209話 下水路
夕暮れ時、忙しく行き交う人々の隙間を縫うように、俺、アイリス、レウィシア第一皇女、フリーダ、アンドリューさんの五人は、スラム街へ急ぐ。
冒険者になってからも、【紺碧の刃剣】から追放される以前はちょくちょくスラム街に戻ってくることはあったが、今回は本当に久々だ。
華やかで文明的な王都……その、影。
石畳はひび割れ欠けたまま放置され、ゴミがそこら中に散らばり、掘っ立て小屋ですらないお粗末で穴だらけの屋根が彼らの家。
スラム街と区分……否、差別される場所に入る前に、俺はアイリスとフリーダに声をかける。
「ルイン達が根回しをしてくれているとは思うが、念のためだ。アイリス、フリーダ、臨戦態勢を」
俺がロングソードを抜くのを見て、二人とも無言で頷いてそれぞれレイピアとジャベリンを抜く。
ドレス姿の美女が二人いるとは言え、明らかに武装している冒険者がいると分かっていてちょっかいを出す馬鹿もそういないだろう。
いざ、スラム街へ踏み込む。
……やっぱりここも変わらないな。
カイツールですら、旧居住区が犯罪の温床になりかねないと知ってすぐに整備に乗り出したのに、王都の役人はここを何とかしてやろうとは思わないのか?
周囲を警戒すれば、スラム街の貧民達が遠巻きに俺達を物珍しそうに見ている。
見ているだけならいいんだよ、邪魔するんじゃないぞ。
すると、ドレス姿でなおかつ武装していないから物乞いしやすいとでも思ったのか、痩せ細った孤児がレウィシア第一皇女に近付こうとするが、
それよりも先にフリーダが割って入り、威嚇としてコンッとジャベリンの石突きで地面を突いて音を鳴らした。
一瞬怯んだ孤児だが、せめて少しでも何か……と彼女に目を合わせているが、フリーダは顔色ひとつ変えずに、今度はジャベリンの穂先を孤児に向けた。
「どきなさい」
冷たくそう言い放つと、孤児は慌てて逃げ出した。
脅かし過ぎだと思うかもしれないが、彼ら孤児はハッキリ断らないとどこまでも物乞いを続けてくるから、ちょうどいい"見せしめ“だ。
フリーダの武威が効いたおかげで、そこからは足を止めることなく進む。
西口広場まで来ると、ルインとヒルダが既に待ってくれていた。
代表して俺が二人に話しかける。
「ルイン、ヒルダ、待たせたな」
「いいや、時間通りだ」
双方、顔合わせと簡単な自己紹介をしてから。
「これから下水路に向かう。お嬢様方、準備はいいな?」
お嬢様方、と言うのはアイリス、レウィシア第一皇女、フリーダの三人のことだ。
臭くて不潔な所を通るのだ、生理的嫌悪感は大丈夫かと一応は気にかけてくれている。
三人とも大丈夫ですと頷くのを見てから、移動開始。
スラム街の中でも最も外れの方、スラム時代の頃でも、この辺りに来るのは滅多なことじゃなかった。
しかしよくよく見てみると、スラム街と差別される区域の中で、最も城に近い場所でもあった。
「ここだ」
川と繋がっている水路、城の懐に入り込むような形の坑道が伸びているのが見えた。
ルインとヒルダは松明に火を点ける。
「暗い上に足元も悪いから、気を付けてついてきて」
ヒルダの注意喚起に頷くと、下水路の中へ入っていく。
日の光なんてほとんど射さない暗闇の中、先導するルインと後方を守るヒルダが持つ松明の灯りを頼りに、下水路の狭い通路を進む。
アイリスとレウィシア第一皇女はハンカチで鼻を覆っており、フリーダもさすがに嫌悪感を隠せないようだ。アンドリューさんは平然としているのはさすがと言うべきか。
下水路に入って二十分ほど歩いていると、ルインが「そろそろ着くぞ」と声を掛けてくれる。
ようやくこの臭い所から抜け出せるな。
「スコット、首尾はどうだ」
懸念していた、下水路と後宮内部を繋ぐ地点に到着すると、ルインは何やら作業中らしいスコットに声をかけた。
「ん?お?思ったより早く来たな。待ってろよ、もうちょいで……」
ランプで手元を照らしつつ、チキチキと針金を鉄格子の鍵穴に差し込んでいるスコットだが、程なくしてガッヂャンッと金属が擦れる音が聞こえた。
「よしっ、開いたぞ」
スコットがそう言って鉄格子を引っ張ると、蝶番に繋がっている部分が開いた。
ここから後宮内部に進入出来るようだ。
そしてルインは俺達に向き直ると。
「オレ達に出来るのはここまでだ。後は任せたぞ、リオ」
続いてヒルダとスコットも。
「健闘を……闘うかは知らないけど、健闘を祈っているわ」
「とっとと行ってこい。そんで、その後で昨夜の続きといこうぜ」
そうだな、聖女との対談を成功させて帰ってきたら、昨夜の続きだ。俺が全メニューフルオーダーで奢ることになるけどな。
「ありがとう。……行ってくる」
すると、アイリスはルインに向き直った。
「ルインさん」
「お、おぉ、なんだ?」
以前に、正論の暴力で徹底的に打ちのめされたことがあるルインにとって、アイリスは苦手意識があるのか、ちょっと引けている。
「ありがとうございます。あれから、変わられたようですね」
「……そりゃ、な」
一瞬面食らい――照れ臭そうに頷いた。
ブレイドビートルの一件から、ルインの中で何かが変わったんだろう。
今日まで壮健に冒険者活動を続けているから、冒険者を続けられるだけの、何らかの変化があったのだと思う。
「あんたにボロクソに言い負かされて、リオにぶん殴られてなきゃ、オレ達は腐ったままだったからな」
ルインはアイリスに背中を向けると、「さっさと行けよ」と呟いた。
「では、また後ほど」
そっぽを向いたルインにぺこりと一礼するアイリス。
三人が来た道を戻っていくのを見送ってから、持ってきていた消臭剤で悪臭を取り除いてから、後宮内部へ踏み込んだ。
さぁ、ここからが本番だ。




