第九話 第三王配は何もしない
第三王配エクリオ・カランダッシュは、娘を女王にするために何もしなかった。
人を集めず、手紙を書かず、セルリアの長所をまとめた資料も作らなかった。
これは深い考えがあってのことではない。
女王から勝手に動かないようにと言われたので、動かなかったのである。
*
さて、セルリアとシモンが婚礼後の住まいを見て回った翌日、エクリオのもとへ生家から手紙が届いた。
差出人は、カランダッシュ侯爵家を継いだ兄である。
手紙には、セルリアが次期女王の候補となった件について、何か手伝えることはあるかと書かれていた。王室会議に近い者へ話を聞くこともできるし、侯爵家と親しい貴族へ、セルリアの人柄を知らせてもよいという。
エクリオは朝食のあと、自室の窓際でそれを読んだ。
卓には茶と、薄く焼いた林檎の菓子が置かれている。彼は手紙を最後まで読み、菓子を一つ食べてから書記を呼んだ。
「返事を頼む」
「どのようにいたしましょう」
「何もしなくてよい、と」
「それだけでございますか」
「せっかく尋ねてくれたのだから、礼も書いておこう」
書記は紙を用意した。
「このたびのお心遣い、ありがたく存じます。セルリアの件は、陛下と閣僚の方々が公平にお決めになりますので、こちらから働きかけるつもりはございません。兄上にも、普段どおりにしていただければ幸いです」
そこでエクリオは林檎の菓子をもう一口食べた。
「それから、先日もらった林檎がおいしかったと」
「同じ手紙へお書きしますか」
「菓子にもした、と書いてくれ。料理人が喜ぶ」
「かしこまりました」
次期女王選びに関する手紙は、途中から林檎の話になった。
もっとも、兄のほうもエクリオの性格をよく知っている。数日後には、政治的な返事ではなく、新しい林檎の籠が届くことになる。
「父上、今よろしいですか?」
扉の外からセルリアの声がした。
「ああ、入りなさい」
入ってきたのは、セルリアとシモンの二人だった。
セルリアは数枚の布地見本を抱え、シモンは巻いた紙と小さな木箱を持っている。
「何か決まったのか?」
「温室を直してもらうことにしました」
「そうか。それはよかったな。あそこは前から雨漏りしていただろう」
「ご存じだったのですか」
「雨の日に入ったら、椅子が濡れていたからね」
「なぜ、そのとき直さなかったのです?」
「私が使う温室ではなかったからな」
誰かへ知らせるくらいはしてもよかったであろう。
しかしエクリオは、濡れた椅子を乾いた場所へ移し、その日は別の温室へ行ったらしい。
「屋根とガラスを直せば使えるそうです。それから、苺も植えます」
「冬にも食べられるのか?」
「春に少し早く収穫できるそうです」
「それでも十分だろう。楽しみだな」
エクリオは空いている椅子を二人へ勧めた。
シモンが卓の上へ巻いた紙を広げる。婚礼後に暮らす建物の簡単な見取り図だった。
「書斎には机を二つ並べることにしました。こちらがセルリアで、こちらが私です」
「同じ部屋にいるのに、手紙を書くのか?」
「父上、ほかの方へ書くのですよ」
「ああ、そうか」
「父上は、母上と同じ部屋でお仕事をなさったことは?」
「ないよ。ヴィオレッタは仕事が多いから、私がいたら邪魔になるだろう」
自分にも何か手伝えるとは考えないあたりが、エクリオである。
実際、政治に関する仕事なら、手伝わないほうが早い。
「それで、こちらが食堂です」
セルリアが図の上を指した。
「朝食は甘いパンと卵料理を、少しずつ用意してもらうことになりました」
「どちらか一つでは駄目なのか?」
「俺とセルリアで食べたいものが違うんです」
「そういうことか」
「残らないよう、料理人と相談します」
「それなら料理人に任せるのが一番だ。毎日作る者のほうが、二人の食べる量もすぐに分かるだろう」
エクリオは、たいへん素直に専門家へ任せた。
なお、セルリアが分からないことを分かる者へ尋ねるのは、父親を見て育ったためでもある。
「父上にも、こちらの布地を見ていただこうと思って」
セルリアは持ってきた見本を卓へ並べた。
淡い青、若草色、生成り、細かな花模様。どれも温室へ置く長椅子に使うものだった。
「どれがよいと思います?」
「お前の好きなものにすればいいだろう」
シモンが隣で笑った。
「俺と同じことを仰いましたね」
「シモンもそう言ったのです」
「では、二人で相談して決めればいい」
「相談しても、私が好きなものでよいと言うのです」
「シモンは、どれがいいんだ?」
父親から尋ねられ、シモンは布地を順に見た。
「私は生成りがよいと思います」
「初めて聞きました」
「セルリアが青と若草色で迷っていたから、増やさないほうがいいかと思ったんだよ」
「今、増えました」
三人は卓へ並んだ四枚を見た。
「父上は?」
「私は花模様がいいな」
「また増えました」
セルリアは布地を集め直した。
結局、今日は決まらないらしい。
「ところで父上、王位のことで、どなたかとお話をなさいました?」
「兄上から手紙が来たよ」
「伯父上から?」
「何か手伝おうかと書いてあった。何もしなくていいと返事をしたところだ」
「そうですか」
セルリアは、それ以上尋ねなかった。
父が自分を女王にしたくて動くとは、初めから考えていない。
「シモンの家には、王室卿から問い合わせが来たそうです」
「私のところにも来たよ。お前が幼い頃、どんな子供だったかと」
「何と答えたのです?」
「よく食べて、よく眠る子だったと」
「ほかには?」
「知らないことは人に尋ねる、と書いた」
セルリアは少し考えた。
「それは今も同じですね」
「よいところだろう」
「王女の長所として、それで足ります?」
「約束を守るとも書いたよ。シモンと遊ぶ約束がある日は、昼寝の途中でも起きてきたからな」
「それは覚えております」
シモンが言った。
「一度、髪の片側だけ潰れたまま来たことがありました」
「何歳の話です?」
「八歳くらいだったよな」
「はい。眠そうなまま、庭まで迎えに来ました」
「その話は王室卿へ書いていませんよね」
「髪については書いていないよ」
エクリオは茶を飲み、林檎の菓子を二人にも勧めた。
「私は、お前が女王にならず、シモンと穏やかに暮らせれば、それでいいと思っている」
「私もです」
「私も、そのつもりです」
「なら、三人とも同じだな」
話は簡単にまとまった。
「シモンなら、まあ安心だ。昔から知っているし、お前が困るようなことはしないだろう」
「はい。大切にいたします」
「もし困らせたら、二人で話し合いなさい」
「父上は何もなさらないの?」
「二人で話しても決まらなければ、相談に来ればいい。そのときは一緒に考えよう」
初めから父親が決めるつもりはないらしい。
セルリアは林檎の菓子を一つ取り、シモンはもう一度布地の見本を広げた。食べ終わったら、三人で長椅子の色を決めることになった。
ただし、意見はすでに三つへ分かれている。
その頃、第一王配はまだ娘を諦めきれず、第二王配は隣室へ移した系図を時々眺めていた。
第三王配は、娘と婿候補に菓子を勧めていた。
何もしないよう命じられ、本当に何もしない。
しかも、自分が何もしないことに、特別な価値があるとも思っていない。
のちに閣僚たちは、この第三王配の態度を高く評価する。
本人はその日、四枚の布地から花模様を選んだだけだったが。




