慈悲の天使
第三者視点
「邪なるもの、それは人々の怒り、憎悪、絶望、悲しみから生み出されるものでございます。本来であれば、それは希望、喜び、愛、幸福感などの感情によって浄化されるはずでした。あるとき、かのお方が己の役割を放棄したが故に、希望は消え失せ喜びは悲しみに、愛は憎悪へと変化し幸福感もなくなってしまったのです。邪なるものは癌のように世界を覆い人々を苦しめております。『邪なるもの』に意志はなく、ただ自分たちが生き残るために人々が負の感情を出すようたきつけているのでございます。」
そう、誰かが言った。
イリアスの視界は真っ暗だったため、声の主の姿は映らず、声だけがその場に反響していた。
「あなたは…一体…」
「わたくしは、セレネ様の家臣、慈悲の天使セラフィーヌと申します。」
「セレネ様というと、愛と運命の神であらせられる…あの女神様…」
「はい、その女神様でございます。」
「どうして僕なんかに…」
「あなた様は慈悲の天使から生まれた天の使いの子孫でございますから、わたくしがこうしてあなた様のもとに現れることはなんら不思議はございません。」
「でも今までこんなこと一度も…」
「それは、あなた様の中にある邪なるものを浄化することに力を使っていたからでございます。」
「僕の中に、、邪なるものが…?」
「はい、そうでございます。あなた様とあなた様のご家族には邪なるものが入り込んでおりました。特に、あなた様のご家族はそれはもう酷い状態でした。」
「それは一体どういう…」
「不思議には思いませんでしたか?あなた様のご家族があなた様だけに冷たくあたっていたことを。あれは、邪なるもののせいでございます。あれでも、あなた様のご家族は普通の人の数十倍は耐え抜いておられました。その証拠に、あなた様を追い出すことであなた様が受ける邪なるものからの影響を最小限に抑えることができたのですから。」
「そんな馬鹿なっ…そんなことがあっていいはずがない。何のために僕は、、、僕は今まであの人たちを恨んでいたんだ…」
そう言って罪悪感に苛まれるイリアスの頬を何かがそっと包み込んだ。
「ご自分を責めてはいけません。全ては責任を放棄した『かのお方』のせいでございます。わたくしの弟、復讐の天使カシアンもそのせいで自身の加護を持つ天の使いの子孫が大変な目にあっていると大層怒っておりました。」
セラフィーヌの声はとても穏やかではあったが、少し冷たいものが混じっていた。
それは、『かのお方』に対する怒りであり軽蔑。『かのお方』を敬愛しなければならない天使が持つには少々過激なものだった。
「……本来であれば、わたくしがあなた様の前に姿を現すことはございませんでした。」
静寂の中で、セラフィーヌはぽつりと呟いた。
「ですが、世界は既に限界を迎えようとしております。」
「限界……?」
「はい。」
少しだけ間が空く。
「春、夏、秋、冬を司る四柱の天使が堕ちた今、『邪なるもの』は世界そのものを蝕み始めました。」
「四天使が……」
「彼らは世界を循環させる歯車でございました。その歯車が壊れれば、世界もまた壊れていくのは必然。」
イリアスは息を呑んだ。
「ですが、まだ終わりではございません。」
「え……?」
「希望は、まだ残されております。」
その言葉だけは、先ほどまでとは違い、どこか温かかった。
「あなた様を含め、5人の子らが中心となってこの世界をお救いくださいませ。」
「5人……?」
「半神カイ様。」
「神炎を宿すコウ様。」
「幻想の眼を継いだユウリ様。」
「真眼を継承したエレン様。」
そして、
「闇を照らす光を継ぐあなた様。」
イリアスは目を見開いた。
「ぼ、僕が……?」
「はい。」
「そんな……僕には何の力も……。」
「いいえ。」
セラフィーヌは優しく否定する。
「あなた様は、まだ気づいておられないだけでございます。」
「慈悲とは、弱き者へ向ける情けではございません。」
「相手の苦しみを知り、それでもなお手を差し伸べようとする強さ。」
「それこそが慈悲。」
暗闇のどこからか、小さな光が一つ現れた。
それは蛍火のようにゆっくりとイリアスの前まで飛んでくる。
「あなた様は、これまで何度も自分を無力だと思ってこられました。」
「……はい。」
「それでも仲間を助けることだけは、一度も諦めませんでした。」
イリアスは言葉を失う。
「その心こそが、慈悲の天使の加護を受け継ぐ資格。」
光が胸元へ触れた。
温かい。
春の日差しのような、優しい温もりだった。
「さあ、目を覚ましてください。」
「皆様が、あなた様を待っております。」
その瞬間。
暗闇が音を立ててひび割れ始めた。
まるで世界そのものが砕け散るように。
そして最後に、セラフィーヌは静かに微笑んだ。
「どうか、お優しいままでいてくださいませ。」
「それが、誰よりも強い力となる日が必ず訪れますから。」
その言葉を最後に声は聞こえなくなり、代わりに眩い光がイリアスの視界を埋め尽くした。




