第四話 第一王女の婿
エボニー・プロックスは、第一王女の夫として、たいへん申し分のない青年だった。
それが、後に問題となる。
彼はプロックス公爵家の三男として生まれ、幼い頃から兄二人とは違う教育を受けてきた。
長男は公爵家を継ぎ、次男は領地経営を支える。そこで三男のエボニーは、王宮や政府で働くことを想定し、法律、財務、外国語を一通り学んだ。
何か一つについて国一番というわけではないが、渡された仕事の内容を理解し、必要な相手へ話を通し、期限までに仕上げられる。
これもまた、地味ではあるが大切な能力である。
さて、その日エボニーは、黒い革鞄を抱えて王宮へやってきた。
公爵家の紋章が入った馬車から降り、迎えの侍従へ名を告げる。訪問の予定は前もって届けられており、彼は第一王女の居室ではなく、王宮の図書室へ案内された。
カドミアは、窓際の大きな机で待っていた。
「遅くなりました」
「約束の時刻より前よ」
「王宮の門を通ってから、ここまでが遠いので」
「今さらでしょう」
「何度来ても遠いものは遠いです」
エボニーは革鞄から二冊の本を出した。
一冊は、カドミアが以前から探していた港湾法の注釈書。もう一冊は、プロックス公爵家に残っていた古い航海記録である。
「持ち出してよいの?」
「父から許可は取りました。ただし、書き込みは禁止だそうです」
「本へ直接書き込んだことなどありません」
「紙片を挟みすぎて、本の形を変えたことは?」
「あれは返したら元へ戻りました」
「三日ほど、扇のように開いていましたよ」
カドミアは注釈書を受け取り、表紙を確かめた。
エボニーは向かいの席へ座り、自分の鞄から紙と筆記具を出す。二人が顔を合わせるときは、たいてい何か読む物があった。
もちろん、庭を歩くこともある。音楽会へ出かけることもある。しかし図書室なら、話したくなれば話し、読みたければ黙って読める。
カドミアにとっては、たいへん過ごしやすい相手であった。
「王位継承者を選び始めるそうですね」
エボニーは書類を一枚広げながら言った。
「もう聞いたの?」
「父のところへ、王室卿から問い合わせが来ました。家族構成と、私がこれまで就いた役職を確認したいそうです」
「ずいぶん早いわね」
「相手の家も調べると書いてありました」
カドミアは本を開く手を止めた。
「貴方はどう思っているの」
「何についてでしょう」
「私が女王になるかもしれないことについて」
エボニーはペンを置き、少し考えてから、机の上で両手を組む。
「殿下は、なりたいのですか」
「なりたくないわ」
「では、私から勧めることはありません」
「それだけ?」
「私が王配になりたいと言えば、考え直しますか」
「いいえ」
「なら、言う必要もないでしょう」
実に簡単な答えだった。
エボニーは王女との結婚を望んでいる。それはカドミアが次の女王になるからではなく、カドミアだからである。
女王になれば王配として支えるつもりはあるが、王配になるために彼女を女王にしようとは思っていない。
なお、この違いは後になるほど大きくなる。
「母上も、初めから誰かに決めてはいないそうよ」
「候補は三人とも同じ条件で見る、と伺いました」
「コーラルのほうが向いていると思わない?」
「人前に立つことについては、そうでしょうね」
「でしょう?」
「ただし、細かな書類を読むことについては、殿下のほうが向いています」
「書類だけ読んでいればよい女王なら、なっても構わないわ」
「その条件で宰相に交渉しますか」
「通ると思う?」
「私が宰相なら断ります」
カドミアは扇を取り上げ、閉じたままエボニーの腕を軽く叩いた。
「味方ではないの?」
「無理な交渉を止めるのも味方の役目です」
そう言いながら、エボニーは鞄から小さな包みをもう一つ出した。
中には、細く焼いたレモン風味の菓子が入っている。図書室で食べても粉が落ちにくいように、表面は固めに焼かれていた。
「母が持たせました。殿下のお好みだろうと」
「公爵夫人にお礼を申し上げなくては」
「私には?」
「本を二冊返したあとで考えます」
「菓子だけでも先に」
「そちらはいただきます」
二人分の茶が運ばれ、図書室の机はしばらく、書類と本と菓子で半分ずつ使われた。
午前の光が窓から差し込み、紙の上をゆっくり移っていく。二人は必要なときだけ言葉を交わし、昼食の知らせが来るまで席を立たなかった。
王女と公爵家の三男。
家格に不足はなく、年齢も近い。本人同士は互いの性格をよく知り、結婚後の生活にも大きな不安はない。
王配候補として調べる側から見れば、たいへん点をつけやすい組み合わせであった。
そして午後になると、第一王配ビステルが図書室へ顔を出した。
「エボニー殿、少しよろしいかな」
「はい」
エボニーが立ち上がる。
「今度、王宮の財務官を交えて食事をしたいと思っている。貴殿にもぜひ同席してもらいたい」
「財務官と、ですか」
「王家を支える者同士、今のうちから話をしておくのもよいだろう」
カドミアが、手元の本から顔を上げた。
「父上。今のうちとは、何のことでしょう」
「先々のためだ」
「何の先です?」
「まだ決まっていないことだ。そう急いで問い詰めるものではない」
ビステルは笑う。エボニーはそれには返事をせず、カドミアを見た。
「その食事については、後日お返事いたします」
「予定を確かめておいてくれ」
ビステルは上機嫌で図書室を出ていった。
扉が閉まると、カドミアは注釈書の同じ行をもう一度読んだ。今度は内容が頭に入らず、紙片を挟んで本を閉じる。
「先々、ですって」
「お父上は、ずいぶん先までご覧になっているようですね」
「私は見ていないわ」
「存じております」
「貴方も見なくていいのよ」
「では、まず昼食の予定だけ見ておきます」
エボニーは手帳を開いた。
カドミアはその手元をしばらく眺め、それから自分の書状入れを引き寄せた。
第一王女とその婿候補は、何も企んでいなかった。
しかし二人が並んで書類を読んでいる姿は、企んでいる者にとって、たいへん都合よく見えたのである。




