1.遭難は必然ではない3
俺の心は折れる寸前となっていた。進んでいるのか、戻っているのかさえもはや曖昧だ。円を描いて、同じところをぐるぐる回っている可能性も否定できない。
羽付きキノコが生え、時々『うぇ~い』と鳴き声が聞こえる、変わりばえしない山道を歩き続けた末、気力も体力も限界だった。
立ち止まると、膝はがくがくと震えが止まらない。
「笑ってる、笑ってるわ……」
笑う膝を実感なんて、実感なんてしたくなかったわ……。心折れた俺はその場にしゃがみこんだ。色々ともう限界だった。
「誰かー! 助けてー!」
無駄だと分かった上で、俺は力の限り叫んだ。こんな山の中で、返事はないはずだった。はずだったのだが。
「はーい!」
予想外の返事が俺の耳に入った。
そして空から人が降ってきた。降ってきた人影は、俺の目の前で三点着地を完璧に決める。三点着地を決めた人物は、俺に笑いかけた。
「はい! 呼ばれて参上だよ」
俺は自分の目を疑った。目の前にいるのは、中性的な容姿の可愛らしい黒髪の子供だった。歳は十歳前後ぐらいで少年だとは思うのだが、自分の見立てに自信は持てなかった。とりあえず便宜上少年ということにしておこう。
「うん? うん?」
少年はしゃがみこんだままの俺を凝視してくる。
「うわあ! 外の人だ! うわあ! うわあ!」
少年は元気に飛び跳ね、興奮冷めやらぬ様子だ。
「久しぶりに見た! いつぶりだっけ? まあいっか」
腕を組みあざと可愛く首を傾げ、少年はてへっと笑う。どうにも最初から、少年は絶妙にあざとい動きを繰り返している。狙ってやっているとしか思えない。自分の可愛さを分かった上で、利用しているというか。
「えっと、助けを呼んでたよね。おねーさんはここで何してるの? 何で男装?」
またか……、またなのか……。屋敷の外でもこのやり取りは繰り返されるのか……。俺はすぐさま訂正を試みた。
「そう呼ぶなら、俺はおにーさんよ。男装ではないわ」
「嘘だあ。まあいっか。それでおにーさんは何でここにいるの? 何で助けを求めてたの?」
俺は今までのことを思い返して、遠い目になってしまった。
「屋敷の部屋の中にペガサヌが突っ込んで来て、手綱を外そうとしたら、ペガサヌが飛び起きて、一緒に連れて行かれたのよ。それから気付けば、俺は山の中で一人ぼっちよ。今は山で遭難している状況ね」
「おにーさん何言ってるの? 頭大丈夫?」
どうやら本気で頭を心配されている。
「俺が話したのはまごうことなき真実よ。正気は保ってるわ」
「そっかあ。まあそういうこともあるよね」
明らかに話を流された。俺だって話していて、何だこれと思っているので、流されたって仕方ないだろう。
「それでおにーさんは外の国の人だよね?」
「亡国の外から来たってことなら、それで合ってるわ。亡国の人は本当に魔力が無い人が分かるのね」
魔法使いかどうかは一目見て分かると、シェリーが言っていたことを思い出した。
「にひひ、そうだよ。そういうことにしておこっか」
含みのある言い方をした少年は、急にふわりと浮きあがった。魔法で浮いているのだろうと、俺に驚きは無かった。我ながら亡国生活にも、だいぶ順応してきたと思う。
「貴方ならここが何処か分かるわよね? ここは亡国のどのあたりかしら?」
「ここはグローリアス公爵領の端っこ、ザルツループ公爵領との境界付近だよ」
「そうだったのね、良かったわ」
グローリアス領から出ているのではないかという俺の不安は、ひとまず払拭された。
「グローリアス領かどうかが大事なの?」
少年は不思議そうだ。
「さっき貴方も興奮してたみたいに、魔法使いでない人間が、亡国内で急に現れたら騒ぎになるでしょう? グローリアス公爵領の領民には知らせてくれてるらしいから、そこまで騒ぎにはならないはずなのよ。でもそれ以外だとどうなるのかが、全く読めないわ」
「ふ~ん。おにーさんはどうして亡国に?」
「俺はシェリー・グローリアス公爵令嬢と結婚するために、この亡国に来たのよ」
シェリーを好きだと自覚した今だと、言っていて自分で恥ずかしい。赤面を我慢できなかった俺。そんな俺を見て少年はきゅっと目を細めた。何もかもを見透かされているようで、うすら寒い心地がする。
「そっかあ、シェリーちゃんのお婿さんかあ。おにーさんは奇特な星の巡りあわせなようで」
俺は少年の発言の一部が、ものすごく引っかかった。
「あら、貴方はシェリーと知り合いなの?」
公爵令嬢であるシェリーのことをちゃん付けで呼ぶのは、相当親しくないとできないことのはずだ。
「そうだよ。生まれた時からの付き合いだから、もうだいぶになるね」
遭難した山奥で出会った、シェリーの知り合いであるこの少年。今まで普通に話していたけれど、一体彼は何者だ? 少年と話すほどに、訊きたいことが増えていく。
「貴方の方こそ、この山の中で何をしてたのよ?」
「え? だってこの辺は僕の住処だからね」
少年は両手を広げてくるりと一回転した。
「え? 貴方一人しかいないわよね?」
「うん、一人しかいないよ」
こんな子供が一人で山の中で暮らしている。これは深く聞いてはいけない話なのかもしれない。間違いなく深い事情があるやつだ。
「遅くなったけれど、貴方の名前は何ていうのかしら? 俺は」
話を逸らすついでに、俺は少年に自己紹介しようと思ったのだが、名乗ろうとしたら少年に手で制された。
「はい、ストーップ。僕たち本当はまだ出会う時ではないんだよ、おにーさん」
少年が何を言いたいのか、さっぱり分からない。
「お互いに自己紹介は然るべき時に、改めてしようね。今はそうだな。僕のことは少年とでも呼んでよ。僕は引き続きおにーさんと呼ぶね」
「俺に名乗りたくない理由があるのかしら?」
「それは違うよ。ただこんな偶発事故みたいな、出会いは嫌だからね。僕とおにーさんは必ずまた会うことになるよ。その時が本当の僕たちが出会うべき時だね」
断言する少年の言葉には、妙な説得力があった。恐らく彼は普通の少年ではない。ここは何でもアリな亡国だし、もしかしたら彼は人ではないのかもしれない。
少年の正体が何であれ、彼は俺に手を貸してくれるようだ。人ではないかもしれないけれど、助けてくれそうな存在と出会えたことで安心したら、ぐ~っと大きな音がした。音の発生源は俺のお腹だ。
「お腹が空いたわ」
俺は空腹がとても苦手だ。たぶん帝国にいた時のことを思い出すからだろう。この空腹具合なら、今は昼過ぎぐらいの時刻とみた。
「腹が減ってはなんとやらだよね。ちょっと待っててね」
浮かんでいた少年は地面に足をつけると、身軽に山の斜面を歩いて行った。数分も経たないうちに、少年は俺の元へと戻ってきた。
「これなら人間でも生で食べれるよ」
少年が両手いっぱいに持って来たのは、あれだ。羽が生えたキノコだ。少年は手慣れた様子で羽をむしり取って、俺にキノコを手渡してきた。
「ありがとう。遭難してから散々これを見たのだけれど、これは本当に食べられるのかしら……?」
俺はお礼を言って、少年からキノコを受け取った。せっかく採って来てもらったのだが、疑いなく食べる勇気は俺には無い。
「大丈夫だよ。一思いにいっちゃって」
一思いと言われて、俺はますます不安になった。ショッキングピンクなキノコのかさは、目が痛くなるほどに自己主張してくる。匂いを嗅いでも無臭。羽を毟られ見た目だけなら毒キノコ。
俺は目を閉じ、意を決してかさの部分にかじりついた。
噛んだ瞬間、溢れる水気が俺の口に中に広がった。果物特有のジューシーな甘さは、間違いなくキノコのものではない。
「果汁? キノコ汁? がすごいわね」
「キノコ汁だと別の食べ物になるよ?」
「それもそうね」
俺は的確な表現が思いつかない中、二口目を食べた。
「美味しくてなんか悔しいわ」
なぜこうも見た目と美味しさが不一致なのか。毒々しい見た目に反して、ものすごく美味しい。ここまで美味しいのは、運動した後で空腹なせいもたぶんある。




