おまけ② 母上、お加減が?
海辺の家へ移って六週間後、最初の家族の食事が開かれた。ビステルの提案どおり、きっちり六週間後である。
もっとも、ヴィオレッタの許可を得たときには、すでに三人の元王配と三人の娘、その夫たちの予定が揃えられていた。
誰が調整したのかは、考えるまでもない。
伸ばした食卓には十一人が座った。
地元で取れた魚の焼き物、貝と香草の煮込み、春野菜の料理が並び、ヴェルディは着席して間もなく、料理人を呼んで魚の名前を尋ねた。
「この辺りでしか取れないのか?」
「湾の外でも取れますが、こちらでは春によく揚がります」
「王宮へ運べる?」
「父上、食事を始めましょう」
コーラルに止められ、ヴェルディは料理人を帰した。
カドミアは温室の修繕費が予定内に収まったかをネヴィルへ尋ね、セルリアは窓際に置かれた長椅子の布を見に行っている。
「青ですね」
「灰色です」
「光が当たると青に見えます」
「候補三枚の中では、ヴィオレッタ様が一番お気に召したものです」
「よいと思います。花模様のクッションも合いそうです」
セルリアの隣で、エクリオが満足そうにうなずいた。
「次に来るとき、持ってこよう」
「増やさなくて結構です」
ヴィオレッタが言った。
王宮を離れても、家族が集まれば会話の内容はあまり変わらない。
ただし、その日のヴィオレッタは、食事が半分ほど進んだところで匙を置いた。
貝と香草の煮込みには、ほとんど手をつけていない。
「お口に合いませんでしたか」
シモンが尋ねた。
「おいしいのだけれど、今日は香りが強く感じられるの」
「母上、お加減が?」
セルリアが長椅子から戻ってきた。
「少し疲れているだけですよ」
「昨日は何をなさったのです?」
「庭を歩きました」
「どれくらい?」
「海まで下りて、岬の手前まで」
「それは少しではないでしょう」
カドミアがネヴィルを見た。
「途中で二度休んでいただきました」
「止めなかったのですか?」
「お帰りになるよう、三度申し上げました」
「四度目も言ってください」
「次からは、そのようにいたします」
「私は子供ではありませんよ」
ヴィオレッタはパンを一口食べたが、それもすぐ皿へ戻した。
今度はコーラルが椅子を寄せてくる。
「本当に大丈夫? 顔色がよくないわ」
「貴女たちが一度に来たから、少し騒がしいのかもしれませんね」
「では、父上たちを帰しましょう」
「なぜ我々だけなのだ」
ヴェルディが抗議した。
「人数を三人減らすなら、まず父親でしょう」
「娘三人が帰れば、同じだけ減るぞ」
「私たちは母上を心配しているのです」
「我々も心配している」
どちらが帰るかで話し合いが始まりそうになったため、ヴィオレッタは全員を食卓へ戻した。
食事のあとは予定していた庭歩きを取りやめ、居間で茶を飲むことにした。
ヴィオレッタは長椅子に座り、娘たちから王宮の様子を聞く。途中で一度あくびをしただけで、三人から寝室へ行くよう勧められた。
「少し眠いだけです」
「母上が昼間に眠いと仰るのは珍しいです」
カドミアは帰る前に、翌日も具合が悪ければ医師を呼ぶようネヴィルへ念を押した。
コーラルは三日後にまた来ると言い、六週間に一度という取り決めを早くも崩そうとした。
セルリアは料理人へ、母が食べられそうなものを尋ねた。
結局、十一人が出発するまでに、医師を呼ぶ、消化のよい食事を作る、長く歩かせない、という三つが決まった。
*
翌朝になっても、ヴィオレッタの食欲は戻らなかった。
寝台から起きたところで目が回り、椅子へ座る。朝食に出された卵の匂いも受けつけなかった。
「医師を呼びます」
ネヴィルはすぐに言った。
「昨日、食べすぎたのかもしれません」
「ほとんど召し上がっておりません」
「では、皆が来て疲れたのでしょう」
「庭を歩いた翌日から、同じことを仰っています」
ネヴィルは使用人へ馬車の用意を命じた。
海辺の町にも医師はいるが、ヴィオレッタの年齢と立場を考え、王都から長く診ている王室医も呼ばれた。早馬で知らせを受けた王室医は、その日の夕方には家へ着いた。
診察には時間がかかった。
食欲がないこと。匂いに敏感になったこと。眠気と軽い目眩があること。
そして、月のものが遅れていること。
「それは、年齢のせいだと思っていました」
ヴィオレッタが答えると、医師は日を確かめ、さらにいくつか尋ねた。
やがて医師は手帳を閉じた。
「ご懐妊で間違いないでしょう」
「懐妊?」
ヴィオレッタが聞き返した。
隣に立っていたネヴィルは、医師の手帳を見た。そこに別の答えが書いてあるわけではない。
「およそ六週ほどかと存じます」
「六週」
海辺の家へ移ったのが、六週間前である。
在位中からではない。本当に、退位後である。
「母体の状態は、今のところ落ち着いております。ただ、以前のお産から長く間が空いておりますし、お年も重ねておられます。今後は慎重に診ていく必要がございます」
医師が説明を続ける間、ネヴィルは椅子を一つ引き、ヴィオレッタの隣へ座った。
「王都へ戻ったほうがよろしいでしょうか」
「今すぐ移る必要はございません。長い馬車移動も負担になります。こちらへ定期的に医師を呼び、経験のある産婆を早めに決めてください」
「食事は?」
「召し上がれるものを少しずつ」
「散歩は?」
「体調のよい日に、短い距離を」
「階段は?」
「急がず、付き添いをつけてください」
「ほかに必要なものは?」
「まずは、今申し上げたことをお守りください」
予定を何年も先まで用意していた男が、初めて予定にないことへ出会った。
海辺の家も、庭も、温室も整えた。医師を呼ぶ道も調べてある。食卓は十二人が座れるように伸びる。
しかし、子供が生まれる場合の支度だけは、どこにもなかった。
医師が帰ったあと、ヴィオレッタとネヴィルは寝室に残った。
「驚きましたね」
ヴィオレッタが言った。
「はい」
「嬉しくない?」
「嬉しいです」
ネヴィルはすぐに答えた。
「ですが、心配もしております」
「私もです」
これまでに三人の娘を産んだ。
けれど、あの頃と今では身体が違う。王室医が慎重にと言った意味も、二人には分かっていた。
ヴィオレッタは、ネヴィルの手へ自分の手を重ねた。
「貴方との子供です」
「はい」
「生まれてきてほしいわ」
「私も、そう願います」
「でしたら、まずは医師の言うことを聞きましょう」
「明日、王都から産婆を三人――」
「一人ずつ会います」
「医師も、こちらへ住める者を」
「定期的に来てもらえばよいでしょう」
「階段の手すりを増やします」
「それはよいと思います」
「寝室を一階へ移すことも考えます」
「まだ移しません」
ネヴィルは立ち上がり、隣室から家の見取り図を持ってきた。
「子供部屋は、こちらがよろしいかと」
「もう選ぶの?」
「寝室から近く、窓が南向きです」
「そこはコーラルが選んだ客室でしょう」
「別の部屋へ移っていただきます」
「怒りますよ」
「王女殿下のお部屋より、子供部屋が優先です」
ネヴィルは、珍しく迷わず決めた。
「それに、隣の部屋を乳母の部屋にできます」
「乳母まで決めるつもり?」
「候補を――」
「勝手に探してはなりません」
どこかで聞いた注意だった。
ネヴィルは見取り図を持ったまま、椅子へ戻った。
「では、明日、一緒に考えていただけますか」
「体調がよければ」
「午前と午後、どちらがよろしいでしょう」
「明日になってから決めます」
「承知いたしました」
ネヴィルは見取り図を畳み、卓の端へ置いた。
ただし、その夜のうちに、王都の王室医と産婆へ送る手紙を書いた。
二十年以上待てた男でも、子供を迎える準備まで、ゆっくり待てるとは限らなかった。




