おまけ① 三人の元王配と一人の内廷長
話は、ヴィオレッタが海辺の家へ移る前日に戻る。
*
午後、ネヴィルのもとへ一通の招待状が届いた。
差出人の欄には、ビステル、ヴェルディ、エクリオの名が並んでいる。
三人が揃って内廷長を茶へ招くのは、二十年以上同じ王宮で暮らしてきて初めてのことだった。
場所は、王家が普段の朝食に使っていた小食堂である。
ネヴィルが入ると、ビステルは書類を一枚読んでいた。ヴェルディは菓子の載った皿を自分の前へ引き寄せ、エクリオは窓際に立って庭を眺めている。
卓には、茶器が四人分あった。
「お掛けください」
ビステルが向かいの席を示した。
「失礼いたします」
いつもなら壁際へ下がるところだが、今日は招かれた客である。ネヴィルは四つ目の椅子へ座った。
ヴィオレッタの退位とともに、三人と結ばれていた王配としての婚姻も解かれた。三人は元王配として王宮の居室と暮らしを生涯保証され、三人の娘の父親であることは、もちろん変わらない。
制度上は、すでに整理されていた。
しかし二十年以上続いた関係まで、書類一枚で整理できるものではない。
「明日、ヴィオレッタ様とともに王宮を出るそうだな」
ビステルが書類を閉じた。
「はい。昼前に出発いたします」
「海辺の家は、九年ほど前から探していたと聞いた」
「三軒まで絞るのに時間がかかりました」
「隣の土地まで買ったそうではないか」
「庭を広げる必要がございましたので」
「二人で暮らすのに?」
ヴェルディが尋ねた。
「皆様がお越しになることも考えております」
「それならよい。あの食堂の卓は、何人座れる?」
「十二人まででしたら」
「足りないな」
「誰を増やすつもりですか」
エクリオが窓際から戻り、空いている席へ座った。
「今でも、ヴィオレッタ様と我々三人、娘が三人、その夫が三人、それにネヴィルで十一人だ。あと一人しか座れない」
「一度に全員で行かなければよいのでは?」
「家族が集まるときは、全員だろう」
「卓は伸ばせるように作ってあります」
ネヴィルが答えると、ヴェルディは満足して茶を飲んだ。
海辺で二人きりの静かな暮らしを始める予定だが、すでに十一人で食卓を囲む場合まで考えられている。
ネヴィルも、娘たちだけが押しかけてくるとは思っていなかったらしい。
「ところで」
ビステルが話を戻した。
「貴殿には、礼を言わねばならない」
「私に、でございますか」
「陛下の治世を、長く支えてくれた」
まだ呼び慣れた呼称が口から出る。
ビステルは一度言葉を切り、言い直した。
「ヴィオレッタ様が女王であられた間、貴殿が内廷を守った。私が知らぬところでも、ずいぶん負担を減らしていたのだろう」
「それが私の役目でした」
「役目だけで、二十年以上も同じ者を支え続けられるとは思っていない」
ビステルは、女王としてのヴィオレッタを深く敬っていた。
若くして王位につき、誰かへ押しつけることも許されなかった責務を果たし、三人の娘を育てながら国を治めてきた。
その治世に、自分も役立ちたかった。
「私は、カドミアならばヴィオレッタ様の仕事を最もよく受け継げると考えた」
「はい」
「娘の能力を信じていた。それだけではない。ヴィオレッタ様が築いたものを、あの子に守ってもらいたかったのだろう」
そのために本人より先に支持を集め、十七通もの訂正を書かされた。
だが敬愛も期待も、向け方を間違えれば娘には迷惑である。
ビステルは、そのことをようやく覚えた。
「退位後のヴィオレッタ様には、もはや国へ役立つことを求める必要はない」
「はい」
「貴殿もだ。長く待ったからといって、その分まで予定を詰め込むことのないように」
「肝に銘じます」
「庭と温室と、海までの散歩道をすでに用意した男へ言っても、あまり効きそうにないな」
エクリオが菓子を一つ取った。
「散歩は一日に一度です」
「雨の日は?」
「家で過ごします」
「何をして?」
「まだ決めておりません」
九年近くかけて家を探した男にも、決めていないことはあった。ヴェルディが身を乗り出した。
「ヴィオレッタ様は、雨の日には昔から本を読むぞ。楽器を聴くのも好きだ。冬は窓辺に椅子を置くとよい。日が当たる場所で、娘たちの手紙を読むからな」
「覚えておきます」
「朝はあまり食べない。だが三人の娘が小さかった頃は、食堂へ来ると少し多く食べた。子供たちが残した果物を、いつの間にか自分の皿へ載せていたのだ」
要は「皆が食べさせすぎるからです」と言いながら、王女たちの残したものを食べていたのである。
「王宮に子供が三人いて、本当によかった」
ヴェルディは菓子を半分に割った。
「ヴィオレッタ様は、一人で育った。食事をするにも、遊ぶにも、勉強をするにも、いつも一人だったそうだ。だから私は、王宮を賑やかにしたかった」
「それで、コーラル殿下のお子様を三人以上と?」
「少々、先まで考えすぎた」
「少々でしょうか」
「六週間、婚礼準備から外された。十分に反省している」
十分だったかどうかは、コーラルに尋ねたほうがよい。
「私は今でも、ヴィオレッタ様と三人の娘を家族だと思っている」
ヴェルディはネヴィルへ向き直った。
「明日から別の家で暮らしても、それは変わらない。祝いの日には集まる。困ったことがあれば行く。頼まれていなくても――」
「そこは、頼まれてからにしてください」
ビステルが言った。
「分かっている。今は、分かっているとも」
ヴェルディは残り半分の菓子を口へ入れた。
「ともかく、ようやく貴方の番だ。ヴィオレッタ様を幸せにしてほしい。もっとも、我々も家族であるから、全部を貴方一人へ任せるつもりはないが」
「承知しております」
次にエクリオが茶器を置いた。
「私は、二人が一緒に暮らせるようになってよかったと思っています」
「ありがとうございます」
「ヴィオレッタ様は、貴方といるときが一番楽そうでしたから」
エクリオは、長い間それを見てきた。
女王としての相談をする相手は大勢いた。政治の話なら宰相や閣僚がいる。儀礼には王配が並び、食事には娘たちも集まった。
それでも一日の終わりにヴィオレッタが茶を飲み、庭や天気や娘の話をした相手は、いつもネヴィルだった。
「寂しくない、と言えば嘘になります」
エクリオは菓子皿をネヴィルのほうへ押した。
「同じ王宮にいれば、ときどき食事をしました。林檎が届けば分けられた。これからは、送らなくてはならない」
「お越しくだされば、直接お渡しいただけます」
「そうします。海辺なら、魚もおいしいでしょう」
「よい店を調べてございます」
「九年ほど前に?」
「最初に家を見つけたときに」
「では、楽しみにしています」
エクリオはもう一つ菓子を取った。
「おめでとう、ネヴィル」
三人の中で、もっとも短い言葉だった。だが何も惜しんでいない者なら、寂しいとは言わない。
ネヴィルは三人を順に見た。
「ヴィオレッタ様は、二十年以上をお一人で過ごされたわけではございません」
ビステルが王配として式典へ立ち、必要な書類を整えた。
ヴェルディが王宮の食卓を賑やかにし、三人の娘をまとめて可愛がった。
エクリオの部屋へ行けば、政治と関わりのない菓子と果物があった。
三人はそれぞれのやり方で、女王と王家を支えてきた。
「私は内廷で、ヴィオレッタ様のお仕事と暮らしを支えました。しかし、三人の王女殿下をお育てしたのは皆様です。ヴィオレッタ様が家族と過ごされた年月を、私一人のもののように考えることはございません」
「当然だ」
ビステルは正式にうなずいた。
「だからこそ、これからは貴殿の番だ。長く待った時間を無駄にせず、ヴィオレッタ様を大切にしてもらいたい」
「はい」
「それから、訪ねてもよい日を決めよう」
ヴェルディが言った。
「明日、家へ着いたばかりのところへ行くのは早いでしょうか」
「早いでしょう」
「三日後なら?」
「早いと思います」
「一月後?」
「それでしたら、ヴィオレッタ様へ伺います」
「月に一度くらいは、皆で食事をしてもよいだろう」
「二月に一度でよいのではありませんか」
エクリオが言うと、ヴェルディは不満そうに菓子皿を見た。
「間を取って、六週間に一度ではどうだ」
ビステルが提案した。
「正式な面会のようではないか」
「先に日を決めておけば、ヴィオレッタ様にもご予定が立てやすい」
「退位したあとまで予定表で囲むつもりですか」
ネヴィルが尋ねると、ビステルは閉じた書類へ手を置いた。
「貴殿にだけは言われたくない」
もっともである。
*
こうして四人は、退位後最初の家族の食事を、六週間後に開くことで話をまとめた。
ヴィオレッタ本人へ尋ねるのは、そのあととなる。




