答えは存在するのか 2
四限終了のチャイムが鳴ると、晴代は弁当箱を持って逃げ出すように三組の教室から出た。人目を避けるため、普段は使用しない階段を使い、生徒会室までたどり着くと、戸を閉め、内側から鍵をかけた。息切れを整えると、携帯電話を取り出す。
――お昼ご飯を食べに、霧矢だけで生徒会室まで来てほしい。話したいことがある。
メールを送信すると、晴代は冷え切った生徒会室の暖房をつける。自分は契約異能でいくらでも暖を取ることが可能だが、霧矢はそうもいかない。
ポケットから、今朝、机に入っていた紙を取り出すと、生徒会室の机の上に裏返して置いた。時間を置いて多少落ち着いたとはいえ、まだ、平常心でその紙を見ることはできなかった。
窓の外を眺めながら、待ち人が来るのを待っていると、やがて、生徒会室の戸が開こうとしたが、鍵のおかげで横に滑らない。曇りガラスのむこうに映るシルエットは困惑したように首を傾げた。晴代は駆け寄って戸の鍵を開けると、急いで霧矢を生徒会室の中に招き入れる。
「いったいどうしたんだ。鍵なんか閉めて……」
霧矢の問いかけには答えず、晴代は首だけ外に出し、人目がないことを確認すると、急いで戸を閉め、再び鍵をかけた。
「座って」
晴代の様子がいつもと違うので、霧矢は深く詰問せずに、相手の方から話すまで何もしないことにした。弁当箱の入った巾着を机に置くと、生徒会室の椅子に腰かける。特に何も口を利くこともなく、弁当を袋から取り出していく。
弁当のふたを開けると、霧矢は晴代の顔を見ることなく、弁当の具を見ながら声を発する。
「それで、さっきから、黙りっぱなしだが、僕に何の用なんだ?」
箸をふたの上に置き、霧矢は顔を上げた。対面に座っている晴代は怯えたような表情をしており、霧矢はトラブルが発生しているということをうかがい知ることができた。
「話せ。聞いてやる」
霧矢が話すように促すと、晴代は無言で机に置いてある紙を霧矢の方に滑らせた。霧矢は紙をめくり上げる。
「……なるほどな。確かに、これは恐怖に思っても仕方ないか」
西村龍太と中里時雨という文字が、派手な赤インキのバツで消されていて、下に上川晴代という二人よりも小さめの文字の上に薄い鉛筆でバツが破線で書かれていた。
「ねえ、霧矢。あたしはどうすればいいの…」
「…方法はいくつかあるだろうが、どれも茨の道だな。楽な方法はない」
考えられる方法としては、申し付け通り西村や霧矢の邪魔をすること、知らぬふりを通し続けること、紙を先生に証拠として提出してしまう、などが挙げられるが、いずれにしても、晴代にとって苦痛な行為であることは間違いない。
「そんなこと言われても、あたしバカだもん。決められない」
「いや、むしろバカだったら決められる。バカじゃないから考える。考えるからバカじゃない」
「哲学的な話はいいから、解決策を考えてよ」
霜華の好みに合わせたせいで甘めに作られた卵焼きを口に投げ込むと霧矢は首を回す。解決策を考えろと言われても、そう簡単に思いつくものではない。箸をペン回しの要領で右手の上で回転させるとともに、頭も回転させる。
「お前も食ったらどうだ。食欲ないかもしれないけど、食わないときついぞ」
「何で、あたしが食欲ないってわかるの?」
「何年の付き合いだと思ってる。お前は基本的に物事を心配することはないが、一旦心配しだすと、とことん自分を追い詰めたりするからな。中学のときに、それでやせ細ってたことがあっただろうが」
生徒会室のポットから急須にお湯を注ぐと、霧矢は湯飲みにお茶を注いでいく。
「まあ、飲め。腹に何か入れた方が、考えがまとまることがある。僕だって今食欲はないけど、無理矢理、胃に入れてるしな」
湯飲みを晴代の方へ押しやると、もう一つの湯飲みに入った緑色の熱い液体を霧矢は口につける。面倒くさがって湯冷ましをかけなかったため、苦味が非常に強かった。顔を上げると、お茶を口にした晴代の顔が歪んでいた。
「霧矢、お茶の入れ方、間違ってる。苦すぎ」
「苦い方が、思考がより一層活発になるんだよ。甘いものばっか食べてるお前にはわからないだろうがな」
「負け惜しみ言って。単に湯冷ましかけなかっただけのくせに」
霧矢はチッと舌打ちすると、再び弁当に箸をつけた。しかし、食欲はなく、口元まで運んだ箸が一瞬止まってしまう。息を吐いて再び口の中に放り込み、お茶で飲み下した。
ここに来てようやく、晴代も霧矢の様子がいつもと違うことに気付いたのか、不思議そうな表情を浮かべ、霧矢に問いかけてくる。
「霧矢も、食欲ないって言ってたけど、何かあったの?」
「…今朝、西村に気になることを言われたんだ。それで、一日中、信念を妥協するってどんな感じなのかとか、それは自分では許せるのかとか、考え続けてた。でも、答えは出ない」
「自分の信念?」
「僕の場合、敵を殺さないというやつだ。西村にとっては、間違っていることに対して、譲歩しないというやつらしいが……」
熱いお茶に息を吹きかけながら、霧矢は視線を晴代に向ける。晴代も自分の弁当箱のふたを開けながら、霧矢に目を合わせた。
「…霧矢は、誰も殺さないことをあきらめるつもりなの?」
「……わからない。風華との約束だから殺さない、霜華が悲しい思いをするだろうから殺さないというのはあるかもしれないが、自分の本心としてはわからない。最初は、関係者から恨みを買いたくないからと考えていたんだが、今はよくわからなくなってきた」
自分でもよくわからないものを信念・正義とするのも、情けない話だと思う。今の霧矢は、「なぜ」を深く考えずに、「そういうものだから」と割り切ってしまっている。ただ、それ故に、自分の在り様を時折見失ってしまうこともあった。
「霧矢って、複雑だよね。もっと単純に考えればいいのに」
「……単純な思考は明快だけど、失敗したらシャレにならない。僕の生き方はローリスク・ローリターンがモットーだ。そのためには複雑な方がいいんだ」
自分で言っていてもあまりいい気はしないが、事実として霧矢は安全志向の人間だ。そのためには単純に物事を見ているわけにはいかない。物事を複雑、多角的に見極め、最適な行動をとる必要がある。




