第8話 起きていられる四十五分で、王家を告発します
第8話 起きていられる四十五分で、王家を告発します
王国議会で白百合慈善院の監査が開かれる朝、ミレイユは宿の食堂で、半熟卵を一つ食べるのに十五分かけていた。起きてから二時間がたつまでは重要な判断をしないと決めているため、青い小花を散らした寝間着のまま、蜂蜜を入れた温かな乳を少しずつ飲んでいた。窓辺の鉢には紫陽花が咲き始めており、夜の雨を含んだ花びらから、雫が一つずつ敷石へ落ちている。焼きたての丸パンから立つ小麦の香りを嗅ぎながら、ミレイユはテーブルに並べられた七枚の札を順番どおり指でなぞった。
「一枚目が寄付台帳、二枚目が慈善院の報告書、三枚目が王宮倉庫の受領記録です。ここまでは私が説明します」
向かいに座るティナは、片方だけ紐のほどけた前掛けを直しながら復唱した。四枚目から六枚目までは市場の取引記録とモロー商会の帳簿、最後の一枚は熊の腹から見つかった受領証である。イザークは焦げ茶色の上着を着ており、火傷をした右手には、まだ新しい包帯が巻かれていた。彼は懐中時計を丸パンの横へ置き、針が正しく動いていることを確かめた。
「三十分を過ぎたら、ティナさんがミレイユ様の唇と指先を見る。言葉が遅れ始めたら、残り時間にかかわらず交代する。私も同じ判断をします」
「まだ話せると私が言っても?」
「交代します。今日の目的は、あなたが最後まで話し切ることではありません。証拠が最後まで届くことです」
ミレイユは反論しかけ、乳の浮いた薄い膜を匙で端へ寄せた。以前なら、自分のために二人の予定を変えさせるだけで、喉の奥へ固いパン屑が貼りついたようになった。しかし、用意された札には担当者の名前と提出する証拠が書かれ、どこで自分が眠っても手続きが続くように作られている。これは助けてもらうための予定ではなく、三人で働くための予定なのだと考え直し、ミレイユはほどけかけた寝間着の袖口を結んだ。
「分かりました。私が意地を張ったら、ティナ、足を踏んでちょうだい」
「議会で伯爵令嬢の足を踏める機会なんて、そうありませんからね。遠慮なく踏みます」
「靴の踵で踏むのはやめてね」
三人は半分残った丸パンを布に包み、議会へ向かった。馬車の座席には横になれるよう厚い敷物が重ねられ、その下にはセレスティーヌが忍ばせた乾燥ラベンダーの袋が入っていた。揺れるたびに香りが立つので、ミレイユは母が敷物を六枚も持たせようとして、御者に三枚まで減らされた朝の騒ぎを思い出した。議会堂へ着くころには雨が上がり、濡れた石壁の隙間から伸びた野薔薇が、薄桃色の花を開いていた。
議会堂の待合室には、固い長椅子と水差しのほかに、ミレイユが横になるための寝台が運び込まれていた。白い覆いには洗濯糊の匂いが残り、枕の端には、洗濯係が取り忘れた赤い糸が一本ついている。王宮側は寝台の設置をみっともないと抗議したが、議長は証言者の体調を守るために必要だとして退けた。ミレイユは紺色のドレスへ着替え、腹部を締めつけない短い胴衣と、踵の低い革靴を身につけた。
「お嬢様、髪飾りが少し曲がっています」
ティナが青い紫陽花の髪飾りを直す間、ミレイユは鏡の中の自分を見た。目の下には三日間眠ったあとにも消えなかった薄い影があり、頬には枕の跡が一本残っていた。それを白粉で隠すよう化粧係に勧められたが、今日は病気のない令嬢を演じる日ではない。ミレイユは頬の線を指で触り、髪飾りだけをまっすぐに直してもらった。
「これでいいわ。眠っている人間が証言するのだから、寝跡くらいあったほうが分かりやすいでしょう」
鐘が十時を告げ、監査が始まった。議場には議員だけでなく、慈善院へ寄付をした商人や貴族、新聞記者も集まっていた。傍聴席の窓辺には白百合が飾られていたが、花瓶の水は濁り、下の葉が黄色くなっている。正面の席にはベルトラン王太子とリゼットが座り、二人の背後には王家の金獅子旗が下がっていた。
「この監査そのものが茶番だ」
議長に発言を許されたベルトランは、真紅の上着の襟を直して立ち上がった。机の上には手をつけていない紅茶があり、その表面で薄い油の輪が揺れていた。彼はミレイユの前に並べられた札と寝台を見比べ、口の端を持ち上げた。
「ミレイユは一日の大半を眠っている。夢と現実の区別もつかず、ぬいぐるみの声が聞こえるなどと言っている女だ。そのような者に、王家を告発する能力があると本気で考えているのか」
「私が眠ることと、殿下が帳簿を書き換えさせたことに、どのような関係があるのでしょう」
ミレイユは一枚目の札を裏返し、議長へ向き直った。膝の上では両手を重ね、右の親指で左の爪を押さえている。議場へ入ってから七分が過ぎており、話せる時間を王子との言い争いに使うつもりはなかった。彼女はぬいぐるみを証拠台へ置かず、封をした木箱に入れたままイザークへ預けていた。
「最初に明確にしておきます。私は、ぬいぐるみから聞こえた声を証拠として提出しません。声は帳簿の所在を探すきっかけになりましたが、本日提出するものは、人の手で書かれ、人の印章が押され、人の金庫や市場に残されていた記録だけです」
「都合がよすぎる。魔法を使ったという部分だけ隠すつもりか」
「匿名の投書を受けて倉庫を調べ、盗品を発見した場合、裁かれるのは投書の声ではなく、見つかった盗品と盗んだ者です。殿下は王太子でありながら、それをご存じないのですか」
傍聴席で小さな笑いが起こり、ベルトランの指が紅茶の受け皿へ当たった。硬い磁器の音が議場に響き、リゼットが扇を開いて口元を隠した。ミレイユは王子の顔を見続けず、二枚目の札を裏返した。イザークが懐中時計へ目を落とし、指を二本立てたことで、予定どおり第二の証拠へ進めという合図だと分かった。
「白百合慈善院の寄付台帳には、昨年の冬、毛織物百二十反、保存小麦三か月分、金貨三百枚を受け取ったと記されています。慈善院の報告書では、毛織物は虫食いのため王宮倉庫へ送られ、小麦は水濡れで廃棄、金貨は暖房設備の修繕へ使ったことになっています。しかし王宮倉庫には、毛織物を受け取った記録がありません」
議会書記が二冊の帳簿を議員へ回した。厚い紙から埃と革油の匂いが立ち、一枚の端には、昔の書記がこぼしたらしい黒い珈琲の染みが残っている。同じ日付の同じ品を示しているのに、慈善院の帳簿と王宮倉庫の帳簿はつながっていなかった。ミレイユは三枚目の札へ手を伸ばし、その指先がわずかに札の端を外れた。
「その毛織物が、南市場で売られていたのです」
「異議があります」
リゼットが椅子を引き、青白い顔で立ち上がった。彼女が着ている淡い黄色のドレスには、真珠が数え切れないほど縫いつけられている。裾から漂う薔薇の香油は以前より強く、近くにいる議員が鼻へハンカチを当てた。リゼットは扇の骨を両手で握り、帳簿を見ないまま議長へ訴えた。
「市場で布が売られていたからといって、慈善院の寄付品とは限りません。同じ毛織物など、王都にいくらでもあります」
「そのとおりです。ですから、布を見つけただけでは告発しませんでした」
ミレイユが指を動かすと、イザークは市場の取引記録を証拠台へ載せた。布地の番号、寄付者の家紋を織り込んだ端布、買い取りの日付が、慈善院の台帳と一致している。売り主の欄にはモロー商会の名があり、代金の送付先にはリゼット個人が使う王都銀行の口座が記されていた。さらに、その口座から仕立屋と宝石商へ支払われた金額は、彼女が今着ているドレスの注文書と同じだった。
「この真珠も、孤児たちの毛布だったということですか」
議員の一人が尋ねると、リゼットは自分の胸元を押さえた。真珠が擦れ合い、乾いた豆を皿の上で転がしたような音を立てる。ミレイユは答えようとしたが、舌の付け根が重くなり、議員の顔が一度だけ二重に見えた。ティナが机の下で、約束どおりミレイユの靴先を踏んだ。
「二十九分です。お嬢様、交代します」
「まだ十六分あります」
「今、私の名前を呼んでみてください」
「ティ……ティナ」
ミレイユは二音目が遅れたことを自分でも聞き取った。ここで話し続ければ、言葉を間違え、その間違いを王子に利用される。以前の自分なら、役立たずではないと示すために椅子へしがみついただろう。しかし今日は、起き続けることを証明しに来たのではない。ミレイユは息を一つ吐き、四枚目の札をティナへ差し出した。
「引き継いでちょうだい。私は寝台へ移ります」
「承知しました。お嬢様、足を踏まなくても話を聞いてくださるようになりましたね」
「少し物足りなさそうに言わないで」
議場に笑いが広がる間に、イザークがミレイユの椅子を引いた。彼は腕をつかまず、支えが必要かと目で尋ねてから、差し出された左手だけを取った。火傷した右手の包帯から薬草の匂いがし、その下には熊の耳を炎から守った傷がある。ミレイユは寝台までの十二歩を自分で歩き、低い枕へ頭を載せた。
「監査を中断しろ」
ベルトランが机を叩き、冷めた紅茶が白い卓布へこぼれた。侍従が慌てて布巾を探したが見つからず、自分の袖で染みを押さえている。王子は眠りかけたミレイユを指さし、勝ち誇ったように顎を上げた。
「告発者が証言を放棄した。本人が話せないのなら、これ以上続ける理由はない」
「放棄しておりません」
ティナは五枚目の札を立て、ミレイユが座っていた席へ着いた。普段の黒い侍女服には朝食の小麦粉が少し残り、急いで拭いた跡が肩に白く広がっている。それでも彼女は背筋を伸ばし、六年間つけ続けてきたミレイユの生活記録と、慈善院で見た出来事を議長へ提出した。
「私はミレイユ様から、証言の続きを正式に委任されています。こちらが委任状です。王国法のどの条文にも、告発者が眠れば同行者まで口を閉じなければならないとは書かれておりません」
「侍女風情が王太子へ意見するな」
「私は今、王太子殿下へ意見しているのではありません。議長へ証拠を提出しています。殿下はどうぞ、お茶の始末をなさっていてください」
議長が咳払いをしたため、ベルトランは口を閉じた。ミレイユは目を閉じかけながら、ティナの声を聞いていた。慈善院で撮影が終わったあと、子どもたちからパンが取り上げられたこと、倉庫には着られる服が積まれていたこと、ノエが菓子の半分を翌朝のために靴へ隠したことが、順番に語られていく。証言の声が遠くなり始めたところで、ミレイユは最後に王子のほうへ顔を向けた。
「殿下は、私が眠れば告発も止まると思っていたのでしょう」
ミレイユの声は小さかったが、議場にいる者たちは口を閉じて聞いた。窓から入った風が白百合を揺らし、一枚の花粉が王家の金獅子旗へ落ちた。ミレイユは眠気に逆らって上半身を起こそうとせず、枕へ頬をつけたまま言葉を続けた。
「眠らない人間だけで作った制度だから、眠る人間に破られるのです。私は眠ります。でも、帳簿は消えません。ティナの目も、イザークの手も、私が眠ったからといって働くのをやめません」
その言葉を言い終えると、ミレイユのまぶたは完全に閉じた。イザークは彼女の肩へ薄い外套を掛け、首元を締めつけないよう留め金を外した。それから六枚目の札を立て、王立文書院で確認した印章記録を提出した。議長は眠ったミレイユを退室させず、静かに審理の続行を命じた。
「受領証に押された印章は、本物の王太子印です」
イザークは熊の腹から発見された三枚の受領証を、封印された透明板の下へ置いた。発見時に立ち会った公証人の記録、封を開く前後の署名、紙とインクの鑑定書も添えられている。王宮の印章台帳によれば、問題の日に王太子印を使用したのはベルトラン本人であり、同日の執務記録にも彼の署名が残っていた。
「こちらには、慈善院の不足を公表すれば王家の威信が傷つくため、帳簿を修正せよとの指示があります。筆跡は王太子殿下の過去十年分の公文書と一致しました」
「私は慈善院を守ろうとしただけだ。多少の不足を公表すれば、寄付そのものが途絶える可能性があった」
「不足ではありません。子どもの食事と冬服を売り、その金をリゼット嬢の口座へ移したのです」
「私が金を受け取ったわけではない!」
「横領を知ったあと、監査を止めましたね。こちらに王宮監査官の解任命令があります。理由の欄は空白ですが、署名は殿下のものです」
ベルトランは反論の言葉を探し、濡れた袖口を握りしめた。リゼットは真珠のついた裾を椅子の下へ押し込み、隣の王子から少しずつ離れていた。議員たちは市場の記録、銀行口座、仕立屋の注文書、王家の受領証を順番に確認した。ミレイユの寝息が聞こえるほど静かな議場で、紙をめくる音だけが長く続いた。
「リゼット・モロー嬢、慈善院の金を私的に使用したことを認めますか」
議長が尋ねると、リゼットは扇を床へ落とした。扇の飾り紐が切れ、小さな真珠が一粒、床を転がって証拠台の脚に当たった。彼女は拾おうと腰をかがめたが、衛兵が先に真珠を押さえた。
「私は、必要な経費だと聞かされていただけです。慈善活動には、人々の目を引く象徴が必要でしょう。私が美しく着飾れば、それだけ寄付が集まるのです」
「その服を作るために売られた毛織物は、孤児たちが冬に着るはずのものでした」
ティナは最後の札を裏返し、慈善院の食料配給表を示した。帳簿の上では一日三回となっていた食事が、実際には薄い粥一回だけだった日が四十七日もある。台所係の証言と小麦の仕入れ記録も一致し、余ったはずの小麦はモロー商会を通じて酒造所へ売られていた。リゼットは唇を動かしたが、今度は言葉が出なかった。
正午を告げる鐘が鳴ると、議長は王太子の公務を一時停止し、王太子印を議会へ預けるよう命じた。リゼットには監査が終わるまでの王都滞在と、モロー商会の資産凍結が言い渡された。白百合慈善院には議会直属の臨時管理人が派遣され、その日の夕食から子ども一人につき丸パン二個、肉入りのスープ一杯、煮た豆一皿を出すことも決まった。議会の料理番が献立を書き写しながら、「豆は昨日から水につけないと固いぞ」と余計な心配をし、書記に早く厨房へ走れと追い立てられた。
それでもミレイユは目を覚まさなかった。彼女は紫陽花の髪飾りを少し傾けたまま、外套の下で規則正しく息をしていた。ベルトランが衛兵へ印章を渡し、リゼットが真珠の音を立てながら連れ出されても、そのまぶたは動かなかった。イザークは寝台の脇へ証拠一覧と監査結果を書いた紙を置き、その上へ、朝に食べ残した丸パンの包みを重しとして載せた。
「終わりましたか」
眠ったままのミレイユへティナが尋ねると、イザークは首を横へ振った。告発は認められたが、奪われた金を戻し、慈善院の子どもたちが毎日食べられる仕組みを作るまでは終わりではない。彼はミレイユの手が寝台から落ちないよう外套の中へ戻し、七枚の札を番号順に重ねた。
「いいえ。彼女が目を覚ましたら、次の仕事を一緒に決めます」
窓の外では雲の切れ間から陽が差し、雨に濡れた野薔薇が石壁へ影を落としていた。議員も書記も立ち去った議場で、時計の針だけが動き続けている。ミレイユが眠っていても、証拠は議会の金庫へ運ばれ、慈善院の厨房では大鍋へ火が入れられた。彼女が起きていられた四十五分よりも長く、その日に動き始めた仕組みは止まらなかった。




