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relinquish


 綺麗な指先だな、と思った。

 女性的な細さは当然なくて、色が羨ましくなる程に白い訳でもない。

 どちらかというと男性的な強さと大きさの感じられる手。


 けれど、その末端までの所作があまりにも淀みがなくて(キレイ……)と、感嘆したのを覚えている。


 たったそれだけで恋に落ちたんだな、なんて。

 違う人の手を見て思う。


 どうして、私はあの綺麗な手を掴めなかったのかな。








 

「どうした?」

「え……」


 顔を覗き込まれる形で問われ、ハッとなった。

 鼻先が触れそうな近さで、彼が困惑した表情をしている。

 私は、ここが何処だか思い出して、何でもないのと無理やりに笑った。 


「話、聞いてたか?」

「うん」


 すぐ頷いてみせたけど、実際には聞き流しでちゃんと話の全てを解っていない。それでも、頷かないと、彼の機嫌がすぐに悪くなるのは解っていた。

 

 離れた顔に、ほっとして私はちょっと早くなっていた心臓を抑えるようにギュッと胸元を片手で握る。

 折角、今日の日に合わせて買った真新しいワンピースに皺が寄る。

 息をそっと吐いて顔を上げた。


 そこにあるのは立派なお屋敷。

 そうとしか表現出来ない位に、言葉が出て来ないのは予想以上に大きな家だったから。


「ほら、行くぞ」


 伸ばされた手に、(やっぱり違う)と落胆するのは身勝手だ。

 解っているから、後ろめたさを振り切るようにその手に自分の手を重ねた。


「親父もお袋も楽しみにしているんだ。俺が漸く、嫁さん連れて来るって」

「そう言われると、尚更緊張するんだけど」

「大丈夫。親父もお袋も、お前の事絶対に気に入るから」

「だったらいいな」


 土地持ちの名士――――実家がそれだと彼に言われたのは付き合い出して、すぐの事。

 結婚を視野に入れているから、家の事知って欲しいと率直に言われて、正直尻込みしたけれど、自分の流されやすい性格は解っていたから、彼に丸め込まれて、順調に交際して、そして今こうして結婚の挨拶に訪れて。


 それまでの流れが、実質四ヶ月程。

 出会ってから、付き合うまでの数年を足すには、私は彼に興味がなかった。

 だから、正直彼との仲はその四ヶ月とほんの少しという感じで、未だ恋人というには何だか胸の奥がもやもやとする。


 挨拶をすませれば、彼との関係が婚約者って明確に位置付けられるのを嬉しいと素直に喜べない。

 触れる温もりに、私は彼がどうして私なんかを選んだんだろう……と、疑問に思う。


 そして、私が彼との交際を受け入れた理由はあまりにも簡単で不純だった。


 綺麗な指――――と。


 思ったのだ。

 交際を申し込まれた時、私に伸ばされた彼の手を見て。


 それを反射的に握り返して、はっと我に返る時にはすでに交際が確定したも当然だった。

 私は、彼の手を取ってはいけなかったのだ。


 実際、我に返った瞬間には(違う、この手じゃない)と激しく否定している自分がいて、けれど時折彼の手に《綺麗な手》を思い起こされて、更に《綺麗な手》を重ねて見てしまう時があって。

 

 彼は、私の流されやすい性格を知っている。

 丸め込むのは簡単だったと思う。


 違うと解っていても、彼の手を振り解けないのは未練だ。


「式は、来年の六月でいいよな?女の子の憧れなんだろ、ジューンブライドって?」


 砂利の敷き詰められた上にある石畳を、彼に手を引かれるまま歩く。

 決められて行く未来に、私は曖昧に笑った。


 きっと後悔する。

 それでも、この手を離せない。


 やっぱり立派としか言いようのない玄関を前に見て、不意に砂利を踏む音で私はそちらを見た。


「…………っ」


 声を飲んで、叫ばなかった自分を褒めたい。

 砂利を踏んだ主は、静かな眼差しでこちらを見ている。


「兄貴。いたんだ?」

「いたら悪いか?」

「そんな事ないけど、アメリカから帰って来てるって知らなかったから」


 彼は素直に驚いて、問い掛けている。


「お前が嫁さん連れて来るって聞いたから、見物しに早めに戻って来たんだ」


 そして、私から眼を離さない人。

 私も、その人から眼が離せない。


「ああ、そういえば会うのお互い初めてだろ?アメリカに行ってる俺の兄貴」


 彼がにこやかに笑って、私たちを紹介する。


「こいつ、俺の婚約者」

「そう、おめでとう」


 躊躇いなく言われた祝福に、私は彼に繋がれていない残った手を知らず握り締めた。

 躊躇いのないそれが、所作に淀みを感じさせない指先を思い出されて、私の胸が酷く痛んだ。


 ありがとう、と。

 ありがとうございます、と返事をしなきゃいけないのに。


 私の唇は震えるばかりで、一向に開かない。


「あぁ、緊張してるみたいだ。悪いな、兄貴」

「いいよ、気にしてないから」 


 さぁ、あがって―――――玄関の引き戸を開けるその手の、その指先まで、やっぱり綺麗で。


 見惚れる自分が嫌になるのに、それでも眼を離したくなくて。


『ねぇ、君は僕と一緒にいてくれるかい?』


 確かめるように、探るように、静かに投げられた言葉。

 それと同時に、こちらに伸ばされていた指先。




 嘘つき―――――あなたのその手で求めているのは、私じゃないでしょう。




 だから、私はあなたの手を掴めなかった。

 そして、これからはもう決して掴んではいけないのだ。





 それを自覚した瞬間。

 私は、あの頃の恋を漸く終わらせようと思った。




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