第18話 留守中の一位
その朝、あおいは押し入れからすみの出かける箱を出してきた。
「すみ、今日は病院の日だよ。注射して、すぐ帰ってくるからね」
すみは箱を見るなり、本棚のいちばん上へ上がった。あおいはしばらく本棚の下で話しかけ、おやつの粒で呼び、最後には手を伸ばしてすみを抱き下ろした。箱の扉が閉まると、中からすみの低い声がした。
「むぎ、お留守番お願いね」
玄関の扉が閉まった。鍵の回る音がして、足音が遠ざかっていく。
家の中が、しんとした。
むぎは玄関の前でしばらく座っていたが、やがてリビングへ戻った。
むぎは窓辺へ行って、すみがいつも座っている場所に伏せてみた。日だまりはむぎの体にもちょうどよかった。少しして本棚の下へ移った。すみがいつも下りてくるあたりだ。それからソファの後ろのすき間に鼻を突っこんでみるとすみの匂いがした。
今日は、どこでも俺の場所だ。
むぎは骨の形のおもちゃをくわえてきて、敷物のまんなかで振ってみた。誰も「それ、なに?」と言わない。ロープを床に置いても、誰も引っぱらない。布ボールを転がすと、ボールは敷物を横切り、テーブルの脚に当たって止まった。
誰も、押し返してこなかった。
むぎはボールの横に伏せて、顎を床につけた。
むぎは玄関の見える場所まで移動して、また伏せた。
*
鍵の回る音で、むぎは跳ね起きた。
「ただいまー。むぎ、いい子にしてた?」
あおいが箱を下ろして扉を開けると、すみがゆっくり出てきた。
むぎは駆け寄ってすみの匂いを嗅いだ。知らない匂いがたくさんついていた。薬のような冷たい匂いと、知らない動物たちの匂いだ。
「おかえり、すみ! なあ、聞いてくれ。今日な、俺、窓辺も本棚の下も、全部使ったんだ。それから、ボールがな――」
すみは、むぎの顔を見なかった。耳が少し横に寝ていて、ひげも下を向いている。すみはむぎの横をすり抜けてまっすぐ本棚の下へ行き、そこで丸くなった。
むぎは口を閉じた。
「すみ、疲れちゃったね。今日はゆっくりしようね」
あおいがすみの頭をそっと撫でた。
むぎはしばらく本棚の下を見ていたが、やがて寝床へ戻った。骨の形のおもちゃを前足のあいだに挟んで、端のほうをかじる。音を立てないように、ゆっくりと。
*
窓から入る光が少し傾いたころ、足音が近づいてきた。
顔を上げるとすみが寝床の前に座っていた。耳はもうまっすぐ前を向いている。
「さっきの続きは?」
むぎは顎を上げた。おもちゃが前足のあいだから転がり落ちた。
「それがな、ボールがテーブルの脚に当たったんだけどな、誰も押し返してこないんだ。だから俺は――」
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