第3話 勇者を守って血だらけになった僕、ダンジョンに置いていかれたけど荷物を持って帰ってくれてありがとう! 脱出し追放の書類に署名したら、殴ってきた勇者の手が痛そう。大丈夫? えっ、今度は聖剣の練習?
ヴェズドは僕の顔を踏みつけた。
「んぐっ……!」
石の床に頬が押しつけられる。口の中の血の味が、また広がった。
「俺様の足を引っ張りやがって!」
さらに腹を蹴られた。
「ぐはっ……!」
お腹が痛い。毒のせいで、また吐きそうになった。
「……ごめんね」
「ちっ。汚い奴だ」
ヴェズドは僕の顔に唾を吐いた。それから、荷物を全部持っていった。食料も、水も、明かりも。彼は振り返らずに歩いていく。
「あっ、荷物も持っていってくれたんだね」
僕は隣を見た。重たい荷物がなくなっている。食料も水も明かりもない。
「これなら、僕も身軽に帰れるね!」
ヴェズドって優しいなあ。自分も疲れているはずなのに、僕の荷物まで持って帰ってくれたんだ。
「じゃあな、役立たず! そこで魔物に食われちまえ!」
「うん! 気をつけてね!」
僕は手を振ろうとした。でも、腕が動かなかった。ヴェズドの足音が遠ざかっていく。やがて、何も聞こえなくなった。
「……ふう」
僕は天井を見上げた。ダンジョンの奥は暗かった。全身から血が流れている。喉も痛いし、吐き気が止まらない。体はほとんど動かない。
「いやあ、今日は大変だったなあ」
でも、腐毒竜は倒せた。ヴェズドも無事だった。よかったよかった。
「よし、僕も帰ろう」
僕は立ち上がろうとした。でも、足に力が入らない。
「あれ?」
もう1度、頑張ってみる。
「うぐっ……!」
背中に痛みが走った。血がまた流れ出す。目の前が暗くなった。
「……あらら」
どうやら、もう少し休んだ方がよさそうだね。僕は石の床に寝転がった。冷たくて気持ちいい。
「ちょうどいいところに寝床があってよかったなあ」
少し眠れば、体も動くようになるだろう。僕は目を閉じた。
何時間くらい眠ったんだろう。目を覚ますと、周りはさっきよりも真っ暗だった。
「……ん?」
ダンジョンの中だったけど、とりあえず魔物には食べられずに済んだ。毒に侵されていたからかな。体を動かすと、背中が痛んだ。でも、さっきより少し楽になっている。
「おおっ……、少し動ける」
毒への耐性が働いてくれたのかな。そうだとしたら、今まで頑張ってきたかいがあったね。僕は壁につかまりながら立ち上がった。途中で何度も倒れた。吐き気がして、その場にしゃがみ込むこともあった。
それでも、少し休めばまた歩けた。
「よかったあ。まだ足は動くね」
明かりがないので、壁を触りながら出口を探した。道を間違えて、同じ場所に戻ってしまったりもした。途中で魔物の声が聞こえたときは、岩の後ろに隠れた。何とか見つからずに済んだのは幸運だったなあ。
「今日は運がいいぞ」
そんな感じで僕は少しずつ出口を目指した。
ダンジョンの外に出られたのは、翌日の朝だった。
「わあ、明るい」
外には青い空が広がっていた。鳥も鳴いている。僕は大きく息を吸った。
「やっぱり外は気持ちいいね」
そのまま街に戻ると、冒険者ギルドが大騒ぎになっていた。
「勇者様がA級魔物を討伐したんだって!」
「しかも、たった1人で倒したらしいぞ!」
「さすが勇者様だ!」
みんなヴェズドのことを褒めていた。そっか。もう討伐の報告をしたんだね。
「すごいなあ。ヴェズド、もう仕事を終わらせてるんだ」
僕は嬉しくなった。すると、ギルドの奥からヴェズドが出てきた。
「……は?」
僕を見るなり、目を大きく開いた。
「お前……、生きていたのか?」
「うん、ちゃんと帰ってこられたよ」
「……ちっ」
「ヴェズドも無事でよかった」
僕が笑うと、ヴェズドは顔をしかめた。
「何だ、その血だらけの格好は! 俺様に恥をかかせるつもりか!」
「ごめんね。途中で何度か転んじゃってさ」
「さっさとその汚い格好を何とかしろ!」
「うん」
僕は笑って頭を下げた。
「それにしても、昨日はありがとう」
「……何がだ?」
「荷物を全部持って帰ってくれたでしょ? おかげで身軽に歩けたよ」
ヴェズドは何も言わなかった。それから、僕の顔に唾を吐いた。
「二度と俺様に話しかけるな!」
「わっ。ヴェズド、まだ喉の調子が悪いの?」
「くそがっ!」
ヴェズドは足早にギルドを出ていった。さすが勇者、忙しい人だなあ。でも、元気そうでよかった。
大きな木の下で涼しい風が吹いた。
「いやあ、今思い出してもすごい冒険だった。あのときは、二人とも無事に帰れてよかったなあ」
僕は背中の傷をさすりながら笑った。今でも大きな傷が残っているけど、ちゃんと歩ける。腐毒竜の毒にも耐えられたし、ヴェズドも無事だった。いい経験になったね。
そんなことを考えていると、後ろから馬の足音が聞こえてきた。
「おい! そこの役立たず!」
「ん?」
振り返ると、白と金の鎧を着た男が馬に乗っていた。
「あっ、ヴェズド!」
僕は嬉しくなって手を振った。
「おはよう! また会えたね!」
「ようやく見つけたぞ、このクズが!」
「わあ、僕を探してくれてたんだね!」
「誰がお前なんか探したくて探すか!」
「でも、わざわざ来てくれたんでしょ? ありがとう!」
ヴェズドは顔をしかめた。
「相変わらず気持ち悪い奴だ」
「そう? 昨日も言ってたね!」
「褒めてねえんだよ!」
「そっかあ。じゃあ、何か用事があるの?」
ヴェズドは馬から降り、1枚の紙を取り出した。
「これに署名しろ」
「何の紙?」
「お前が勇者パーティーを辞めるための書類だ」
「へえ! わざわざ持ってきてくれたんだ!」
「いいから早く書け!」
「うん!」
僕は書類を受け取った。そこには、いくつかの約束が書かれていた。僕は自分の意思で勇者パーティーを辞めたこと。パーティーでの問題は、すべて僕の責任だったこと。今までの報酬は、すべて受け取ったこと。今後、勇者であるヴェズドのことに関して何も文句を言わないこと。
「へえ、いろんなことが書いてあるんだね」
「当たり前だ。正式な書類だからな」
「そうなんだ!」
僕は感心した。勇者パーティーを辞めるのにも、こんな書類が必要なんだね。
「でも、僕は報酬を受け取ってないよ?」
「うるせぇっ! てめえは俺様の命令に従っとけばいいんだよ!」
「あっ、そうだったね!」
「わかったら署名しろ!」
「うん! これでヴェズドも安心できるんだよね!」
僕は紙に自分の名前を書いた。ヴェズドは書類を奪い取るように受け取った。
「ふん。これでいい」
「よかった! ちゃんと手続きができたんだね!」
僕は笑顔で頭を下げた。
「ありがとう、ヴェズド! こんな遠くまで来てくれるなんて、優しいね!」
「……お前、どこまで俺様をバカにするつもりだ?」
「えっ? バカになんてしてないよ?」
「その顔を見るだけで腹が立つんだよ!」
ヴェズドが僕の頬を殴った。
ゴンッ!
「……うわっ!」
ヴェズドが自分の手を押さえた。
「あれ?」
僕は首をかしげた。今、殴られたよね。殴られたところが、全くと言っていいほど痛くなかった。昨日できた傷はまだ痛むのに。
「ヴェズド、手は大丈夫?」
「お前、何をしやがった!」
「えっ? 僕は何もしてないよ?」
「ふざけるな!」
ヴェズドはもう1度僕を殴った。しかし、今度も僕は無傷だ。殴った拳の方は痛かったらしい。
「ぐっ……!」
「あれ? どうしたの?」
「くそっ! 何なんだ、お前の体は!」
「うーん。僕にもよくわからないんだよね」
もしかして、昨日スキルが覚醒したからかな。そう考えていると、ヴェズドは僕の顔に唾を吐いた。
「死ねやクソが! ぺっ」
「わっ!」
僕は袖で顔を拭いた。
「今日はずいぶん唾が出るね。水、ちゃんと飲んでる?」
「……てめえ!」
ヴェズドの顔が真っ赤になった。
「俺様をバカにしやがって!」
「してないってば! ヴェズドの体が心配なんだよ!」
「黙れ!」
ヴェズドは腰から聖剣を抜いた。銀色の刃が光る。
「お前のその気持ち悪い笑顔、今すぐ消してやる!」
「えっ? 剣の練習?」
「今度こそ殺してやるっつってんだよ!」
ヴェズドが剣を振り上げた。狙っているのは、僕の首だった。
「あっ、危ないよ!」
僕は声を上げた。でも、剣はもう振り下ろされていた。




