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呪われし料理音痴イレイナの挑戦  作者: 雨足怜


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101豚魔王の失態

 異界より現れた悪魔は漆黒の竜巻に飲み込まれて姿を消した。その代わりに現れたのは、呼吸もままならないほどの重圧を周囲にばらまく、巨大な存在。

 魔王城跡地の中央当たり、距離にして三百メートルほど。

 遠近感がおかしくなりそうな灰色のそれは、肥大化した悪魔の王――魔王。

 イレイナは、泡を吹くベルコットを守るためにその体を強く胸に抱いた。

 ガウルは目を回して倒れ取り、ネストもガタガタと歯を鳴らしている。イレイナとて、膝が笑って動けなかった。

 それほどに、魔王は存在するだけで、あるいは視界の中にあるだけでイレイナたちを恐怖させた。

 まさに怪物。まさに魔物たちの王。

 強烈なその気配にのまれたイレイナたちは立ち上がることもできない。

 魔王は動くことなくその場に座っている。いな、彼は動けない。立ち上がることもできない。肥大かしすぎたその体はひどく重く、両足は肥大化しても変わらぬサイズ。立ち上がろうとしてもそもそも足が地面につかない。

「……く」

 醜くなった己を嘆く。魔王は悪魔の王だ。支配者だ。支配者は全能でなければならない――それが悠久の時を魔界で過ごした魔王の持論だった。

 勝手気ままな悪魔たちを支配するには、あらゆる悪魔たちより秀でる必要があった。ゆえに、魔王は至高の存在を目指し、そうして初めて魔界を統治する王となった。

 だが、王となっても悪魔たちが魔王を信奉することはなかった。彼らの多くは、そもそも敬意というものが存在しなかった。敬意などという感情を有している悪魔のほうが異常だった。

 変わり果てた己の姿を悲しんだのは一瞬のこと。魔王は魔界とは違うこの緑豊かな土地を統べるべく、全身全霊をかけてイレイナたちに牙をむく。

 ふわりと、その体が浮かび上がる。浮遊の魔法。さらには風魔法で体を運び、イレイナたちの頭上へと移動する。

「……死ね」

 禅問答など必要なかった。ただ、己の侵攻の、支配の邪魔になる者は消す。

 魔王は全力の魔法を発動する。

 空が曇天にのまれ、黒々とした雲が渦巻く。そして、天より降る雷がイレイナたちを打ち据えた。

 超高圧電流の奔流がイレイナたちを一瞬にして消し炭にする――ことはなかった。

 落雷で炭化したのは、イレイナたちを包み込むように出現した漆黒の壁。それは粘性を帯びたゲル。イレイナが対魔王用に作り上げた料理の一つ、ドラゴンの鱗のクレープ。

 何を考えたらドラゴンの鱗という最高の防具の素材でクレープを作ろうという発想になるのか。全力で粉にするまではまだよかった。けれどそれを各種素材と混ぜて焼いたその瞬間、熱によって反応が進行したように、突如として生地ゲルになった。そして、そのゲルはまるですべてを食らうように、はさむ予定だったクレープの中身を吸収して肥大化した。

 つまりこのゲルは、あらゆるものを食らって大きくなるという、もはや何の怪物だと突っ込みを入れたくなる最悪の存在だった。ただし、人類を食らうことはしない。なぜならソレはクレープという、人類に食べられるために存在するものだから。

 それは、イレイナによってガラス瓶から取り出された瞬間、彼女たちを包み込んだ。己を食べてくれる存在を守るために。

 そうして、周囲の大地を食らい、肥大化を始めた。そこへ、魔王の魔法、雷が落ちた。

 ゲルは、一瞬にして焼け焦げた。けれど、イレイナたちに魔法が直撃するのは免れた。

「……ッ!」

 炭化したゲルをぶち破って、イレイナが中から飛び出す。唇を噛んだ痛みで恐怖を緩和しているイレイナの口の端からは、血が滴っている。

 この奇襲にすべてをかける――そんな思いとともにナイフをふるう。それは、確かに魔王の体に届いた、はずだった。

「え?」

 ナイフは、確かに何かに触れた。けれど、魔王の肌には触れられなかった。

 魔王の体内に存在する膨大な魔力は、その一滴たりとも外部に放出されずに抑えられている。そんな超圧縮魔力は、それそのものが強靭な壁として魔王の体を包み込んでいた。

 薄皮一枚よりもなお薄い魔力の壁。それを、ナイフの刃は突破できない。

「いっけえぇぇぇッ」

 ナイフをはじかれ、落下を始めるイレイナへと魔王が手を伸ばす。その手に、漆黒の風が生まれる。

 直撃は、死――イレイナは、片腕に抱いたままだったベルコットをとっさに投げて逃がそうとして。

 その時、背後からネストが投げた竜滅剣がイレイナの横を走り、魔王へと襲い掛かった。

 それはやっぱりイレイナのナイフと同じで魔王の超圧縮魔力に阻まれる――ことはなく、その腹部を小さく切り裂いた。

「あぁ!?」

 体の傷、それに動揺した魔王の魔法が、制御を離れて霧散する。暴風が吹き荒れるも、それは食らえば死ぬような最悪の攻撃からは程遠い。

 空中で体勢を整え、足から地面に着地する、横方向に滑って衝撃を吸収したイレイナは、ひとまずベルコットを安全なところに避難させようとして。

 けれど、そんな余裕はなかった。

 魔王は先ほど以上に全力で――全力を超え、本気をもってネストとイレイナを殺しにかかる。

 闇を固めたような無数の漆黒の槍が降る。業火が吹き荒れ、大地が溶ける。何度も雷が落ち、吹き荒れる風の刃がそこにあるものすべてをずたずたに切り裂く。

 そんな中、イレイナはネストから手渡されたガウルを右腕で、ベルコットを左腕で抱えて走る。槍を交わし、炎の効果範囲外に走り、雷を回避し、風の刃を蹴り出した石でかき消して進む。

 一方ネストは、竜滅剣に宿ったイヴィルドラゴンの力を解放して、真正面から魔王の魔法を切りあっていた。漆黒の霧に包まれた剣をふるえば、あらゆる魔法が消えた。雷も闇も炎も風も、まるでその剣を覆う闇にのまれたように消失する。

 不思議な感覚の中、ネストは恐怖も忘れて剣をふるう。

「……なんだ、それは?」

 くぐもった声で魔王が問う。それにこたえることなく、ネストは竜滅剣を振り下ろす。圧縮した闇の斬撃を、魔法めがけて飛ばす。

 それは、魔王の防御魔法をたたき割り、右腕に軽く傷をつけた。

「……やっぱり!――ビーストソウルッ」

 確信を抱きながら、ネストは連撃を繰り返す。狂戦士としての強化技能を発動し、剣をふるう。

 竜滅剣が宿す竜の力は無限ではない。蓄えた分の力を使い果たせば、状況の打開は困難になる。

 一層苛烈に連撃を放つネストの攻撃は、やはり魔王の魔力の壁に阻まれることはなかった。正確には、少しだけ威力を弱められているが、気にせず切り裂いていた。

 イレイナにできず、ネストにできるのはなぜか――決まっている。ネストの攻撃が、竜滅剣によるものだからだ。

 竜滅剣はその名の通りドラゴンを殺すための剣だ。その剣は、ことドラゴンを切るときには強烈な特攻性を発揮する。

 ――つまり、竜滅剣ならば切り裂けるということは、魔王はドラゴンとしての性質を有している。

 魔王は、多くの悪魔を食らった。知的生命体の負の感情から成り立っている悪魔たちを食らった。その中には、この世界の人間がドラゴンに対して抱く圧倒的超越種への恐怖や畏怖も含まれていた。

 その在り方を吸収した魔王も、ドラゴン殺しの効果が働く。だが、それは魔王の体をバターのように切り裂くというほどの効果にはならない。何しろ、魔王のドラゴンとしての側面など微量だから。

 そして、連撃を浴びながら、魔王は己がダメージを受け続けている理由を看破した。

「ドラゴンでなくなればいいのだなッ!?」

 これ以上無駄に傷つけられるものかと吠えた魔王は、その身にあふれる膨大な魔力の一部を放出させる。それは、魔王が食らった悪魔の一部、ドラゴンへの感情を含む側面。

 一部の悪魔たちの力は、魔王から排出されると同時に存在を確立すべくその形を変えようとして。

 そこに、ネストの竜滅剣が叩き込まれた。

 存在を確立できていなかった悪魔の力の塊は、そっくりそのまま竜滅剣に吸収される。

 明らかな、魔王の作戦ミス。

 ドクン――漆黒の剣が脈動する。そして次の瞬間、ネストはすべての力を使い切る勢いで、魔王に現在可能な最高の攻撃を放った。

 振り下ろされた闇を纏った竜滅剣が魔王の体に食い込む。刃がその肌を先、体を切り進んでいく。

 魔王が、ネストを止めるべくその両手の先から魔法を発動する。だがそれは、ネストの体を包み込んだ闇によって阻まれる。竜滅剣によってもたらされる強化は、剣だけではなくネスト自身にも効果が及ぶ。

 そうして、ネストは魔王を切り裂いて。

 けれど魔王に生まれた傷は、次の瞬間にはまるで逆再生映像でも見ているように巻き戻り始める。

「ダメかぁ……」

 空中を舞うネストは、諦観のにじむ顔でつぶやく。

 そこへ、魔王の魔法が連続で叩き込まれる。

 剣を体の前に出し、そこに宿るドラゴンの力すべてを使い切る勢いで体を包み込む。

 そうして次の瞬間、ネストは魔法の嵐に飲まれた。


 魔王が切り離したドラゴンの力を吸収してネストが竜滅剣をふるったその時、一瞬だけ魔王のプレッシャーが弱まった。強烈な威圧感の一部を竜滅剣の力が打ち消す。

 呼吸が戻ったベルコットは、はっと我に返る。瞬時に意識を取り戻すことができたのは、これまでイレイナの料理によって何度も気を失ってきたから。失神の覚醒にすっかり慣れてしまったベルコットは、どうして失神したのだったかと重い頭を振りながら顔を上げて。

 そこで、ネストに切られようとしている魔王の姿を見た。

 悪魔を食らい、肥大化した巨躯の悪魔。ボールか何かのように真ん丸になった超肥満体系の魔王を見て――

「豚?」

 ベルコットは、思わずそうつぶやいた。ブクブクと肥え太った豚。なるほど、確かにそう見えなくもない。むしろ、一度そう思い込んだら、もう豚のようにしか見えなかった。

「豚……そうね、豚ね」

 繰り返しながら、イレイナは納得とともにうなずいて。

 そして、ふと、自分の体がすっかり軽くなっていることに気づいた。

 いまだに魔王の体に内包される魔力の量はほとんど減っていない。押しつぶされるような重圧が弱まったのは一瞬だけのことのはずだった。

 けれど今、ネストに向かって魔法を連打する魔王を前にして、イレイナはそよ風ほどの印象しか受けていなかった。

 ふと、思う。自分の「料理音痴」はどこまで効果を発揮するのだろうか、と。例えば、戦う相手が料理対象にしか思えなくなったとしたら。

 イレイナの目にはもう、魔王は肥え太った豚にしか見えない。霜降りの豚。少々油がくどそうな気もするが、直火で焼けば余分な脂も失われるだろう。

 つまり、外はカリッと、中は油が残って溶けるようなステーキの完成。

 それくらいならば、今のイレイナでも作れる気がした。何より、あれだけ膨大な魔力を含んでいる魔王の肉であれば、死後もその肉が残り、そしてイレイナの性質変化をはじくかもしれない。

 つまり、料理が成功できる可能性がある――

「……えぇ?」

 突然笑顔になったイレイナに気づいたベルコットが、あきれたように声を漏らす。ベルコットもまた、すでに魔王のプレッシャーを感じていなかった。イレイナの腕から伝わる魔力が、熱が、ベルコットに安心感をもたらす。

 これまでイレイナは、無茶苦茶な料理の数々で、超人的な戦闘技能で、数々の強敵を倒してきた。竜神でさえその刃の錆にしたのだから、たかが魔族の王を倒せない道理はない。

 ベルコットは、イレイナの腕をたたいて地面に下ろしてもらう。そしてガウルを背負い、覚悟を胸に告げる。

 行って、ネストさんを助けて、と。

 無言でうなずいたイレイナは、いまだに意識を失っているガウルをベルコットに任せ、魔王に向かって走り出した。

 一瞬にして魔王の背後をとり、その手に握るナイフを握る。

 刃が魔王に触れる瞬間、わずかに手へと違和感が伝う。けれどそれはあっさりと消失し、イレイナのナイフが魔王の体に食い込む。

 鮮血が舞う。頬にかかった血を手の甲で拭いながら、イレイナは全力で魔王の頭を殴り、その体を地面へと叩き落す。

 大地がひび割れる。魔王の巨躯を中心にクレーターができる。それでも、ネストへの魔法の連打は止まず――

 けれど、イレイナがナイフを一振りすれば、周囲一帯に存在する魔王の魔はかき消され、ネストへの魔法の雨が止む。

「……大丈夫?」

「なんとか、ね」

 竜滅剣を盾にし、なおかつイレイナの料理で回復していたネストは全身ボロボロでありながらも気丈に笑って見せる。

 その瞳をじっと見ていたイレイナは、小さくうなずく。隣り合った二人は、まっすぐ砂塵の先を見据える。そこに、影が生じる。

 砂埃を風の魔法でかき消し、魔王が現れる。

「貴様らァッ」

「王様がそんな口が悪くていいの?」

「いいんじゃない?あの悪魔たちの王なんだからこんなものだと思うよ」

 緊張をほぐすように軽口を叩きあう。ごそごそと胸ポケットを漁っていたネストが、ガラス瓶を取り出す。そこには、一つの黒い丸薬が入っている。

 それは、イレイナがドラゴンを材料に作り上げた強化丸薬。

「あ――」

 ふと、イレイナは忠告を忘れていたような気がして、口を開いて。

 けれどそれよりも早く、ネストはそれを口に放り込み、そして。

 ガリ、と噛み砕いていしまった。

「~~~~~~~~~~~~~~ッ!?」

 かつてない最悪の料理が口の中を蹂躙する。苦くてすっぱくて辛くて塩っぽくて気持ち悪いほどに甘くて。無数の匂いを混ぜたような強烈な腐敗臭に、ひどい粘性。なぜかバチバチと何かがはじけるような感覚がある。

 滂沱の涙を流しながら、ネストは魔王をにらむ。

「……ゆるせ、ない」

「……えっと、ごめん。絶対に噛んじゃダメって言ってなかったかも」

 イレイナの最高傑作にして奥の手の丸薬。それはドラゴンの血肉や骨髄などを素材としており、味を感じれば発狂死しかねないような劇物をコーティングして直接胃に届けることでかろうじて接種可能にしている最悪の物体。

 けれどネストは死ななかった。イレイナの料理による調教を受けてきたネストだからこそ、この丸薬を食らって死ななかった。ベルコットであっても死んでいたしれない料理に口の中を蹂躙されながら、その怒りを魔王にぶつける。

 完全な八つ当たりだった。

 さすがにいたたまれなくてイレイナが謝罪するも、ネストは優しげに目じりを下げて――充血したその目が優しげだったかどうかはともかく――イレイナは気にしないで、と告げる。

「僕がこんな苦しみを味わっているのは、全部魔王のせいなんだ。ここで魔王を倒せば、ようやく解放されるんだ」

「……何を言っている?」

 さすがの魔王も要領を得ずに思わず素で聞き返す。

 イレイナはネストの隣で不満げに頬を膨らませていた。自分の料理を食べることは「苦しみ」で、解放されてネストは料理を食べなくなるのだと。

 イレイナが気落ちしたことに気づき、湿原だったかと思いながら、ネストは竜滅剣の切っ先を魔王へと向ける。

「さぁ、これが最後だ」

「ぬかせ。お前らごとき敵ではない」

「……これからも料理を食べてくれるよね?」

「…………行くぞ、魔王!」

 イレイナの声を無視して、ネストは魔王へと一歩を踏み出した。


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