第一話 三人の王女
そもそも、ことの起こりは半年前のことだった。
その日、女王ヴィオレッタ・ホルルベインは、午前の閣議が終わったあとも宰相たちを席に残した。
窓の外には、穏やかな海が見える。
ホルルベイン王国は島国である。大きな戦もなく、海の向こうの国々とは船で品物をやり取りし、国内では今年の麦の出来と港の修繕費が話題になる。先ほどまでの閣議でも、南の港へ新しい倉庫を建てるか、それより先に街道の橋を直すべきかが話し合われていた。
どちらも大切だが、王国の存亡に関わるほどではない。
実に平和であった。
さて、そういう国にも、いつかは決めなければならないことがある。
「そろそろ、次の王を決めたいと思います」
女王が言うと、閉じかけていた宰相の書類が、もう一度開かれた。
「陛下。どこかお加減でも?」
「いいえ。よく眠れますし、朝食も残していません」
ヴィオレッタは四十を少し越えているが、背筋も伸び、声にも張りがある。今朝も王宮の庭を歩き、庭師が植え替えたばかりの花壇まで見てきた。
少なくとも、明日明後日に王位を譲らなければならないような様子ではない。
「では、なぜ今なのでしょう」
「元気なうちに譲りたいからです」
ヴィオレッタは簡単に答えた。
「次の王が決まってから、必要なことを教え、少しずつ役目を渡す。その間に問題が起きれば、私も一緒に考えられます。倒れてから皆で慌てるより、そのほうがよいでしょう」
「それは、確かに」
司法卿が頷いた。
王位の継承について、法律上の問題はない。
ホルルベイン王家には、三人の王女がいる。この国では、第一王女がそのまま次の王になるとは決まっていない。直系の王族の中から現王が候補を示し、王室会議と閣僚が確認したうえで、正式な後継者とする。
もちろん、年長者が選ばれることは多い。しかし、それは年長者が最も長く王族教育を受け、たいていの場合、最も早く準備を始めているからである。
今回は、三人とも同じように教育を受けていた。
「第一王女カドミア殿下、第二王女コーラル殿下、第三王女セルリア殿下。いずれも、継承の資格をお持ちです」
王室卿が指を折りながら確認した。
「年齢、健康状態、これまでの公務にも、大きな問題はございません」
「大きな問題は、ということは、小さな問題はあるのですね」
ヴィオレッタが尋ねると、王室卿は軽く咳をした。
「カドミア殿下は、公務の内容を選びたがります」
「人の多い催しが嫌いなのです」
「コーラル殿下は、催しそのものを楽しみすぎるところがございます」
「頼まれていない舞踏まで披露した件ですか」
「三度ほど」
「セルリア殿下は」
そこで王室卿は言葉を切り、手元の記録を一枚めくった。
「特にございません」
「それは褒めているのでしょうか」
「少なくとも、問題の記録には何も」
この時点では、セルリアについて語ることが少なかったのである。
王室卿の記録には、式典への出席、慈善施設への訪問、来賓との会食などが、日付順に並んでいる。セルリアは遅刻せず、欠席せず、必要な挨拶をし、予定の時刻に帰っていた。
たいへん結構なことであるが、王女の記事としては少々地味であった。
「王女殿下ご本人だけを見て決めるわけにはまいりません」
宰相が言った。
「王配となられる方、そのご実家、後ろにつく貴族も含めて考える必要がございます」
「まだ三人とも結婚していませんよ」
「だからこそ、今のうちに見るのです」
カドミアにはエボニー・プロックス、コーラルにはグラファイト・ウィンザー、セルリアにはパーシモン・ルフランという、それぞれ親しくしている相手がいる。
婚約がほぼ整っている者もいれば、両家が承知したうえで話を進めている者もいる。三人とも王女との結婚を望んでいるが、次期女王の王配になりたいかどうかは、また別の問題であった。
「王女たちの父親についても、ですね」
ヴィオレッタが言うと、宰相は深く頷いた。
「そちらは、特によく見なければなりません」
女王には三人の王配がいる。
第一王配ビステル・ターナー。
第二王配ヴェルディ・グラハム。
第三王配エクリオ・カランダッシュ。
ちなみに、この第一、第二、第三は序列ではない。王女が生まれた順に呼び分けているだけで、三人の地位は同じである。
同じなのだが、呼び名というものは、時に人へ余計な考えを起こさせる。これについては、後で問題になる。
扉が静かに開き、内廷長のネヴィルが入ってきた。控えていた侍従から盆を受け取り、女王の前に新しい茶を置く。先ほどまでの茶は、話をしているうちに冷めていた。
「ありがとう、ネヴィル」
「昼食のお時間を遅らせますか」
女王が宰相を見ると、宰相は卓上の書類をまとめ直した。
「本日は、まず調査する範囲を決めましょう。詳しい検討は、資料が揃ってからとなります」
「では、王女三人、相手の男性三人、その実家が三家。王配三人と、その実家も必要ですか」
「念のため」
「ずいぶん増えましたね」
「王位とは、そういうものでございます」
ヴィオレッタは新しい茶を一口飲んだ。ちょうどよい温度だった。
「分かりました。三人を同じ条件で見てください。初めから誰かに決めてかかることのないように」
「承知いたしました」
宰相が答え、司法卿と王室卿も頭を下げた。
こうして、次期女王を選ぶための調査が始まった。
なお、このとき三人の王女は、誰一人として自分が選ばれるとは思っていなかった。
カドミアはコーラルがなると思い、コーラルはカドミアがなると思い、セルリアは姉のどちらかがなると思っていた。
誰も、自分とは考えていない。
候補者全員にその気がないまま、王位継承者選びは、たいへん真面目に始まったのである。




