治療をなしたのだった。
目を覚ましたイレイナは憔悴しきったネストやベルコットに抱き疲れ、全く役に立てなかったことをガウルに謝罪され、治療を成功させたエルフィードに謝罪を度々要求された。
ちなみに先ほどの謝罪はすでに大台の二桁目、つまり十回目である。
「……こんなに謝罪を要求してどうするの?」
ふと思いいたってイレイナが尋ねれば、エルフィードは口笛さえもやめて窓のほうへと顔を向ける。
ひどく嫌な予感がして、イレイナは頬を引きつらせる。
「エルフィード?」
「し、仕方がなかったのだ。いくら我であっても信仰を消費せずに魔王の力を払うなど不可能……つまり不可抗力というものであってだな」
「それで、何が起きたの?」
たっぷり重病は口ごもってから、エルフィードはにっこりと笑みを浮かべて告げた。
「…………ようこそ、神の頂へ。歓迎するぞ新米よ」
「……………は!?」
流石のイレイナも思考が追い付かず、ただただ困惑の声を上げた。
ひとしきり隠してきたことを吐き出してすっきりしたのか、エルフィードはるんるんと鼻歌を歌いながらイレイナの部屋を出て、扉の前で呆然と立っていたネストとぶつかりそうになって立ち止まる。
「む、もしかして聞いておったのか?」
「いや、絶対わざと聞かせましたよね。エルフィード様なら扉の外に僕がいることも分かっていたでしょう?」
「まあの。……ふむ、いい働きであっただろう?」
パチン、とウインクをしてから、エルフィードは「酒だ~酒を~あび~るように~」などと美しい声で聴いていて悲しくなってくる歌を歌って歩き去っていく。
開きっぱなしの扉の向こうでは、ベッドに座ったイレイナがネストを見ている。その顔は、昨日以上に青ざめている。
「イレイナ、入っていい?」
「……うん」
いつになく弱り切った声に内心で悶えながら、ネストは努めて平静を装ってベッドの脇の椅子に腰かける。
沈黙が下りる。イレイナはうつむいたまま指を突き合わせており、ネストは口を開いて何かを言い換えては言葉を飲み込むのを繰り返す。
けれど、いつまでもそうしていたとことで何も変わらない。
ネストが一度大きく深呼吸をすれば、イレイナはびくりと肩を震わせ、おずおずと顔を上げる。
強い風が窓から部屋に吹き込み、イレイナの赤髪を大きく揺らす。顔にかかった前髪の奥で、澄み渡った空色の瞳がどこかおびえたように揺れていた。
「……イレイナ、僕は君が好きだ」
「…………うん、知っているわ」
「だよね。……僕は、イレイナが好きなんだ。みんなの期待に応えようと、影で必死に努力している在り方が恰好いいと思う。辛くて苦しくて、それでもそれを見せないようにしている君の心の癒しになりたいと思った。楽しそうに料理を作っている君を見るのは楽しくて、生き生きと生活している君といると僕もすごく楽しくなってくるんだ。楽しくて、幸せで、愛おしくて、ずっとイレイナといたいと思う。魔王の攻撃を受けて君が倒れた時、正直生きた心地がしなかったんだ。あの瞬間を思い出すと、今も体が震えてくるんだ」
困ったように笑いながら「ほら」と手を出す。
握るその手は冷たくて、そして小刻みに震えている。
「……本当ね」
「うん。イレイナが死んでしまうと思ったあの瞬間、目の前が真っ暗になったんだ。生きていてくれて、本当にうれしい。これからもイレイナといられると思うと、胸が温かいものでいっぱいになるんだ。……それは、イレイナがどんな存在になっていても変わらない」
反対の手を出して、イレイナの両手を包み込む。まっすぐ、空色の目を見つめて告げる。
「僕は、イレイナが好きだ。僕と付き合ってほしい。僕と、一緒にいてほしい」
ゆるりと、イレイナが目を伏せる。小さくうなずいたのか、あるいは断る苦しさにうつむいたのか、心臓がバクバクと鼓動を刻んでいるのを感じながら、ネストはイレイナの返事を待つ。
頬を、一筋の涙が伝う。柔らかな桜色の唇が小さくわななく。
「……私がどうなってるか、わからないのに?」
「そんなの関係ない。僕が好きなのは、今ここにいて、こうして手を握っているイレイナなんだよ」
「私が、人間じゃないかもしれないのに?」
「神でも精霊でも、それこそ悪魔であっても構わない」
悪魔はちょっと、とイレイナが苦笑する。
そうだね、とネストが我に返って頬を赤く染める。
しばらく無言の時間が流れて、やがて二人はそろって顔を上げる。
「……人間じゃなくなっていて、子どもだってできないかもしれないよ?」
「コ、ドモ……イレイナとの、コドモ、子ども……んん、それでも、イレイナと一緒にいることが重要なんだ。一緒にいるだけで胸が幸せでいっぱいになって、それからイレイナのこともいっぱい幸せにする――ううん、違うね」
息を吸って、包み込んだ両手を持ち上げて、ポケットから取り出した小さな箱を開いて載せて告げる。
「一緒に、幸せになろう」
手の中にある黒革のケース。その中で輝く銀の指輪を見て、イレイナはネストと指輪の間で視線を行き来させながらパクパクと口を開閉させて。
「……ん」
それから、消え入りそうな声で告げて、こくりとうなずいた。
「や――」
「よかったのう」
「よかったね、イレイナ!」
「なんか知らんがまあよかったんじゃないか?」
「おめでとう、ネスト」
やった、と。ネストがそう叫ぶより早く。
部屋の扉が開いて、現れた者たちが口々に祝福の言葉を贈る。
酒を飲みに消えたはずのエルフィードに、涙をぬぐいながら笑うベルコット、結婚という習慣が希薄で不思議そうに首をひねるガウル。エアリアル国の女王であるフィリアーラは優しげな笑みを浮かべながら拍手をする。
そんな中、イレイナはゆっくりと立ち上がり、ベルコットの肩にそっと手を置く。
「……ほかにも言うべき人がいるでしょ?」
「え……あ、ええと、イレイナ?ちょっと?」
真剣な顔でネストに次なる告白を求めるイレイナと、慌てふためくネスト。二人の間で、ベルコットは顔を真っ赤にしてうつむき、ちらちらと期待を込めてネストへと視線を向ける。
「……おかしな関係ね」
「ふむ、しばらくは揶揄うネタに困らなさそうじゃな」
「揶揄う?強いオスが二人目の女をモノにするだけだろ?」
三者三様な反応を見せる部外者三人は、顔を見合わせ、そろって不思議そうに首を傾げた。
「む、そのようなもの欲しそうな眼をしてもこれはやらぬぞ。我の酒だ」
「食指が進まねぇ体つきだな」
「ほう、こともあろうに我のこの魅惑のボディに対してそのようなことを言う無礼者がいるとは思わんかったぞ」
それから数秒後、野太い悲鳴が大樹の中に響き渡った。




